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転-2-
辿り着いた村を一言で表すならば、『平和で長閑』であった。
三人が旅人の振りをして語りかけた青年はとても気さくで、すぐに村長に掛け合ってくれ、その日の夜に三人をもてなす宴が開かれた。
正直戸惑っていたが、祝い事を重んじる風習や外部からの新しい人間を受け入れられる懐の深さに感銘を受けた三人は村人達に心を許し、月が白くなるまで歌い明かした。
すっかりこの村を気に入った三人は、あれから三年もの月日を過ごし、
のんびりと暮らしたがっていたテオドールは
嫁をもらい子宝に恵まれ、
サミュエルは村へ妻子を呼び寄せ、農夫として幸せに暮らし、
村人の紹介で傭兵になれたエルキュールは、成果を
挙げるや否や、瞬く間に出世した。
恐いくらい順調だった。
もう、誰も悪夢などとは無縁の生活を送っていた。
家庭を築きあげたテオドールを疑った、自分を恥じた。
国政が混乱している最中、サミュエルは見事に妻子を呼び寄せた。並大抵の努力では不可能だったことだろう。危険な目にも遭ったかもしれない。けれども、今はこうして親子三人で仲睦まじく暮らしている。素晴らしいことだ。
自分もロシア帝国に仕える身となり、およそ千人を抱える騎士団長の座まで返り咲くことができた。
お互いが生きたいように生きている。
苦しみ、悲しみを乗り越えて、手にした希望や栄光は、なんと美しくなんと愛しいのだろう。
過去を否定するのではなく、過去に感謝し、また、これからの一日一日に感謝と慈愛を込めた祈りを捧げよう。
エルキュールは、かつて三人で見上げた夜空を見上げて、独り静かに、そう感慨にふけた。
瞬間、まるで演劇の緞帳が勢いよく下ろされたかのような音がすると、辺りは暗闇に包まれた。
遠くから、誰のものとも知れない声と、文字が流れてくる。暗闇のはずなのに、その文字だけはしっかりと認識することができた。
『どうやら夢の中ってのは無意識のうちに良い結果を押さえ込んでしまうものらしい』
かつて、自分が言った言葉が暗闇を這い、蛇のように絡みついてくる。
『私達にどんな災いをもたらすかわからない』
『過去を振り返っている場合ではない』
『ツルハシ・シャベル・火薬・洞窟・抜け出せない悪夢』
『忘れてはいけないこと、忘れてしまったこと』
そういえば、サミュエルが持っていたロケットペンダントには妻子の写真が入っていた。
絵ではなく写真だった。あの時感じることが出来なかった違和感。一平民が写真など持っているはずがない。
サミュエルとは一体何者なのか?
もしも、イギリスやフランス領出身だとしたら?
元貴族だとしたら?
ロケットペンダントが葬儀の際に贈られたものだとしたら?
確かに、サミュエルは、妻子が生きているなんて
一言も言っていなかった。
サミュエルの大切な人は、
誰かに殺されてしまったのだろうか?
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