双翼神話シリーズ Prologue

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双翼神話シリーズ Prologue

「人類進化の過程で、例えば人類がこの世界を見限ったとき。故郷を捨てなければならなくなったとき。彼らの目指す先は何処にあるのか。そういう事を、ふとした瞬間に考えてしまうの」  唄うような調子で笑顔を振り撒く少女の言葉に、ユノーは顔を顰めたのであった。 「それってなんだか、他人事みたい」 「あら、どうして?」  特に考えずに口を突いた言葉であった。  こちらの様子を伺い見るようにして、或いは既に答えを知っているかのような眼差しを向けて、彼女は珠を転がすような美しい声音でころころと言葉を紡ぐ。それに、何だか誘導されているような気がしながらも、自分が問い掛けへの解を持ち合わせていないことに焦りを覚えたユノーは、少し悩んだ末に、再度口を開く。 だって。  貴女が人類を『彼ら』だなんて物言いをするから。  答えると、彼女は満足げに頷いてユノーの髪をさらりと撫ぜた。 「そんなことはないのよ。私はいつでも、客観性を大事にしているだけだから」  いつも、同じ。いつだって彼女はこちらを値踏みするように、そして存在を確かめるように、少し意地の悪い質問を投げかけて、安堵するのである。  そして称賛する。  そして愛でる。頭を撫でる。  大好きなお人形に向けて、というよりは、対象が生身の人であることの実感を得るために、といった表現の方が正しいのかもしれない。ともあれ、彼女は常からユノーをからかって、弄んで、楽しんでいる。ついでに女の子のような可愛らしい洋服を着せて、化粧を施して、街で二人、腕を組んで買い物を楽しんで。  まるでお姫様の戯れだ、と、髪にバレッタを差し込んで喜んでいる彼女にバレないよう、ユノーは短く息を吐いた。  最初の頃はそんな彼女のお遊びに付き合うことを苦手だと思っていたけれど、関係性が深くなった今では、それも差程苦痛には思えなくなっているから、不思議だ。  そんなことを思う内に、彼女は、またひとつ、ころんと言葉を転がした。 「『旅の人』と、呼ぶことにしたの」 「……なんの話?」 「ほら、たった今、翼のある人の話をしていたでしょう?」 「? 人類がどうとか、目指す先が何処とか、言っていなかった?」 「まあ! ちゃんと聞いていてくれたのね」 「……」  食えないひとだ。  同じ人間の女として、ユノーには彼女がどうにも同種の存在とは思えない瞬間がある。今が然り……というよりも、常にそうであるのだが、しかしそれはさて置き。  彼女、ティカの曰く。  戦争で汚染された世界に――生まれてくる子供の教育よりも、それを育てる父親を殺すことに金を掛けるこの世界に、果たしてどれ程の価値があるのか。そういう話から発展して、例えば人間に翼が生えるのには、この世界を捨て去り空を目指す、そんな進化の真っ只中であるからなのではないか。というような結論に至ったらしい。  常日頃この火薬臭い世界を嘆き、読書に老け込むティカの妄想話である。  そこに大した意味などない。わかってはいるものの、ユノーは数少ない自身の友人にそんな思考をさせてしまっていることを、少しだけ後ろめたく感じた。 「良いのよ、ユノー。貴女はそのままで」  戦の絶えない世界。そこに加担する自分。  いつかこの少女の悪戯っぽい笑顔が見られなくなる日が来るのだろうか。あまつさえ自分の所為で、なんて事態になったら、そのとき自分は事実を受け止めることができるのだろうか。  ふとした瞬間に考えてしまう。  翼が正しく機能するなら、何処へだって飛んでいけるというのに、なんて。  ワンピースの背中のホックを繋ぐその仕草の最中、仕舞いこんで隠しているはずのそれに、布地の上から触れられた……ような気がした。 一定数の人間の背に不規則に顕現した『翼』という現象。  飛べる訳でもない。  動かすことすら出来ない。  そもそも神経が通っていないらしい。  翼を持つ人間そのものが少ない所為で、確と解明に至っていない不可思議なもの。一般的な認知度は低い。  ユノー自身も、実際にそれを背負うことになるまでは御伽噺のようなものだと思っていた。  けれど、翼が生えてからというものの、着る服に気を使ったり、身体を洗う時に邪魔になったりと、重さはないクセに日常生活に支障を来たして、嫌に現実的である。既に数年の付き合いになるが、未だにこれがあって良かったと思える例には巡り会っていない。 「ねえ、ユノー。空が飛べるなら、飛んでみたいと思わない?」 「……。すぐ落ちそうだから、やだ」 「飛んでみなきゃわからないわよ。雛鳥だって、飛び立つまでは翼の使い方を知らないの」 「私は鳥じゃないもの」  人間だ。  どうしようもなく地から足が離れない、自由のない人間である。 「ふふ。ローグが聞いたら嘆きそう」 「……たしかに」  神話の好きなあの男のことだ。翼を持つユノーがそれに悲観的であると知れば、間違いなく嘆き悲しむに違いない。  そうなってしまったら色々面倒だ、と、本人は居ないが、何となく心情的に、口を閉じさせられた。
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