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翼のある少女 1
全治四ヶ月。
言い渡されたとき、ユノーは酷く憤慨したものだが、しかしながら今回の負傷もまた例に漏れず『自業自得』の域を出なかったので、動きを制限される療養生活を、腹の中で荒ぶるものを諌めながら、粛々と、真面目に、大人しく過ごした。
で。
「二ヶ月で戦線復帰って」
サブは自らの上司の頑丈さに呆れ返る。
それもそのはず、今回の作戦でもまた例に漏れず満身創痍で帰ってきたユノーが、過去最短の速さで、また数日後には怪我をするような場所へと赴こうと言うのだから、異議申し立てをしない方が無理のあること。この少女が激情に駆られやすい気質であることは重々理解しているが、毎度毎度、作戦の度に肝を冷やされている側としては、もっと療養期間を延ばして、彼女を戦場から遠ざけたいと考えるのが常である。
しかし、ユノーはまるで気にした体でもなく、寧ろ気にしてたまるかという気概さえ感じられる華麗な無視を決め込んで、コンディションの最終調整を行っていた。
「いや、駄目ですからね。普通に考えて」
「ローグが、動いていいって言ったもの」
「あのクソ医者が貴女に甘いのなんて、今に始まったことじゃありませんよ」
「サブほどじゃない」
「いーえ、俺は教育の観点では弁えています。……じゃなくて」
「……」
教育ってなんだ。
ユノーは眉根を寄せた。
ユノーの一番弟子を自称し、通称はユノーの腰巾着とされている男。その言い分には常に明らかな主観が含まれていて、どうにも本人には愛が伝わらないのがテンプレ。
ユノーが気に入らない点は二つ。
年上とはいえ、四つしか歳が変わらないというのに、恰も自身が保護者であるかのような物言いをすること。
そして、ローグの翼信仰とサブの猫撫で声なんて差程違いがあるようには思えない、ということ。……寧ろこの腰巾着の方がローグよりも甘言が過ぎるとさえ感じている今日この頃である。教育の観点だなんてとんでもない。
サブにしろローグにしろ、何を言われたところでユノーの行動は一貫して変わることはないのだ。動かないと、身体が鈍る。今はそれ一択である。
ましてつい先日、世界を揺るがす大規模な事件が起きたばかり。せっかちなユノーが大人しくベッドの上などでじっとしていられるはずもなく、真面目に治療とリハビリをこなしながらも、もだもだ、ぐるぐると頭の中を暗雲一色に染め上げていた。
「ああ、もう……もう少し我慢してくださいよ。隊長はまだ若いんですから、遅れなんて、すぐに取り戻せるじゃないですか」
「やだ」
むっと頬を張った上官を見て、サブはついに嘆息する。
――ああ、これは頑として話を聞かない時のそれだな。
サブは説得を諦めることにした。
ぷくっと膨らんだ片方の頬を指でつつくと、より不機嫌に張りを持たせる上司の、子供のような有様。それを苦笑して眺めながら、サブは手元の書面に手を通す。
処置終了のサインを入れられた嘆息もののそれではなく、復帰に際しユノーが持ってくるようにと指示した、件の事件の資料である。
神罰現象に関する情報、現状の被害規模、それに伴う停戦協定と今後の共同戦線の詳細、正規軍及び属軍の提示する方針、神罰現象と同時期に各方面で起きている小規模な異変の数々、エトセトラ。
やや頭の弱い隊長にもわかりやすいようにサブが丁寧に作り直した紙束へと、ユノーは療養中に一枚一枚時間を掛けて目を通していた模様。人伝に聞いたと思われる噂話やら図書物やらのメモがびっしりと書き込まれていて、説明するまでもなく、彼女が現状の悲惨さを理解していることが見て取れる。
今から丁度、一週間前のこと。
戦争に忙しいこの世界に突如現れたひとつの存在が、ひとつの災厄を全土へと齎した。否、今もまだその真っ只中であり、解決の糸口といえるものがまるで見つからないままに、世界から人間が次々に消えている。長きに渡り――それこそサブやユノー、または齢五十を超えるローグが生まれるよりも前から続く戦乱を、全て、一斉に停止させなければならない規模の大事件。
即ち、神の降臨であった。
何の前触れもなく上から飛来したそれは、地上を天空から見渡すや否や、誰も、見ることは愚か、耳にさえしたことのない異形の存在を世に放った。
ヒトを食らう異形。
捕食し、喰らい尽くし、肥大化し、ある程度まで膨らむと活動を停止するという至ってシンプルなパターンで動いている。一度停止した個体が動いたケースは、今のところは見受けられていないため、活動停止は『死亡』と同義のものと判断して、政府と総督府は協力して打開策を考案しているようだ。
少し前まで、抗争に女子供を巻き込もうが構うまいという姿勢だった癖に。
ユノーは苛立ちを顕に口の端を曲げている。
心中察するに余りあった。サブの目から見たユノーは、いつだってある一点しか見据えていないのである。
「隊長、あんまり思い詰めちゃ駄目ですよ」
思いやって掛けたはずの言葉であった。
しかしながら生憎と、ユノーには逆効果であるようだった。
「別に。少し、むかつくだけ」
むかつくのはサブの察しの良さも含めての話。
見透かされたり、わかったような口を聞かれることを、ユノーはあまり好まないのである。
「対処の遅れているお偉方に大して、でしょうか。それとも神に?」
「……」
――そういうとこだぞ。
「どっちも。……特に、神は邪魔」
突然顕現した神を名乗る存在の壁は、正面だけを向いて生きているユノーにとって、大層鬱陶しいものであった。あれが居るだけで視界が悪くなるとまで言っても過言ではないほどに。
たった一つの目的を果たしたいだけの人生。
全く対処法のわからない存在が、突然にその道筋を遮るように立ちはだかっては、ただでさえせっかちなユノーの苛立ちを助長させるには十分である。
殺したい男が居るのだ。
それは神だなんて無粋な存在ではない。神など、ただ、視界を遮るだけの現象である。
あれ、邪魔なのだ。
早く退かしたい。
見舞いのフルーツを頬張りながら寝ている場合ではない。
「俺、隊長のそういう気質は尊敬してますよ」
「知ってる」
毎日顔を合わせる度に同じ文句で褒められていれば、嫌でも覚えるというものである。
「でも無理してたら止めますからね」
「……。サブも邪魔」
「酷い」
話しながら、軽いストレッチを済ませたユノーが、さあ出ようかと扉に手を掛けたときであった。
「――誰か来てくれ!」
今まさに戸を抜けようとしたタイミングで、有事を思わせる声が廊下に響いた。
いち早く反応したユノーは、真っ先に飛び出して身を屈め、迎撃の体勢に入っていた。
「サブ! 遅い!」
呼ぶと、はいはい、という諦め切った返答と共に、近くに置いてあった適当な得物を渡される。ユノーは手に馴染まない感覚に首を傾げて、そう言えば、ここには愛用のものは無いのだった、と当たり前の事実を思い出した。
手持ちのそれは、ただの果物ナイフ。
見舞いのフルーツバスケットを切り分ける用途のもの。
紛うことなき、家庭用。
「……まあ、いいか」
心許無いが、何も無いよりマシである。
呟いたのと同時、廊下の角から見えた人影を目で捉えた。
「侵入者ですかね?」
「正規軍の制服。あれ敵」
「でも今は停戦中……って、隊長!」
全てを言い終わるよりも先に飛び出した隊長の背中を、慌てて追う。敵はパッと見たところ、全身に弾帯を巻き付けて確実に誰かを殺りに来ている様子であった。仲間が控えているようには見えないが、機関銃を構えた軍人相手に戦線復帰直後の上官をかち合わせることは、できるならば避けたい事態。
が、ユノーは聞かないだろう。
まさか、こんなにも早くに彼女が無茶をできる絶好のシチュエーションが降って湧くなどとは思っていなかったが、説得が徒労に終わるのであれば、それでも多少は装備の整っているサブがサポートに回る他ない。
やあっ、と掛け声が耳に入り、既に彼女は曲がり角の向こうに敵を引き付けて、戦闘を始めているらしいことを察した。
急がねば、と走る。
駆け付けたときには、ユノーは既に銃口の的になって火花に足元を追われていた。普通ならばここで助太刀に入るのが腰巾着の役目であるところだが、今回のサブはそれを目にして、これは加勢すべきか否かと短い間考えて、結果的に、否、と解を出したのであった。
今、入ると、逆にまずい。
広々とスペースのある廊下の、今立っている角から一歩でも進んだ先は、重症必至のテリトリー。侵入者のマシンガンよりも、ユノーの果物ナイフが飛んでくるという意味合いで。
視線を投げると、ユノーと侵入者を挟んだ反対側の廊下にも味方の姿が見えたが、彼らもまた同じく結論を下して加勢を諦めたようである。
決着は、ものの数分にも至らず早々についた。
「ご苦労さまです、隊長」
「この人弱い。軍人の癖に」
銃撃の音が止まったのを合図に飛び出すと、最後に、シュ、と一瞬だけ影が切り裂かれる残像が見えて、諸々が終了しているのを確認した。
見れば、彼が巻き付けていた弾帯は、弾が全て台無しになる形で筋が入れられていて、機関銃も然り、綺麗に断面が見えている。男のつけていたゴーグルも足元で真っ二つになって転がっていて、たった一人の少女に迎撃された本人は、空いた口が塞がらない様子でパクパクとしている。……サブが思っていたよりも若い人相だ。
哀れ、侵入者。そこそこ高そうな装備を揃えてきたというのに、こうも一瞬で片がつくとは、ついぞ思っても居なかっただろう。
何なら服の下の爆弾までも外されている。奥の手まで完璧な処理であった。
「サブ、捕獲」
「了解」
「――うぐっ、は、離せよ!」
「サブ、連絡」
「了解」
「聞けよ!?」
キュッとサブが荒縄を張る。
侵入者の目線では、突然縄が現れていたように見えて、一体何処から取り出したのかと疑問に思うよりも前に後ろ手を縛られた。じたばたと抵抗も虚しく、その縄の先を握られる。
手網を引かれる猛獣と同じ扱いであった。
屈辱ここに極まっている。
更に、いつの間にやら増えていたギャラリー、基、反乱軍の人間達ががっちりと八方を包囲していて、侵入者の少年はずるずると連行されていくのであった。
*
「へえ! ベスカの生き残り! すっげ、レアモノじゃんキミ!」
「バザールの掘り出し物みたいな言い方やめろよ!」
in 応接室。
という名の尋問室で、侵入者の少年は縛り上げられてはいるものの、しかしながらこれといった拷問を受けることもなく、極々普通の椅子に全身を固定されて質問責めを受けていた。
それも、本来聞くべきこととは微妙に逸れたような内容ばかり。
例えば、名前だとか。出身地、特技、好きな酒の銘柄、など。一応はじめに他の味方が居るのか等は尋ねられたものの、それ以外に痛いことを話した記憶は無い。
この、尋問担当の男。
入るなり、そして目が合うなり、ヒュウと口笛を吹いて口元に子を描いた。どこか遠くを見ているかのような目線が、ぎらりと光ったときには、何事かと思ったが――本当に、何事なんだろうか。
少年は違和感と若干の恐怖を押し殺しながら、そんな相手に向かって威勢よく噛み付くスタイルを一貫していた。
――が。
「名前なんだっけ?」
「レンだよ! 何回名乗らせる気だ!」
「吠えるなって。他人の顔と名前覚えんの苦手なんだ」
「覚えろよ!? あんた尋問担当だろうが!?」
「うんうん。威勢も、あとツッコミのキレもいい感じだなあ。うちには居ないタイプ」
「舐めてる!? なにここ他人のハナシ聞かないのが通例的な!? 聞いて!?」
――やべえめっちゃ楽しい。
本日の尋問担当は、満面の笑みでレンを弄り倒している。
後ろから、ユノーの『早くしろ』という視線がチクチクと突き刺さっているのには、割とお構い無しであった。
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