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報酬は出す。正規軍の内情に精通している人間が必要だ。連中、協力を仰いでおきながら、どうしてかこっちにはまるで情報を入れようとしない。足が速いとなれば尚更、お前が欲しい。
など、並べ立てられたところで、嫌なものは嫌だ。
「気持ち悪いこと言うなよ! 頭湧いてんのか!?」
そもそも反乱軍に味方する理由がまるでない。正規軍に組していたことも、今となっては無意味な時間であったとは思うが、しかしながら、それが、極端にも元所属部隊の敵対関係に回る理由には全くもってならないのである。
その上、殺したいほどに憎む男の統率する軍隊だなどと、天地がひっくり返ろうとも。
ない。
あまつさえ、その本人から、ニヤついた面で勧誘などされる。
絶対に、ない。
「やだ」
再度断りの口上を切る前に、隣から同意の声が上がって、こいつは意外だとそちらを見やった。唇をへの字に曲げたユノーが、嫌悪感をまるで隠すことなく、断固拒否の姿勢を取っている。
お前もかよ、とジェイが溜息混じりに言うのを聞きながら、何とはなしに、漂う雰囲気からか、彼女は会話に加わらないものと思い込んでいたレンは片眉を上げた。反論自体は構わないものの、こちらにとっては有難いような、腹立たしいような、助け舟のような、嫌味のようなユノーの言葉を、どう飲み下すべきか即座に判断できなかったのである。
「なんだ、ユノー。同族嫌悪か?」
ジェイが尋ねる。
少女は首を横に振った。
「他の理由か?」
「敵だもの」
……。
全くもって、正論である。
異議なし。
「そいつは違うな」
しかし、ジェイはその言葉をガンと一蹴する。
嫌に容赦なく断言したものだ、と怪訝を顕に眉尻を上げた。彼女の方も、途端に口をへの字に曲げて、さぞ面白くなさげな表情へと切り替わっている。
関係の無いことだが、子供のような仕草が異様に似合う女だと感じた。
とても同年の女子には見えない。戦っているときには、反対に随分と大人びて見えたものの、今こうして並んで歩く分には、年相応以下の人間にしか思えず、容姿とのアンバランスな様子に違和感を禁じ得ない。
「お前がベッドで寝ている間に、人間の敵は居なくなったんだよ。ユノー」
聞いた途端、ユノーが拳で壁を殴った。
だから壁にヒビが入ったということもなく、そのダメージはおそらく、そのまま本人へと返ったことだろう。
ドン、と。ただ憤りを覚えているのだと言葉もなく言い残す。
そうしてくるりと身を翻して、コートの裾を揺らしながら足早に去っていく。それは息を吸って吐く行為に等しい、自然な挙動であるように窺えた。
「あーあ。機嫌、損ねちまったなぁ」
「……」
「まあ、サブが何とかするだろう。それよりも、レン。こっちだ」
「え……お、おい! 待てよ、俺ここに入るつもりなんてねえからな!」
「いいから来い」
ぐい、と問答無用に首根っこを掴まれる。少し浮遊感があって、片手で全体重を軽々しく持ち上げられた事実に愕然とし、そして、手網があるというのに態々獣を運ぶ姿勢を取られたことに嫌悪感を抱いた。
薄々勘づいていたことだが、この男。
確実に自分を馬鹿にしている。
腹立つ。
「ここだ」
ふと立ち止まった場所は、何の変哲もないただの廊下であった。今まで通ってきた道と全く変わらない造りで、ただ強いて挙げるならば、レンの銃撃によって其処彼処が凹んだり、反対に出張ったりしているところが相違点だろうか。応接室からここまでの道程にも多少は傷が見受けられたが、特にこの場所は酷いように思える。
見覚えがあるか?と問われた。
見覚えも何も、来た道である。そう答えた。
「そうそう。お前が弾ァ散らかして蜂の巣にした、壁とか、床とかな。んじゃ次はこっち」
そこからまた、何処かへと先導していく。歩きながら、ジェイの示さんとする意図が読めずに、レンはひたすらに混乱した。
館案内のつもりだろうか。
だとすれば、それほど巫山戯た話があるものか。
油断のならない奴だということは承知している。おそらくは、レンが正体に気付いていることにも、ジェイは気が付いていることだろう。その上で護身役のユノーの離脱を平然と見送って、縛り上げているとはいえ、すぐ届くような距離に――腰に、ナイフを携えている。
刃物で人を殺める手段など、これまで考えたこともなかった。
しかし、ユノーがそのイメージの片鱗をまざまざと見せ付けた。一瞬の出来事であったが、あまりに驚異的と脳が判断したために、その腕の動きと足運びは、体幹の捻り方は、瞼に焼き付いている。
真似をしようと思えばできる程度の、シンプルな動きのように見えた。
あの腰の獲物を奪って、喉笛に届かせることが。
徐ろに標的が立ち止まる。
その瞬間、殆ど反射と言って良い。手が伸びた。正しくは足が持ち上がって、留め具の無いナイフのホルダーを下から蹴り上げていた。
空中に弧を描き刃先を晒したそれを後ろ手に取って、縄を切り落とす。
その間ものの数秒。標的は、素知らぬ顔であったので、余裕綽々の態度が気に入らず、なればそれを死に顔にしてやると間髪入れずに肉薄する。
キィ、扉の開く音がした。
ジェイが目的地のドアノブを回した音だった。
差し向けたはずのナイフは、峰の側を、たった三本の指で抑えられて。
「はい、ここな。見覚えは?」
「ッ……ねえよ!」
「心当たりは」
「ねえっつってんだろ!」
「嘘を言うな。見ろ」
ああ、ああ、もう、本当に。
憎くて、憎くて、仕方がない。
見ろ、と命じられ頭を向けさせられた室内。ようやく一瞥すると、そこにはいくつものベッドが所狭しと並んでいて、うち半数が埋まっている。或いは足を、或いは胸をと、各々に患部は異なるが、共通して銃創に施される処置であるように窺える。
更に近くへ引き摺られ、間近でそれらを観察する。
どれも真新しい包帯だ。
見覚えは無いが、心当たりなら、大いにあった。
「……。俺が、怪我させた人達」
「そう。その数なんと、三十名だ! 軽傷者も含めての数字だが、いやはや、たった数分のうちに良くやるもんだよ。――さて」
「……」
「俺の言いたいことはわかるな?」
だから。
だから何だと言うのか。
ここに居る連中は皆揃って、レンの敵なのである。ジェイ一人の首で片がつくような問題ではないのだ。
自分のしたことは間違いではない。
力が足りなかった。成すことができなかった。だからどうした。そんなことは関係ない。
粛清せねばならぬ男を。
復讐せねばならぬ男を。
殺したい男を、殺そうとした。
それの何が悪だというのか。この世の害悪にしかならないWINGED FLIERというただの暴力組織が、神だなどという無粋な存在のために、正規軍と手を結ぶことは度し難い。
それを、何だ。この救護室の惨状を見て、破壊された壁や床を眺めさせて、よもや自身のしたことを悔いろとでも言うつもりか。
アジトを壊したことを?
無関係の人間を巻き込んだことを?
何を馬鹿な。
戦場では、その程度の損失など、当たり前に起きることではないか。
「……あー! もう! 知るかよ! 何なんだよ、一体!」
「そうか……わからないか。それならば致し方ない、敢えて俺の口から教えてやろう」
「ッ、」
そのとき、レンは見た。
投げやりに叫んだ言葉に、ジェイの顔色が暗く変わったのを、見た。
「――働いて返せって言ってんだよ」
目が、笑っていなかった。
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