向こう側

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 奴はきびすを返してテーブルの方に近付いて行く。この上何をするつもりなのだろうか。俺はただ、歯をくいしばって見守ることしかできなかった。奴はテーブルに手をついて何かをしている。しかし、肝心の手元が見えない。一体何をしているのだろうか。 「クソッ。」  俺は目の前の光景に声を上げて悔しがった。奴の肩越しに、両手にクッキーを持ってるのが見えたのだ。やはり俺のを奪ったのか。どうやったのか分からないが、他には考えられない。だってさっきまではたしかに1つしか持っていなかったんだ。テーブルにもう1枚あったわけでもあるまいし。 「あっ。」  もしやと思って振り返ると、テーブルの近く、ちょうど奴のが見えていた辺りにクッキーが2つ、宙に浮いているではないか。いったい何がどうなっている。奴は俺のを取ったわけではないのか。沸き上がる疑問を横に押しやって、俺はそれに飛びついた。しかし一歩遅かった。もう少しで手が触れようという時に音もなく消えてしまった。まただ。もうちょっとというところで消えてしまう。あいつの手は見えなくなったけど、そこに持っているのは確かなんだ。奴の不思議な力に(もてあそ)ばれているのだ。どんな力かなど、もうどうだっていい。俺のをあいつが取ったのかどうかもどうでもいい。今あいつは2つ、俺は0個。それだけのことだ。  窓の向こうで奴はこちらに向き直り、体の後ろに両手を隠しながらこちらに近付いてくる。その顔が得意気なことといったらない。今さら何だというのだ。そうか。馬鹿なあいつは、両手のクッキーがこっちに見えたことに気付いてないのだ。近くまで来て自慢してやろうという気に違いない。こんな、不思議な力を持っているだけの馬鹿にいいようにやられるなんて。無力な俺は、ただただ奴を(にら)みつけた。  クソ野郎。クソ野郎。向こうがあんな卑怯(ひきょう)な力を持っているなんて。通りで初めから高慢な笑みを浮かべていたわけだ。初めから勝てっこなかったんだ。そう頭の中で叫んでから、俺は水をかけられたように突然我にかえった。  本当にそうだっただろうか。たしかに不思議な何かが起きている。でも、さっきは目の前にあったのにとれなかった。それは、そこにあると気付くのが遅れたせいで。そもそもそれは、クッキーが消えたのをあいつのせいと決め付けて、あいつばっかり見ていたせいだ。顔から引いていった血がまた一気に逆流してくる。なんだか急に恥ずかしくなってきた。不思議な状況にあいつは対応して、俺は対応できなかった。ただそれだけのことなのかもしれない。  あの憎たらしい顔を(ゆが)ませてやろうと思っていたのに、見事に返り討ちにあってしまった。いや、勝手に俺が自滅したのか。窓に近付くに連れて、あいつの顔が近くなる。本当は見たくもない。ただ(みじ)めになるだけなのが分かっていてわざわざ目を見開く者などいるだろうか。しかし今はまぶたを閉じることも、目線をそらすことさえ許されていない。奴のにやけ面が間近に突き付けられる。しかもどうやらにやけているだけではなくて、何やらくすくす笑っているようだ。馬鹿にしているのか。内側と外側から追い詰められ、憎しみと恥ずかしさが膨らんでいく。無言で耐え続けるなど、俺にはもうできなかった。 「このク…。」
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