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家族が眠る場所に帰って来たので私も入れてくれ
「着いたか、懐かしいな、駿河の風だ。」
「おぉ〜」
「これが、第2の京とまで言われた場所ですか...」
駿河の風、右側から、左側に吹いてくる、甘い草の匂い。
暖かな、人の笑顔がそのままなったようなその日差しが一行を柔らかく包んでいる。
うん。良い風、良い日差しだね。
風は大事だ、空気も大事だ。正確にはここは私が長年住んできた城では無いが、それでもここに私の母がいた。
ここが、私の故郷だ。
京の重い空気とはまた違う、良い意味での下品さを感じる。
街道にはずらりと商店が並び、人がこれでもかと言うぐらいの渋滞っぷりだ。人々の顔には笑みが浮かんでおり、悲観的な顔をしている者はいない。
通りの途中では、芸人が芸を見せていた。
そんな通りを、今私たちは歩いている。
今川の天下という、あり得ないにも関わらず現実としてここにあるIFの現実世界という矛盾。
もう、この世界の方が長い筈なのに、この世界が夢のように感じるのは、駿河が慣れない場所だからだろう。
いや、元の世界の記憶の方が夢なのか?
元の世界の記憶は、実はもう朧げにしか思い出せない。
みんな、朝目が覚めたとき、昨日見た夢を少しだけ覚えていることがあるだろうか?
今の私は、それがずっと続いている程度の記憶量しか保持していない。
どんなことがあったか、どんなものがあったか。
曖昧だ、元の世界の家族の顔も、少しずつ、霧のように不鮮明になって行く。
これから爺になれば、もっと無くなるのだろう。
これが転生したからなのか、自然なことなのかは不明だ。
誰でも40年もしたら大抵のことは忘れてしまうだろうからな。
「ご隠居様、それより良いのですか?」
「うん、何がだ?」
幸村がこちらを心配そうに見てくるので、私は思わずそう返す。
「いえ、編み傘で顔をお隠しにはなっていますが、ご隠居様は今川の英雄。こんな場所で正体が露わになってしまえば、騒動になるのは間違い無しかと」
あぁ、まぁそれはそうだな。
一応私は実質的な天下人の弟だ、そんな私が普通に馬に乗ってその辺にいたらそりゃあ混乱するだろうさ。
恐らくここにいる民衆が全員、土下座し始めるだろう。そう言うの苦手なんだ。私はそんな大層な人間では無い。
まぁそんなことも起こりえないんだけどね。
「問題無い、私がここに来たのは、ほんの数回しか無いからなぁ。それも殆どがお忍びでだし民衆が私を知っている可能性は低いだろうさ」
「え?しかし、ご隠居様の御両親もこちらにお住まいだった筈では?」
「父上は私が幼い頃死んだし、母上も、まぁ今川家も色々あるのだよ、幸村。」
「は、はぁ...」
色々どころじゃ無いんだな、これが。
私は幼かったから適当に流していたが、兄義元は今川氏親の5男として生まれた。
幼名は芳菊丸、本来なら今川家を継げるような立場の人間では無い。兄義元は仏門に出されてそこで知識を得ていた。
兄義元が7歳、私が2歳になったときに父上が亡くなり、続いてその跡を継いだ私の兄の今川氏輝が急死した。ちなみに、その次に継承権があった今川彦五郎まで同じ日に死亡している。
明らかに何者かに殺されているのだが、私はこの事件の犯人は兄義元だと思う。
まぁ若干17歳の兄義元が家臣にどうやって2人を殺させたかは不明だが、ともかく兄が関わっているのはほぼ間違い無いだろう。
なーにがお歯黒デブ大名だ、後世で散々叩かれている今川義元だが、お歯黒などの貴族かぶれな格好は高貴な者にのみ許されたと言われる格好であるし、そもそも兄はデブでは無かった。
あれ全部筋肉だよ、筋肉。
迫力もある、まぁワンマンだったのは間違い無い。あれは根っからの独裁者だな。
さて、そんなこんなで華麗に家督を継いだ兄だが、ここで不味い事態が起こる。
福島越前守の反乱だ、福島氏は父上の側室の子供である玄広恵深を擁立して乱を起こした。
まぁ、これは兄上が鎮圧したのだが、ここでお鉢が回ってくるのがぐうたらしていた私輝宗。
親戚が乱を起こした直後なんですが、私生かしておいて大丈夫?みたいになったのですよ。
いや、私が兄の立場だったら絶対私のこと殺してたと思うんですけど、まぁそこは兄上。なんとか生かして、今川領の隅っこで息をする資格を得たと言う訳です。
まぁそういう立場の私は、今川館に近づくと色々と煩く言う家臣もいるわけで。
それで私はこの駿河の地は好きでも、駿府城や今川館には数度しか出入りしたことは無いという事なのです。
説明終わり。
まぁ、身内の恥を幸村や慶次に教えることも無いだろうし2人とも賢い。いずれ気付くだろう。
「さぁ、もうすぐ今川館に着きますぞ。」
「わぁ、それにしても利益殿。良くこの地を知っておられるのですね!」
「一時期このあたりをふらついてた時があってな、まぁその時の記憶頼りよ。」
そうすると、今川館の赤い門が見えてきた。
なんとなく、増築されたような気もする。そりゃそうだ、天下人が直接治る場所だ。
徳川家の江戸みたいなものなんだから、そうなって当然かと言われれば当然かぁ。
懐かしい。
母上がお亡くなりになってから今川館には一度も来ていないから、なんとなく懐かしい気配すらある。
さて、今の今川館には...
アイツらがいるか。
耳栓、欲しいなぁ。
◇◇◇◇
「父上ぇぇぇぇえええええええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!何故ここにぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!」
うるさい。
今川館に話を通して、門を通った10分後くらいにこの男は来た。
うん、速すぎぃ...
うるさい...
抱きついてくるな、もういい歳なのに...
「爺様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああお会いしとうございました!!!!!!!!!」
うるさい。
何この親子、揃って私から離れねーんだけど。
暑い!苦しい!やめい!!
うっとおしぃ!うざったい!
「やめんかぁ!馬鹿息子に可愛い孫ぉ!」
「あぁ!父上が素っ気ない!これが子離れ!?反抗期!?」
誰が反抗期じゃ、アホ。
我が息子と、我が孫。
息子の名は今川輝元、正式名称が今川美濃守輝元。
孫の名が龍臣丸だ。
息子はとっくに私が守っていた城を継ぎ、孫も元気に育っておる。
それにしても、良い歳こいた大人が、うざったいと言うか。親として喜ぶべきなのか憂うべきなのか半々ではあるなぁ。
いや、やっぱりウザいわ。
「皆、変わり無いか?」
「はい、大殿から任された土地を特に問題無く治めておりますが...」
「が?」
「私なりに新しいことにも挑戦しておりますが、なんとも上手く行きませぬ。」
輝元が不思議そうに首をひねる、それを見て思わず笑みが出てしまった。
「それで良い」
「はぁ」
「そう簡単に新しいことができてたまるか、人を見よ。この地にいる民達を見るがいい、皆生きる為に働くことで手一杯なもののなんと多いことか。そういった者達に比べれば、成果の出ないかもしれないようなものに手を出している私たちは余裕がある。」
輝元は凡人だ、そりゃあそうだ私の息子だからな。
特にそんな厳しく育てた覚えも無いのにそれなりに器用貧乏に育ち、なんでも器用にこなせる。
野心も少ない、そういったところが氏真に評価されて今では美濃一国の主人だ。
自慢の息子だよ、本当。
若干ファザコンなところが玉に瑕だがね。
若干?
若干とは...
やめよう、頭痛くなってくる。
「龍臣丸はどうだ、変わり無いか?」
「はい、傅役の者も優秀な者ばかりです。呼びますか?」
「良い、2人が役に立っていると言うのだ。これ以上のことは無いよ。」
龍臣丸、いずれは氏真の息子の側近にして信頼関係を築いて欲しいな。
傅役と言うのは簡単に言えば教育係のようなものだ。
教師であり、先生となる。
そんな大役を、私は2人の男に押し付けた。
まぁ押し付けたも何も、戦国時代では当たり前のことではあるのだが、
1人は明智光秀。
裏切り者という印象ばかりが目につく明智光秀だが、実際に会ってみるとその辺にいそうな苦労性の若者だった。
体は細く、色白で、出会った時は私と同じぐらいの歳だと聞いているのに髪の毛には白髪がいくつもあるという、見ていて涙が出てくる様子だった。
真面目、勤勉、そして経験。そう言ったところを組んでくれると私は思っていた。
龍臣丸の文の部分を表していると言ってもいい。
裏目に出たのだが、それはまた話そう。
もう1人は島左近、歴史では石田三成の下で猛将として活躍した男だ。
出会った時は荒くれ者の若獅子、強さで言えば慶次と同等か。いや戦を知っているという点では慶次よりも上だな。
なんにせよこの男が武の部分を表しているのは間違い無い。
龍臣丸を一言で言うならば悪ガキだ。
これは私にも輝元にも似ていない、別名罠丸とも呼ばれている。
その名前の通り、罠を仕掛ける天才だ。今川家には百田三太夫と言う史実では有名な忍びがいるのだが、その男ですら唸らせる罠が多くある。
しかも上手くやると死ぬレベルものもある。
はっきり言って最悪だ。
まぁ、私にとっては可愛い孫だがな。
「今夜は今川館に泊まりますか?」
「あぁ、すまぬな。少しの間だが世話になるぞ。」
京都から駿河、京都から静岡って結構な距離だ。
それに冬の雪もある、この時代の雪は辛いんだ。
少なくとも、冬を超えるまでは駿河にいよう。
そう決意する輝宗であった。
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