1 三上哲雄 

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1 三上哲雄 

「うちの子なんて、最近は可愛げもなくなったわ。『ご飯の炊き方が悪い。べちゃべちゃなんてありえない』そんなこと言うのよ。生意気だと思わない?」 「本当に?」 「言うわよ。ついこの間までは可愛いげがあって、なんでも、はいはいって聞いてくれてたのに。もう、いつからそうなってしまったんだろ?」 「旦那に似たとか?」 「そうそう。そうなのーー」  今日最後の客は、たまに店にやってくる主婦の二人だった。皿を洗いながら見えるその集いは、気持ちよさそうに会話を弾ませていた。  二人は一体いつから店にやって来ているのかは分からない。いつの間にか食事を注文して、いつの間にかデザートも食べてくれていた。見事と言えるほどその皿には、固形物が何も残っていなかった。  会話が耳に入る様になってから、彼女達はこんな話を延々としている。話を聞いているのかいないのか、適当に相槌をしては、片方がまた自分の話をする。その繰り返しだ。専ら家族の話か、誰かの噂話に愚痴。そんな事ばかりだった。  由希子もこの人達と同じようにボヤいていたのだろうかーー。  ふと、そんな気持ちが過った。しかし、それは分からない。ボヤいてたかもしれないし、ボヤいていないかもしれない。もう彼女の声は、随分と長く聞いていない。 「あなたとは、もう無理かもしれない」 「どういうこと?」 「どうもこうも、そう言うことなの」  「何が言いたいんだ?」 「別れてほしい。あなたには申し訳ないけど」  あの夜。彼女はそう言い残して自分の部屋に閉じこもった。そのままずっと、部屋から出て来なかった。  疲れているかもしれない。精神的に不安定になっているのかもしれない。妊娠中は、気持ちが不安定になると予め聞いていたので、下手に話しかけない方がいいだろう。そう思ってしまった。翌朝になると、昨日はどうかしてた。ごめんなさい。そう言って、謝ってくれるものだと思っていた。  だけど、それが間違いだと気付いた時には、もう遅かった。日が明けると、彼女の姿はなかった。リビングのテーブルの上には、彼女の分だけきれいに記載された離婚届だけが侘しく残されてあった。  なんでだよ。そんな言葉が漏れて、ただ枯らしく耳に入った。
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