2 三上哲雄

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2 三上哲雄

「ねえ、哲雄」  いつの間にか姉の敦子が隣まで来て、不思議そうにこちらに目を向けていた。 「何?」 「具合悪いの?」 「いや、そんな事ないけど。どうして?」 「だって、ずっと呼んでるのに、返事してくれないから」 「ごめんごめん」  しかし、敦子は怪訝に見てきた。 「そんな怖い顔すんなよ」 「お客さんに声かけてくる。もう閉店だからね」 「もうそんな時間か」  掛け時計は、二十一時を示そうとしていた。 「そろそろ店を閉めないとな」  主婦達が帰った後、キッチンのシンクを拭き終えると、客席のテーブルを拭いた。最後に掃除をしてから店を出る事は、この店の習慣になっている。汚れはその日のうちに落としておきなさい。父が口煩く言ってきた言葉だった。  それは見事に、敦子に遺伝されていた。姉は父親同様に、昔から綺麗好きで細かい性格だと思っている。口があまりいい方ではない。繊細で傷付きやすい性格だということまで父親そっくりだった。  俺達がこの店を継いでから、今年で六年目になる。その年に父親が亡くなり、必然的に自分が厨房に立つようになった。  父が体調不良を訴えて病院に検査を受けた結果、入院を余儀なくせざるを得なかった。肺癌だった。医者からは時間の問題だと宣告を受けた。  幼い頃から母親がいない生活が長かったので、この事実はさすがに堪えた。辛いのは病気を抱えた本人だという事は承知しているが、家族がいなくなる事を受け入れなくてはいけない残された人間も辛いという事は、母との別れで経験している。  しかし、現実が突然に変化する事はない。父はそれから一年も経たないうちに亡くなった。俺ももちろんだが、敦子の落ち込み方は、見ているだけで明らかだった。  父の葬儀にはたくさんの人がやって来てくれた。それが、父が愛された証拠だと思うと、息子として嬉しくもあり、尊敬をしたほどだった。  今自分が亡くなったら、こんなにも人が悲しんでくれるのだろうか? きっとこうはならないだろうな。これは自分の見解だった。父ほど、ここまで人に何かを与えた人間ではないと思っている。俺は所詮、その程度の人間なのだ。生涯を共に過ごす約束をした妻一人でさえも、離れて行ったのだから。
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