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気が付けば朝を迎えていた。
それから、俺は変わってしまった。
何かに取り憑かれたように、内側から声がまとわりついていた。分かっているのに。もう聞きたくないのに。ずっと治る事を知らなかった。
数時間後には、棚に仕舞っていた離婚届を乱雑に書きなぐり、無愛想に役所に届けた。迷いとか、そんな気持ちは何処にもなかった。もう、何もかもどうなっても構わないと思った。そして、その日の内に、仕事も辞めた。
由希子とは、もちろん連絡は一度も取っていない。話す気にもなれなかった。もしかしたら、あれは嘘だったんじゃないか? そんな疑問も湧いたが、すぐに振り払った。もう関わる気にならなかった。
それからはもう、彼女と会う事はもちろん、顔も見たいと思わなかった。
そして、地元を離れた。意味もなく、縁のゆかりも無い東京で暮らした。本当に理由はない。ただ、生まれた田舎町の景色から離れたいと思った。そんな単純な理由だった。
思えば、どうして自分がそんな事をしなければいけないのかわからない。何も悪い事をしていないのに。だけど、俺は自分から離れた。再会を避ける為に。過去を記憶から消したいがために。何もかもが忘れるために。
しかし、二十年以上経った今、父の不幸をきっかけに、この街に戻ってきた。忘れる事はできていないが、さすがに時間も経てば、当時ほどの乱れは、落ち着きを取り戻している。これからもそんな日々は変わらない。そう思っていた。
昨日の事だ。
市内に買い物に出かけたその帰りに、俺は由希子の姿を目にしてしまった。
信号待ちしていた時、国道沿いにある葬儀場で、由希子が見知らぬ人達に肩を支えられながら、その中に入って行ったのだ。
その前には、大きな看板が掲げられていた。
『吉岡家 故吉岡玲奈』
無意識のうちに、車を路肩に停めていた。ずっと目の前の光景を見入っていた。
葬儀場には、若い人の姿が多かった。
まさか、そんな事は・・・。
想像で作られる故人は、あの時にお腹にいた娘の亡骸だった。
しかし、それはあくまでも想像である。だが、一度浮かんでしまった想像は、簡単に頭から消す事はできなかった。吉岡という苗字は由希子の旧姓になる。玲奈という名の親族は聞いた事がない。こんな偶然があるのだろうか?
目にする事ができなかったは少女は、亡くなってしまったかもしれない・・・。
そう思ってしまうと、やるせ無い気持ちが大きくなった。悪い想像は頭が破裂するんじゃないかと思うほどに、大きく膨れ上がった。萎む事を知らなかった。
ただ茫然と見つめていた。
光景はしっかりと形を残したまま、今でも頭から離れていない。こうして今でも頭に居座り続けている。
気持ちが暗に染まり、時に騒ぎ出す。ずっと感情を掻き乱す。また俺は、由希子から離れなくなっていた。
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