2 三上哲雄

3/3
43人が本棚に入れています
本棚に追加
/101ページ
 気が付けば朝を迎えていた。  それから、俺は変わってしまった。  何かに取り憑かれたように、内側から声がまとわりついていた。分かっているのに。もう聞きたくないのに。ずっと治る事を知らなかった。  数時間後には、棚に仕舞っていた離婚届を乱雑に書きなぐり、無愛想に役所に届けた。迷いとか、そんな気持ちは何処にもなかった。もう、何もかもどうなっても構わないと思った。そして、その日の内に、仕事も辞めた。    由希子とは、もちろん連絡は一度も取っていない。話す気にもなれなかった。もしかしたら、あれは嘘だったんじゃないか? そんな疑問も湧いたが、すぐに振り払った。もう関わる気にならなかった。  それからはもう、彼女と会う事はもちろん、顔も見たいと思わなかった。  そして、地元を離れた。意味もなく、縁のゆかりも無い東京で暮らした。本当に理由はない。ただ、生まれた田舎町の景色から離れたいと思った。そんな単純な理由だった。  思えば、どうして自分がそんな事をしなければいけないのかわからない。何も悪い事をしていないのに。だけど、俺は自分から離れた。再会を避ける為に。過去を記憶から消したいがために。何もかもが忘れるために。    しかし、二十年以上経った今、父の不幸をきっかけに、この街に戻ってきた。忘れる事はできていないが、さすがに時間も経てば、当時ほどの乱れは、落ち着きを取り戻している。これからもそんな日々は変わらない。そう思っていた。  昨日の事だ。  市内に買い物に出かけたその帰りに、俺は由希子の姿を目にしてしまった。  信号待ちしていた時、国道沿いにある葬儀場で、由希子が見知らぬ人達に肩を支えられながら、その中に入って行ったのだ。  その前には、大きな看板が掲げられていた。 『吉岡家 故吉岡玲奈』  無意識のうちに、車を路肩に停めていた。ずっと目の前の光景を見入っていた。  葬儀場には、若い人の姿が多かった。  まさか、そんな事は・・・。  想像で作られる故人は、あの時にお腹にいた娘の亡骸だった。  しかし、それはあくまでも想像である。だが、一度浮かんでしまった想像は、簡単に頭から消す事はできなかった。吉岡という苗字は由希子の旧姓になる。玲奈という名の親族は聞いた事がない。こんな偶然があるのだろうか?   目にする事ができなかったは少女は、亡くなってしまったかもしれない・・・。  そう思ってしまうと、やるせ無い気持ちが大きくなった。悪い想像は頭が破裂するんじゃないかと思うほどに、大きく膨れ上がった。萎む事を知らなかった。  ただ茫然と見つめていた。  光景はしっかりと形を残したまま、今でも頭から離れていない。こうして今でも頭に居座り続けている。  気持ちが暗に染まり、時に騒ぎ出す。ずっと感情を掻き乱す。また俺は、由希子から離れなくなっていた。
/101ページ

最初のコメントを投稿しよう!