【長州】珍妙なる風景

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今日も今日とて家の手伝いを終えた百姓の子藤太は泥だらけな衣を気にすることなく、手習いの道具を一式抱えて近道だからと道とは言えない草叢の合間をひたすらに駆けていた。 「よかった。間に合ったーっ」 呼吸荒く村塾に着いたところで見慣れた風景とは異なることに気がついた。 「あれは・・・」 塾の濡れ縁にひょろりと細長い影が見える。 額から流れている汗を袖口で乱暴に拭いながら近づいてみると、藤太の思ったとおりの人物がそこに姿勢正しく腰をかけている。 「山縣さん。こんな所でなにをしちょるんですか?」 拭っても拭っても未だひかない汗に閉口しながらも藤太も話しかけた人物の隣に腰をかけた。 殆どの人間が好んで話しかけることは滅多にないのだが、この藤太に至ってはそんなことはお構いなし。 己と大分に違う性質のものをみると途端に興味を抱かずにはいられないらしい。 「・・・・・・・」 声を掛けたはいい。 だが期待した返答が貰えないことが少しばかり不満である。 負けじともう一度声を掛けてみる。 「・・・何だ」 この世を憎み恨んでいるかのような眼差しを持ち、これが自分と同じ人間なのだろうかと塾に来て初めてこの男を見たときに受けた印象であった。 今もようやっと引き出せた言葉はひどく冷たく寒々としている。 藤太は僅かに身を震わせると自身の汗が引っ込んでいることにある種の感動を覚えたほどだ。 「すごいなぁ。あんなに汗だくだったのに、山縣さんの傍におっただけで汗が引っ込んでしもうた」 「何の話だ」 「だから、山縣さんはすごいと言うたんです」 「・・・?」 「今の今まで僕は物凄く暑かったのに、山縣さんの傍に来た途端にかいた汗が一気にひっこんだっちゅう話ですよ」 「なんだそれは」 元々が大きい眼を日差しのせいなのか分からなかったがすぐにそれを細くして自身の肩の位置にある藤太の顔を見る。 慕って近寄る者などないに等しい自身の性格を自覚している山縣にとっては藤太のような者は珍物だった。 何が楽しくて自身に話かけてくるのか。 山縣はじっとその珍物たる藤太を瞬きせずにじっと見つめるばかりで。 いつもであれば此処で山縣の視線に当てられる居心地の悪さに腰を上げる人間が多いのであるが、藤太はそんなことは気にもしない。 むしろ先ほどから瞬きをしない山縣が心配になってきた。 「あのう・・・。山縣さん」 「・・・なんだ」 「そのう、乾きません?」 「・・・・・・・・なにが」 「め、めですよ!」 そういえば・・・・・・。 「・・・・・・目玉が乾いて瞼がとじれん」 この後直ぐに藤太の叫び声で、松下村塾は大騒ぎとなる。 何とも珍妙な組み合わせなことよ。 偶然にも近くを通りかかった吉田栄太郎の視界には自身が評した『棒切れ』の山縣と愛くるしい眼を大きく見開き、興味深げな面持ちの藤太を収めて人知れず口元を緩めた。 「あいつは色んな人間に新たな一面を引き出させる。さながらそれは・・・・・」 ふふふと奇妙な笑いを残して栄太郎はその場から立ち去ったのであった。
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