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3月28日(土) 法被とエプロン
「蒼大、ほんと悪いわね。アルバイトさん、急に休みになっちゃったからお店出ないといけなくて。」
母さんはバタバタと支度をしながら言った。
「・・・別にいいよ。暇だし。」
今日は俺が住む町の一丁目~三丁目が合同で行う毎年恒例の桜祭りだ。母さんはそこで出店の手伝いをする予定だったが、急遽出勤になってしまったので、俺がかわりに行くことになった。
一昨日、爽乃の弟に追い返され彼女の家を離れてからスーパーに戻ってみた。しかしそこにも彼女の姿はなく、また家の方に行ったり戻ったりをしてみたものの会うことは出来なかった。
帰宅して電話をしようと投げ付けてしまった携帯を拾い上げたら電源が入らなかった。爽乃とはメッセージアプリでしか連絡先を交換していなかった。PCからアプリにログインしてみようとしたものの、パスワードを設定していなかったし、俺はSNSをやっていないからもちろんSNSとの連携も行っていなかった為認証が出来なかった。元々メッセージアプリではほとんど家族としか連絡をとっていなかったし、連絡できなくなって困るような人はいなかったので、このような事態に備えていなかったのだ。
町内会が同じなら配布された名簿に家の電話番号が載っていたが、俺の家は二丁目、彼女の家は一丁目で違う町内会に所属していた。ダメ元で住所から電話番号がわからないかネットで検索したり、電話番号を教えてくれる番号にかけてみたものの、彼女の家は電話帳登録をしていなかった。まるで本当にストーカーみたいだと思った。携帯が壊れたら連絡できない・・・なんて脆い関係なのか。携帯の電話番号やメールアドレスを聞いておけばよかった。
もうこうなったら手紙しかない。切手を貼らず直接彼女の家のポストに入れたらストーカーからの手紙と思われるかもしれないので、ちゃんと郵便局を通すことにした。
普段手紙を書くことなんてないし、自分のこの複雑な気持ちを表現するのが難しくて書くのに何時間もかかってしまった。夜遅く郵便ポストに行くと当然のように今日の集荷は終わっていた。速達にしたので土曜日、つまり今日の午前中には届くはずだ。近くに住んでいるのにすぐに話せない。もどかしくて仕方がなかった。歴史や古典の授業で習ったように、電話がなかった時代の男女はこんな風に恋愛をしていたのだろうか。
祭りの会場である広い公園に着く。出店で使うものは車で運んでくれてあるそうで、直接店の場所に行けばいいと言われた。
母さんはくじ引きの担当らしい。祭りの受付で小学生以下は一枚くじ券がもらえるという。紐の先におもちゃやお菓子が結んであって、好きな紐をひいて当たった賞品がもらえるシステムだ。システムというほどのものではないが、子供の頃このくじが結構好きだったなと思い出す。お目当ての商品が結ばれている紐を辿ったはずなのに、紐をひいてスルスルと上がっていくのは違う賞品だった。それなのにあのワクワク感がたまらなくて、見つけると親にねだったものだった。
よく考えると人生もこのくじに近いところがあるかもしれない。『こうしたらうまくいくだろう』と考えて行動しても思いもよらない結果になる。けれども、くじで当たった商品がほしかったものでなくても意外に嬉しいように、思ったようにいかないからといって悲観的になることなんてないのかもしれない。そこには思いも寄らなかった新しい展開が待っているのだから。
雲一つない青空にピンク色の桜が美しく咲き誇って、俺はそれを眺めながら気持ちが晴れ晴れとしていくのを感じていた。うまく彼女に伝わるかわからないけれど、やるだけのことはやった。あとは待つのみだ。
そんなことを考えながら歩いていると、紐引きくじの出店があった。母さんがもう一人担当者がいると言っていたのを思い出す。見ると、段ボールの向こう側に髪を結んだ茶髪の頭が見えていた。どうやら女性らしい。
「すみません。茅です。遅くなりました。母が急用で代わりに・・・。」
年上の女性だと思って丁寧に話しかけると、パッと立ち上がったのは・・・爽乃だった。
「「!?!?!?!?!?」」
驚いて声にならない。彼女も同じ状態のようだ。改めて彼女を見ると、白いTシャツに町内会のピンク色の法被を着て、下は黒いスキニーパンツ。髪を一つにまとめ、ハチマキを巻いていた。なんだか疲れた様子の表情も相まっていつもより大人っぽく見え、ドキドキしてしまう。
「・・・このくじの担当、なの?」
先に口を開いたのは彼女の方だった。
「・・・あ、そうなんだ。母さんが急に仕事に行かなくちゃならなくて来られなくなったから代わりに。」
なんだか言葉を交わすのが随分久しぶりに感じて胸がいっぱいになってしまい、なんとかそう答えた。
「え、じゃ、ノリコさんて蒼大のお母さん?皆名前で呼んでいたから名字知らなかったけど。」
「そうだよ。」
「そうなんだ・・・。」
「・・・。」
「・・・。」
二人とも無言になる。どうやって会話を続けたらいいだろう。
「よっ!にーちゃん、ねーちゃん、頼むな!若い人来てくれて嬉しーなー!」
町内会の陽気なおじさんが話しかけてきて、二人で会釈をする。
「・・・準備しよっか。準備と言っても紐は賞品に結んであるから箱にセットしたり看板とか立てたりするくらいだけどね。」
おじさんを見送ると爽乃が微笑みながら言った。すっかり以前の瑞々しさを取り戻していた俺の心はその笑顔にキュンと音を立てた。
それから準備の間も祭りの最中も、後片づけの時も俺達はくじや桜の話しかしなかった。片付けが終わり爽乃に声をかけようとするとさっきのおじさんが寄ってきた。
「よっ!お疲れ様!助かったよ!悪いけど、にーちゃんは力仕事手伝ってくんねーか?じじいばっかだから、若い力が必要でよ。」
「わかりました。すぐ行きます。」
おじさんが離れると、行かねばならなくて急いでいる勢いを利用し早口で彼女に話しかける。
「連絡したかったんだけど、一昨日携帯壊れてさ。メッセージアプリもログインできなくて。今代替機使ってるんだ。電話番号とメールアドレス聞いてもいい?」
「う、うん。」
「ありがと。後で連絡する。」
彼女から連絡先を教えてもらうと、おじさんが歩いて行った方向に走り出して、ふと思い出して彼女の元に戻る。
「なんとかして連絡とりたくて爽乃に手紙出したんだ。多分今日届いてるけど絶対開けるなよ。ちゃんと口で伝えたいんだ。」
「わ、わかった。」
彼女は俺の勢いに少し圧倒されていた様子だったがそう言って小さく頷いた。
片付けが終わり町会事務所に戻るとあっという間に打ち上げが始まった。
「にーちゃん、悪かったな。結局最後まで付き合わせちまって。助かったよ。ほい、お疲れさんのビール・・・は駄目か。おい、ジュースとってくれ。」
先程のおじさんが他のおじさんに声をかける。
「あの、ありがとうございます。でも、俺、急ぐんで。」
俺はそう言って皆に挨拶し町会事務所を出ると、爽乃に電話をかけた。指を動かすのももどかしい。早く会いたい。
「今から家に行ってもいいか?」
電話が繋がると『もしもし』も言わずにそう聞いた。
『いい、けど・・・。』
彼女の返事を確認し、『今から行くから。』と言い終わると同時に電話を切って走り出す。
息を切らしつつインターホンを鳴らす。モニターに姿が映っているのだろう。すぐに『今行く』と爽乃の声があって、玄関の扉が開いた。
「どうぞ。」
そう言って迎えてくれた彼女はさっきの白Tと黒スキニーの上にエプロンをつけていた。オフホワイトの生地にレトロな感じのいちご模様。裾は二段のフリルになっていた。祭りでの大人っぽい姿とはうってかわり可愛らしい。新妻ってこんな感じだろうか・・・そんなことが頭に浮かんでしまい、すっかり復活した心の中の自分に『何言ってんだか。』と突っ込まれる。
「お邪魔します。」
玄関前でも良かったけれど、そう言われたので玄関の中まで入る。爽乃がスリッパを出してくれると、パタパタと足音が聞こえてきて妹が顔を見せた。
「お母さん・・・!?」
母親が帰ってきたと思ったらしい妹は俺を見て驚いていた。何度か会ったことはあるから面識はある。でも『なんでこの人がここに?』という顔だった。
「ねーちゃん、飯炊けたぞ・・・あ・・・!?」
奥から先日俺を追い返した弟が出てきて俺の姿を認めると驚いた顔になる。
「誰か来たの?」
もう一人、先の弟より年下で妹よりは年上と思われる弟が出てきた。きょうだい全員集合だ。
「あ、蒼大、やっぱり外行こうか。」
弟達と妹の視線に耐えかねた爽乃が脱いだばかりのサンダルを履こうとする。
「いや、今、ここで。」
俺はきっぱりとした声で言った。もう一秒も先延ばしにしたくない。
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