3月30日(月) 君と桜

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3月30日(月) 君と桜

「一緒にお花見に行きたいな。」 昨日の夜、爽乃からかかってきた電話で彼女に提案されて、今日は住宅街の中にある公園にやって来た。広くはないが人けのない穴場の公園だ。 遊具は傾斜面に作られたローラー滑り台のみで、砂場は使えない状態になっている。あとはベンチが数台あるのみだ。 しかし周囲に植えられた桜の木は見事で、公園がこじんまりとしていることもあり、どこにいても桜との距離が近い。まるで桜に包まれているような淡いピンク色の世界だ。 「すごい、ここ、今まで知らなかった。」 爽乃が感動した様子で辺りを見回している。花見に来たと言うのに俺は桜よりも彼女の表情に釘付けになってしまっていた。最初からこんなで先が思いやられる。 「ベンチ空いてるけど、どうしようか。シート敷く?」 彼女に聞かれて我に返る。 「あ?ああ、俺はどっちでもいいよ。」 「お弁当もあるし、シートの方が食べやすいかも。せっかく持ってきたし。」 二人でシートを広げて四隅に靴を置いて重しにする。続けて彼女がシートの上に並べた彩り鮮やかな弁当に思わず目を見張ってしまう。 「これ・・・何時に起きて作ったんだ?」 「そっそれは企業秘密だよ。」 そう言う彼女の目をよく見ると少し充血しているようだった。 「あんまり寝てないんだろ。」 彼女の(まぶた)に触れるとピクッと震えた。 「・・・私、全然器用じゃないの。勉強も料理も人の何倍も時間かけて頑張らないといけなくて・・・だから、高校生活も勉強ばっかりになっちゃった。」 目を伏せて言うその声は少し寂しそうだ。 「俺も同じだし。それに、爽乃がそうやって高校生活を送ってきてくれたから、この一ヶ月俺は爽乃と一緒に過ごせた。」 俺のその言葉に彼女は目を大きく開いた。 「蒼大・・・。」 彼女の瞳に滲んできた涙を指でぬぐう。ああ、まだ弁当も食べる前なのにもう無理だ。俺は彼女の唇に自分の唇を押し当てた。 爽乃は最初は驚いていたが、すぐに目を閉じて俺に流れを委ねた。しばらく触れて離れてまた触れるのを繰り返す。 柔らかくて温かくて、そして何より爽乃の唇であることに酔いしれた。せっかく弁当出してくれたのに・・・でもあともう少しだけ・・・。 やっと唇を離して彼女を抱きしめる頃には、すっかり全身が熱くとろけていた。 弁当は優しい味付けで見た目以上に美味しかった。容器を片付けて改めて公園を見渡す。ローラー滑り台の方に桜の木の枝が張り出していた。 「滑り台滑ったら桜の木にさわれそうだね。」 爽乃が楽しそうに言う。 「滑ってみたら?」 「えー、この歳で?いいよ。なんか恥ずかしいし、ローラーですごい勢いが出て、どーん!とかお尻打っちゃったら怖いし。」 そんな風に返されたけれど、本当は滑ってみたいのでは、と思った。 「誰もいないし、俺が下で受け止めるから大丈夫。」 「・・・そう・・・じゃ、やってみようかな。」 よく晴れた空の下、爽乃が傾斜面に沿った階段をゆっくり昇っていく。彼女が着ているチュニック───オフホワイトでレースがあしらわれている───が風に膨らむ。なんだか映画やミュージックビデオのワンシーンを見ているみたいで俺は目を細めた。 滑り台の入り口に座った彼女は少し緊張した面持ちを見せた。目が合って俺が微笑むと、心を決めたように滑り始めた。 「わ!お尻が!」 ガラガラとローラーが回転する音がして、尻を抑えて少し戸惑った様子の爽乃の姿が少しずつ近づいてくる。 「あー!」 途中で桜の木の枝に手を伸ばすも、あと少しで触れられなかった。 最後まで滑ってきた彼女を受け止める。 「ははは!」 しっかり者の彼女の子供みたいな姿が可愛くておかしくて笑うと、爽乃は俺の顔を見て切なそうな顔をした。 「ん?」 「笑った顔、大好きだよ。」 顔を上げてそう言った彼女の唇には桜の花びらがついていた。無意識に吸い寄せられる。俺は花びらの上から爽乃の唇に触れた。 今までとは違う深いキス。でもどうしたらいいのかわからなくて、花びらを舌の先に乗せて彼女の口の中をなぞった。初めての感触にどうにかなってしまいそうで、先程のキスのようには長く続けられなかった。 離れると爽乃は色白の顔を真っ赤にして息を吸った。その唇にまだ熱いままの唇でふわりと触れてから彼女の手を引いて立ち上がり、俺は自分の体で大好きな人を包み込んだ。 シートに並んで横になって手を繋ぐ。 「・・・本当は滑り台、やってみたかったの。だから、ありがとう。」 こっちを見て白状する彼女を横目でちらっと見る。 「桜、もう少しでさわれそうだったのに。惜しかったな。」 「ふふ。ね。」 彼女のその抑えたような落ち着いた笑い方が俺は好きだった。空から彼女に目を移す。その笑顔は控えめなのに太陽よりも眩しく感じた。また触れたくなってしまう。 「蒼大といると、どんどん世界が広がるね・・・。」 彼女は目を閉じて気持ち良さそうにそう言うと、そのまま無言になって眠ってしまった。一生懸命弁当を作ってくれて寝不足だからだろう。 俺は上着を脱いで爽乃にかけると、彼女の前髪を上げておでこにキスを落とした。
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