168人が本棚に入れています
本棚に追加
3月3日(火) トイレットペーパーと生徒手帳
───やっちゃったな・・・トイレットペーパーと箱ティッシュは荷物になるから同時に買いに行くことにならないように、ストックが少なくなってきた方から買いに行くようにしているのに・・・。
学校の帰り、大型スーパーに寄った私は、右手にトイレットペーパー、左手に箱ティッシュを持って、右肩には学校のカバン、左肩にはお買い物バッグをかけていた。
しかも今週に限ってお母さんが生協の宅配の注文を忘れたらしく食材もたくさん買ったから、お買い物バッグだけでなく学校のカバンの中にも食材が詰まっている。
───学校の指定バッグがリュックまたは自由だったらな・・・あ、大学に入ったら自由になるのか・・・どんなバッグにしよう・・・。
そんなことを思っていると、両手に持ったトイレットペーパーとティッシュがふっと消えた。
「え?」
「・・・荷物たくさん持つの好きなの?」
振り返ると昨日妹を小学校に迎えに行った時に会った男の子───カヤくん、といっただろうか───が両手に私が買ったものを持っていた。
「・・・えーと?」
「家まで持ってくよ。ここで買い物してるってことは近くなんだろ。昨日荷物持ってもらったし。」
「そんな、いいよ。いつものことだし。」
「俺、借り作るの嫌いだから。」
彼は私を追い抜いてさっさと歩いていった。
「私、『借り』なんて思ってないよ。」
「・・・。」
彼に追い付いて言っても返事はない。
「・・・あ、そうだ。」
思いついてお買い物バッグをごそごそやるけれど、こっちじゃなかった。カバンの方だ。
「?」
「今日、お雛祭りでしょ?雛菓子が4つでいくらって安く売ってたんだけど、うち6人家族だから中途半端で、8個買ったから2個余ってるの。だからよかったら持ってって。」
カバンをごそごそやるけれどなかなか見つからない。
「・・・じゃあ、そこで一緒に食わない?」
カバンを覗き込む私を見ていた彼は公園の方に目をやって言った。
「・・・あ、うん。」
自販でそれぞれお茶を買ってベンチに腰をおろす。男の子とこんな風にベンチに二人で座るなんて初めての経験だ。しかも昨日会ったばかりの、名字しか知らない人と。
「弟くん、体調どう?」
隣に座る彼の顔を見るのはなんとなく恥ずかしくて、前を向いたまま言う。
「昨日、病院で薬もらってかなり良くなって普通に起きて遊んでるよ。俺今日学校行かなくちゃならない日だから、ばあちゃんが見てる。そっちは?」
「元気。うちは元々ひどくなかったし。お母さん今日仕事休みの日だから念の為学校休んでるよ。」
「よかったな。」
うららかな春の空の下、穏やかな沈黙が流れた。
「・・・このお菓子美味しいね。見た目もかわいいし。」
そう言って隣のカヤくんをちらりと見ると美味しそうに味わって食べていて、なんだかかわいらしいと思ってしまった。
「うん。美味いな。」
「あ、粉こぼれた。」
制服に落ちた粉を手で払っていると彼が私の上半身を見る。昨日も今日も暖かくてコートは着ていなかった。
「───その制服・・・頭いいんだな。」
「え、あ、いや・・・そっちこそ。」
彼の制服は黒の上下、ボタンなしの学ランで、襟の縁から前で合わさる部分、裾まで明るいグレーのラインで縁取られていた。歴史ある進学校で有名な男子校の制服だ。
───よく見てみたら、私達の制服、同じ学校の男子と女子の制服みたい。
「・・・でも、意外と校則緩いのか?髪、こんなに茶色くて大丈夫なんだ?」
ふいに、ごく自然な動作で彼が私の肩より少し長い髪に触れた。髪から頭皮に彼の指の温度が伝わって、一瞬にして全神経がそこに集中し、顔がかあっと熱くなる。人前に出たりして緊張する時とはまた違う感じだ。
「・・・あ、ごめん。」
私が俯いたからか彼は手を離した。きっと今私すごい変な顔してるんだろうな。
「こ、これは地毛だから。学校にも地毛届け出してるの。入学した頃は美容院で黒染めしてたけど、一週間もたたずに茶色くなって来ちゃって・・・。」
「言われてみたら肌も白いもんな。元々色素薄めなんだ。ハーフとかじゃないよな?」
「違うよ。顔、思いっきり日本人でしょ。瞳は黒だし。」
「本当だ。」
そう言うと、彼が私の目をじっと見てきてドギマギしてしまう。
───やだな。恥ずかしい。一人で動揺して。
「産まれた時はもっと髪の色明るくて、親は大笑いしたみたいよ。当時うちの両親二人ともギャルだったらしいから。『子供まで産まれつきギャルじゃん!ウケる!』とか言って。」
「ははは。」
柔らかく笑うその笑顔に思わず目を奪われてしまった。
「・・・。」
───そう言えば昨日から私この人とすごく自然に会話しているな。学校でだってこんなに話さないのに。この人の雰囲気がそうさせるのかな。一緒にいて心地良いっていうのは言い過ぎだけれど、なんか全然気を遣わないでいられる。
「・・・名前。」
「え?」
「名前、なんて言うの?」
彼はお菓子を食べ終わり、ペットボトルのお茶を一口飲んでから聞いてきた。
「・・・菜野爽乃。」
「ナノサヤノ?韻踏んでる?どういう漢字?」
聞かれて私はカバンのポケットに入っている生徒手帳を取り出して顔写真の隣に名前が書いてある面を彼に見せた。
「変わった名前だな。」
「なんとなくかわいいからってつけたみたい。どうせならひらがなの方が良かったな。『爽やか』っていう漢字、よくない意味あるし、書く時もバランスとりにくくて・・・あ!写真見ちゃだめ!ひどいから!」
「・・・くく、ごめんもう見ちゃった・・・。」
彼は笑いをこらえているようだった。
「だめだめ!見ないで!」
手帳を取り返そうとすると、私が座っているのと反対側の方の手に持って遠くにやられてしまう。
「ひ、ひどい・・・これ、マジで・・・普通さ、写真ひどいって本人が言ってても、客観的に見たら普通じゃん?・・・ひひ・・・でも、これは本当に・・・あはははは!」
彼は写真と私を見比べてついに笑いを爆発させた。
「もう、返してって!・・・あっ!」
手帳に届くように思いきり体を伸ばしたら彼の膝の上に倒れこんでしまった。
「ご、ごめん!」
急いで離れる。心臓がドキドキする。何これ・・・。
「・・・えと、就活とかお見合いとか写真でNGになりそうだよな。」
彼は少し気まずそうな様子で言う。
「そ、それはそう、加工しないと駄目だよね。」
「・・・あ、俺は茅蒼大。」
生徒手帳を見せてくれる。
「写真、実物そのままだね。」
そう言うと彼の口元が緩む。思い出し笑いでもしそうな感じだ。
「あのさ・・・連絡先聞いてもいい?」
その彼の口から思わぬ言葉が出て、心臓が体の中でゴムボールみたいに飛び跳ねたように感じた。
最初のコメントを投稿しよう!