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3月8日(日) ペンギンと呼び名
俺はベッドに寝転んで菜野爽乃とのやり取りを見直していた。
久しぶりに女子と関わっているからだろうか。暇だからだろうか。彼女のことばかり考えてしまう。
4日にやり取りしただけで履歴は短いのに、返信はどういう気持ちで打ってくれたんだろう、俺の返信はこれでよかったのかといちいち考えてしまう。俺はこんなに女々しかったろうか。
そんなことを考えているうち指が電話発信のところを押してしまった。
すぐ電話を切ればいいだけなのにすっかり焦ってしまい、どうしようとあたふたしているうちに『もしもし。』と声が聞こえてくる。
「あっ、ごめん。間違えて発信押しちゃった。」
言ってから気づく。これ、言わなくていいやつじゃないか?そのまま話し始めればいいのに。
『・・・そう・・・じゃ・・・。』
彼女が通話を終わりにしようとする。少し声のトーンが沈んだ気がするのは気のせいか。
「ま、待った。聞きたいことがある。」
『な、何?』
「そ、その・・・ベンギン好きなのか?昨日タイムラインに・・・。」
違う。こんなことを聞きたいんじゃないのに。
『あ、うん。そうなの。昔から好きで本とか持ってて・・・。あの写真は昨日友達と会って合格祝いにスノードームもらって、それなんだ。いいね!くれてありがと。』
いいね!押しただけで律儀にお礼を言ってくれるんだ・・・また心が疼いた。
「えっと、他にも聞きたいことがあって。」
あーなんでこんな簡単なこと聞くのにこんなに勇気が必要なんだ、俺は。ヘタレか。
『うん、何?』
「・・・なんて呼んだらいい?」
『・・・。』
彼女が無言になってしまったので、慌てて質問を加える。
「普段何て呼ばれてる?」
『えっと・・・学校では菜野さんで、昨日会った友達には爽ちゃんて呼ばれてるけど・・・。』
「じ、じゃあ、『爽乃』って呼んでもいいか?」
なんとなく、他の人には呼ばれていない呼び名で呼びたかった。この心理は一体何なのか。
『・・・。』
俺の言葉に彼女が電話の向こうで息を呑んだような気がした。
「あ、ごめん。やっぱり『菜野』って・・・。」
そうだよな。いきなり下の名前呼び捨てなんて嫌だよな。
『・・・いいよ。爽乃で。』
「そ、そうか・・・。」
自分で提案したのにいざ承諾されると戸惑ってしまう。
『私は・・・何て呼んだらいい?』
慎重な口調で聞いてくる。
「俺のことは皆『カヤ』って呼ぶけど・・・。」
『・・・そっか、じゃあ・・・。』
「・・・。」
やっぱり『カヤくん』、とかかな、と予想する。
『ぁ、あ、蒼大くんていうのは・・・?』
沈黙のあと彼女は絞り出すような声で言った。意外な提案にドキリとするが、嬉しい動揺だった。
「いや、その、呼び捨ての方がいいかな・・・。」
そう呼ぶのは家族だけだけど。
『えーハードル高いよ~。』
分かりやすく困惑するので、少し攻めたくなってしまった。
「俺が、爽乃、なんだから、それに合わせたら呼び捨てになるだろ。」
『私のことは呼び捨てでいいけど、合わせる必要ないよね・・・?『蒼くん』とかは?』
「却下。呼び捨てにしないと返事しないよ?」
攻撃的な口調になる。なんだか自分が自分じゃないみたいだ。心の中でもう一人の自分が『お前何言ってんの?』と冷ややかな視線を向けてくる。
『・・・もー、わかったよ・・・蒼大ね。』
照れを存分に含んだ声で彼女が俺の名前を呼んだ。
───うわー今めちゃくちゃ顔見たいな。
「よし。」
『何それ・・・。』
俺が偉そうに承認すると彼女は少しむくれたような声で言った。頬を膨らませたりしているんだろうか。
「じゃ・・・また明日な。卒業式終わったら連絡する。」
『うん。私も連絡するね。』
通話終了ボタンを押すと『ティロリ♪』と音がして電話が切れる。
あー、心がざわざわする。あんな風に誰かを攻めたいと思うなんて初めてのことだっだ。俺は初めての感情に戸惑いつつも、確かに感じた興奮に心地良く浸っていた。
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