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①
この26年間生きてきて、こんな事は生まれて初めての経験だ。
心の中でそう呟いて、佐伯綾花は立ち尽くした。
残業で疲れた体を引きずって、マンションのエレベーターに乗り込み6階の我が家まで戻ってくると、玄関先で何かが蹲っているのが見えたからだ。
私、何か荷物でも頼んだっけ?と疲れた頭で記憶を辿ったが、先日受け取ったしそれ以外に覚えはない。
動物か何かかと思ったが、どうみても犬や猫よりかは大きいし第一、こんな都会のマンションの廊下で動物が住人が気付き、大騒ぎになっているだろう。
だとすれば、我が家の玄関先で蹲っているのは人間……と言う事になる。
(どうしよう、警察に電話した方がいい? でも智紀かも知れないし。取り敢えず、何時でも電話できるようにしておこう)
先週、別れた元カレの智紀の顔が頭に浮かぶ。もし彼だとしたらそれはそれで怖いが、経理の新入社員と二股掛けられて、あっちを選んだんだから、今更何の用だとぶん殴りたい気持ちで一杯だ。
取り敢えず武器になりそうなものは、スマホなので、恐る恐る蹲っているの者に近付いた。
玄関先で眠って居るのは、金髪のふわふわな癖毛の男の子だ。
年齢は、高校生くらいだろうか。かなり幼く見えるがまるで女の子のように顔が整っていて、ハロウィンのコスプレのような格好をしている。尖った耳に、小さな二つの角、背中に小さな蝙蝠の羽が付いている
すやすやと無害そうな寝顔で眠っているので何だか肩透かしを食らってしまい一気に脱力する。
「何なのこのコスプレ少年は……何処かの部屋で仮装パーティーでもやってたの?」
不審者ではあるが、自分の想像してた変質者では無かったので取りあえず、自分の家の扉から退いて貰おうと、彼の肩を揺すった。
大学に上がったばかりの子が羽目を外して飲酒し、ここで酔い潰れてしまったのかも知れない。
「ちょっと君! 私の部屋の前で寝ないでよ、迷惑だから」
すると、うーん、と眠そうな声をあげて少年が瞳を開ける。大きな二重の空色の瞳で、こんな状況で何だが美少女ならぬ、美少年だった。
ヨーロッパの映画や海外ドラマの子役のような雰囲気で、はたしてこの子に日本語が通じるんだろうか? と声を掛けてから後悔した。
「お姉さん、僕が見えるの? やったぁ……! ……って、お腹すいたぁ」
「きゃっ、ちょ、ちょっと! 何するのよ……て、ええ?」
急に美少年は立ち上がり、満面の笑みで綾花に抱き付いて来た。慌てて引き剥がそうとすると、ズルズルとまるでコンセントが抜けた玩具のように、少年がそのまま倒れ込んで来た。
「人間界に来てから何も食べてないの……」
弱々しい声でコスプレ少年は言うと、ぐるぐるとお腹が鳴る音が聞こえた。
(いやまて、これ……どう言う状況?)
痴漢かと思ったが、何やらこの美少年はここに来てから何も食べて居ないと言う。未成年にも見えるのでもしや虐待? とも思ったが、このおかしな格好はあまりにも非現実過ぎる。
取り敢えず救急車…、とも思ったが、一先ず自分の部屋に寝かせてあげないといけないと言う気持ちが湧いて、普段ならば絶対しないが彼を部屋に入れベッドに放り投げるように寝かせた。
見れば見るほど幼気な美少年だが、空腹でぐるぐるとお腹の虫が鳴り響いている。
彼をベッドに寝かせると、こんなご時世に一体自分は何をしているんだろうと青褪めた。
「ちょっと待って……これ、私が捕まるんじゃない? どうしよう。お腹減ってるなら何か食べさせて警察に行くように言う?」
思わず独り言が多くなってしまうのは、元カレとの同棲の名残かもしれない。取り敢えず一緒に警察に行くとして、空腹でへばっているなら何か食べさせないといけない。
と言っても、女の一人暮らしに残業帰りなんて、スーパーの半額惣菜に、出勤する前に炊いたご飯位しか無い。
当然一人分しか無いが、こんな非現実的な光景を前にして、食欲は何処かに飛んでいってしまった。
「私のコロッケ……仕方無いか。ねぇ、ちょっと君……ご飯食べさせてあげるから起きて」
ご飯を食べさせてくれる、と言う言葉にピクリと反応すると、パッチリと目を開けて飛び起きると嬉しそうに笑みを浮かべた。
何だ、元気なんじゃんと突っ込みかけて、その羽が器用にパタパタと動いているのに気付いた。
耳や、角は特殊メイクのようにも思えるがあの蝙蝠の羽の質感は、偽物のようには思えなかったので、一体この子は何者なんだと凝視する。
「お姉さん、本当にいいの? 僕、淫魔なんだぁ、人間界に初めて降りて三日目なんだけど全然精気を食べれなくて……童貞なの」
「は?」
この子は何を言ってるんだ、インマって何なの、何かのキャラなのか……?
だが屈託の無い笑顔は嘘を付いているように思えない。正直な所、この人間離れした彼が薄々この世の者では無い事は本能的に分かった。
だって何処の世界に玄関先でコスプレ美少年が自分の帰りを待っているのだ?
ここは事故物件では無いので、幽霊では無く【インマ】と言う彼の主張を信じるとして、精気を食べられない童貞と言う事は、つまり如何わしい妖怪みたいなものなのか。
「僕の名前は、ドゥエインって言うの、人間界に来て初めて僕の事認識してくれて、嬉しい……」
メソメソ泣き出した様子を見ても、失礼だけどその淫魔と言う魔物だか、妖怪だか分からないがそう言う種族の中でも彼は凄く鈍臭そうに思えた。
「ねぇ、ちょっと待って。つまりドゥエイン君は淫魔でこの人間界に来たけど、三日間ご飯にありつけてないお腹をすかせた童貞って事であってる?」
「はい、そうです……」
改めて言葉にされると、包丁が体中にぐさぐさ突き刺さるようで、聞き取れるか否かの声でドウェインは弱々しく返事をした。
自分に霊感があるとは思えないが、彼と波長が合って認識する事が出来たのだろうか。
「それって、私とエッチしたいって事?」
「は、はい、そうです。ちょっと精気を分けてもらえたら……嬉しいな」
直球で問いただしてしまったけど、顔を赤らたのは綾花の方ではなくドウェインだった。
その様子はまるで子犬のようで、下世話な話だがちょっとムラッと来てしまった。彼氏と別れてからご無沙汰だし、肉体的にもそう言うサイクルに入っていた。
こんな美少年の童貞奪えるチャンスなんて、普通に生きてて無い。だが、なにか上手い話には裏があるんじゃないかと疑ってしまう。
「ちょっと確認なんだけど。ホラー映画みたいに、精気吸われたら死ぬとか無いよね?」
「それは大丈夫、そんな事したら逆に魔界で上司に怒られちゃうから……疲れてぐっすり眠れるくらいだから安心して!」
魔界って以外とホワイト企業なんだ……人間の命を奪ったら朝礼で表彰とかされそうなのに。何と無く嘘を付くのが下手そうなので、彼の言葉を信じるとする。
「そう、なら良いよ。私の名前は綾花ね。貴方の童貞奪ってあげてもいいけど、取り敢えずお風呂入ろっか」
「オフロ? 沼で入浴すること?」
「一般家庭に沼なんてないから。取り敢えず体を綺麗に……してあげよっか」
お風呂が良く分からない様子で首を傾げていたが、ドウェインの手首を掴むと風呂場に連れて行く事にする。
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