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面接を終えた帰り道、疲労感で何もやる気が起きなかった。スマホを操作するでもなく、吊革につかまってただ電車に揺られる。最後に残っていた専門商社の一次面接は、手応えなんてまるでないままに終わった。ろくに業界を調べないまま臨んだ結果がもろに出てしまった形だ。面接官と会話が噛み合わないまま、本来三十分だったはずの面接は十五分程度で切り上げられた。
(前言撤回。うまくいってない自覚があるときが一番つらいな)
いままでと違って自分の中で原因がはっきり分かっているぶん、落ち込み方もまたはっきりしている。うまく答えられなかったシーンが繰り返し頭の中で蘇ってくる。
視線を前に向けると、吊革につかまる自分が窓ガラスに映っていた。日が落ちて外が暗いぶん、自分の姿がはっきりと見て取れる。輪郭がぼやけて映るその姿はまるで亡霊だ。手に入らなかったものを求め、さまよい続ける亡霊。もしかしたら、俺は気付かないうちに死んでいたのかもしれない。就職が決まらず、ついに自ら命を絶った男。社会に出ることが叶わなかった男の無念は霊魂となり、永遠に面接の夢を見続ける――。
(……勘弁してくれ)
寒気のする妄想を追い払い、スマホでニュースサイトを見ることにする。頭にはまるで入ってこないが、何かをやっていないと際限なく落ち込みそうだ。
ニュースアプリを立ち上げたタイミングで、到着駅を知らせるアナウンスが流れた。自宅の最寄り駅まではあと三駅ある。ふと窓の外を見ると、駅近くにある高層ビルが目に入った。
「…………」
スマホを操作する手が止まった。なぜならこの駅の西口改札には、証明写真機があるからだ。
「――すみません」
考えるより先に動いていた。入口近くに立っている人たちをかき分け、閉じかけた電車の扉にすんでのところで身体を滑り込ませる。転がるように外に出ると、ホームの人たちの驚いたような表情が一斉に向けられる。その視線から逃げるように、早歩きで西口改札に向かった。
俺が亡霊だったとしたら、面接よりも見続けたい夢がある。
中に入ろうともせず証明写真機の前に立ち尽くす俺は、傍から見たらほとんど不審者だ。
彼女の笑顔は何ひとつ変わらない。俺がどれほど落ち込んでいたとしても。
就職がもう絶望的になった今、何かひとつくらい欲しいものが手に入ったっていいはずだ。世の中の事象は確率分布で、悪いことばかり起こり続けることはありえないのだから。
だから、この気持ちくらいは報われたって――。
「…………」
馬鹿みたいだ。
いつまで現実逃避を続けているのか。
ここに来れば、彼女が改札を抜けてきて、偶然俺と出会って、連絡先を交換する、そんなことが起こるとでも思っていたのか。
もう帰ろう――そう思って視線をずらすと、写真のそばに企業の名前が書かれていることに気付いた。この証明写真機は、大手印刷企業のグループ会社が出しているもののようだ。
スマホを取り出し、なんとなしにその企業のサイトに検索をかける。求人情報を見ると、まだ新卒採用のエントリーを受け付けていた。
(何考えてんだ、俺は)
志望動機は「サンプル写真の女性が気になったから」? そんな理由で就職先を決める奴がどこにいる。突拍子もない考えを振り払ってスマホを閉じ、俺はそのまま改札を抜けた。
ノートパソコンのウィンドウには、「帝国印刷フォトサービス株式会社」のウェブページが開かれていた。家に着いてもさっきのエントリーフォームが忘れられず、結局サイトを調べ直していた。募集は営業職と技術職の二つに分かれている。俺が出すとしたら技術職だろうが、数学が直接的に役立つイメージは湧かない。
(まあ、それを言ったらどの仕事も同じだよな)
教職か研究職でもない限り、大学数学の知識がそのまま活かせるなんてことはまず期待できない。募集要項に記載されている「対象 全学部・全学科」という言葉を信じるしかないだろう。
しばらく迷っていたものの、どうせ失うものなんて何もないと腹を括った。履歴書ファイルの志望動機欄を帝国印刷フォトサービスの業務内容に即したものに書き換え、勢いそのままにエントリーサイトへアップロードした。
手元の冷めきったコーヒーをひと口飲む。上げた視線の先にはカレンダーがあった。採用面接が解禁されてからどれほどの時間が経っただろう。それを意識するのはずいぶん前にやめていた。
もうこれで最後にしよう。
そんなふうに覚悟を決めると、不思議と焦りや不安を超えてやる気が湧いてきた。人間、開き直りは案外大事なのかもしれない。
サイトで事業内容の詳細を検索してみる。事業の中心は法人向けのフォトサービスで、写真素材の提供やデザインのコンサルティングが収益の大部分を占めている。その他には写真撮影アプリの提供、それに証明写真機やプリントシステムの設置事業も展開している。会社の人材育成方針も調べ、業界全体の動向も検索してみた。企業分析がまったく苦にならず、むしろ楽しいとすら感じていた。
ひと通り情報を調べ終えた頃には午前一時を過ぎていた。さすがに寝ようと検索サイトを閉じかけたところで、ふと思い立っていくつか検索キーワードを入れてみる。
証明写真 モデル
検索結果を見てみるものの、それらしい人物はヒットしない。画像検索の結果でも彼女の写真は出てこなかった。
「…………」
コーヒーをひと口。キーワードが広すぎたか。もっと絞り込まないと。
証明写真 モデル 超タイプ
芸能人のニュース記事や新型家電のサイトばかりがヒットした。
「…………」
コーヒーをもうひと口。キーワードをパーソナライズしすぎたか。
帝国印刷フォトサービス 証明写真機 写真モデル
検索。
「だめか」
出てくる結果は相変わらず求めていないものばかり。その後も思いつく単語で検索をかけ続けたが、とうとう辿り着くことはできなかった。
午前三時を過ぎた頃、俺は気を失うように眠りについた。
彼女の夢を見るために。
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