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 コーヒーショップを出ると、そのまま駅へ向かった。目的は改札前の証明写真機だ。とにかく何かを変えたい思いで、履歴書に貼る顔写真を撮りなおすことにした。ほとんど気休めだが、容姿の良し悪しが採用に影響するという研究結果も聞いたことがある。写りの良い写真に変えて、書類選考通過の可能性が1パーセントでも上がるなら御の字だろう。  証明写真機は西口改札のすぐそばに立っている。見かけたことは何度もあるが、使うのは初めてだった。改札の目の前ではあるものの、平日の昼間ということもあって人通りはほとんどない。  証明写真機に入ろうとしたところで、機体にプリントされている写真が目に入った。スーツを着た女性の顔写真が、証明写真の例として示されている。ショートカットの黒髪が似合う彼女は、こちらを見て微笑んでいた。 「…………」  美人だ。  とてつもなく。  これまで見たことがないくらい。  どんな女優やアイドルより、彼女の笑顔は俺を惹きつけた。  俺は彼女から目を逸らすことができない。  なぜなら彼女が俺から目を離さないからだ。 「…………」  あたりまえだろ。  これは写真だ。  軽く頭を振って冷静になる。たぶん、就職活動で追い詰められて精神状態が普通じゃないのだろう。目を閉じて、深呼吸する。  ゆっくり目を開けると、そこには変わらず、彼女の笑顔があった。  どうして。  立ち去る間はあったはずなのに。  それでも俺のそばにいてくれるなんて――。 「…………」  あたりまえだろ。  これは写真だ。 「まずい……本当にどうかしてる」  脳が本気で現実逃避しようとしているのだろうか。早く写真を撮らなくてはと何度も入口をくぐろうとするものの、その度に彼女に目を奪われて立ち尽くしてしまう。そんなことを繰り返しているうちに電車が到着したのか、多くの人が改札を抜けてこちらへ歩いてきた。その人ごみに押されるように、俺は慌てて証明写真機の中に入った。  ――証明写真のサイズを選んでください。  サイズ。サイズか。「履歴書用」で間違いない。  ――顔が画面の枠に入るように調整してください。  枠に入るように。画面の枠に。  あれ?  ――画面をまっすぐ見てください。  画面に映る顔は。  俺じゃない。  ショートカットの黒髪。スーツが良く似合う。  ――まっすぐ見て。  どうして、君が。  ――おねがい。  君はいつの間にか目の前にいて。  ――私を見て。  気がつけば息もかかりそうな距離で。  ――そのまま。  そのまま。  ――さん、にい、いち、  目を閉じて、そのまま、俺は――。 「……単純だよな、俺」  ベッドから身体を起こして、朝日が滲むカーテンをしばらく見つめる。その日の夢に見るなんて、思っていた以上にあの写真が頭に残っていたのだろうか。  スマホのスケジューラを確認する。残っている面接は明後日の一社のみで、他にエントリーはしていない。ここの会社がだめだったら、大学院に進学するか、就職浪人でもう一年、大学四年生をやるか。  明確にやりたいことがあるわけじゃない。それでも、このまま学生を続けるのは違う気がした。  早く大人になりたい。端的に言えばそれだけだ。 (まあ、それじゃあ面接は通らないよな)  コーヒーを淹れてからPCを立ち上げ、求人情報を検索する。朝のルーチンもすっかり板に付いてしまった。就職サイトに掲載されている新卒の求人数は、日を追うごとに目に見えて減っていく。  サイトを見れば見るほど気持ちが沈んでいくのが分かる。気分を切り替えるために、履歴書の見直しをすることにした。昨日撮った証明写真は電子データ化してある。写真を変え、文章を一新すれば少しは気が紛れるかもしれない。  履歴書のファイルを開き、顔写真を新しいものに置き換える。不自然にならない程度に笑顔を作ったつもりだが、無愛想だった前の写真より多少はましだろうか。  写真か。 「美人だったな……」  写真の彼女がフラッシュバックし、思わず声に出てしまった。こんなだから夢にまで見てしまう。余計なことを考えていられる状況じゃないのに。  自分自身に呆れるように、こちらを見つめる顔写真の俺は薄く笑っていた。
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