誘う香り

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誘う香り

姉には黙っていたけれど、郵便はもうひとつあった。 それは私宛の、一通のハガキだった。 「スミ子さんからの手紙を整理していたら、懐かしいお年賀状を見つけました。絵はやはり、あなたが描いていらしたのですね」 知らない名字に、紫と続いた名前。 夕暮れ時の誰もいない集合ポストの前で、私は肩にかけていた通学鞄にさっとそれをしまった。 アパートの階段をのぼって家に入ると、キッチンに立つ母をそしらぬ顔でやり過ごす。 部屋の周りに物音がないのを耳をすませて確認すると、ベッドにもぐりこんで続きを読んだ。 「実はもうひとつ、お渡しすべきか迷っている絵がございます」 姉の動物的な危機感、その正体はわからないけれど、きっと当たっているような気がする。 だけど、私はゆかりさんの優雅な物腰や品のある微笑み、そういうこれまで縁のなかった世界に、どうしようもなく心惹かれていた。 特別なものなんて何もない私の毎日に、降って湧いたような非日常の匂い。 絵の手がかりがないとわかって、知らないふりはもうできなくなった。 少し煙たいような甘い香りのハガキは、知らない世界への招待状のように思えていた。
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