『奇蹟のダイエット』第一章 東塔の科学者

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『奇蹟のダイエット』第一章 東塔の科学者

「で〜ぶ、ぽっちゃり、あれもでぶ」 水曜日の昼下がり、大学の構内にあるカフェに4人の男女が寛ぐ。暖かい日差しの中、テラス席でお茶するなんて優雅で楽しそうな物だが・・・一人の女子は不機嫌な顔で、ぶつぶつと呟いている。 「あれなんかブタ。あれもデブ」 「今行った子が?スリムじゃない?」 酷い悪態をつき続ける彼女に対し、丸テーブルの右隣の女子が抗議する。 「ケツでかいじゃん」 「そうかなぁ。厳しすぎない?」 つまり不機嫌な女子は、カフェの前を通り過ぎていく女子大生達の体型を評価しているのだった。 「じゃ、どんなのがOKなんだよ?」 位置からすると対面の男が、呆れ顔で口を挟む。 「そりゃさぁ・・・」言いつつスマホで画像を写し、テーブルに置く。 画面には、お洒落な新作ファッションを着こなし、魅惑的な表情を浮かべる美しい女性の姿があった。 左隣のもう一人の男が、身を乗り出してスマホを見てから女子に振り返る。 「あ〜この葉ちゃん大ファンだもんね」 そう言って、不機嫌なこの葉の顔を見てニコニコ笑う。彼はいかにも優しそうな男だ。 「モデルじゃねぇか!」激しい突っ込みを入れる対面の男は、対照的な性格だ。 「ハードル高すぎ。じゃあ、私もデブなのね」 「あかりは・・・ふつう」 「ありがとう。褒め言葉よね?」 『ふつう』の評価を得たあかりは、一般的見解では長身でスラリとした体型をしている。機嫌の波が激しい女友達と、熱くなり易い単純な彼氏を、大人になってなだめる役を担っているのが彼女だ。 「あ〜もうやんなっちゃう!同じ人間なのに、どうしてこうも違うの!?」 スマホを握ってテーブルに倒れ込むこの葉は、名前の通り背は小さいが、悲観する程の体型でもない。 事実、隣の彼氏はそんな事思っていないようだ。 「この葉ちゃんは、太ってなんかいないよ。ほらっケーキまだ残ってるよ」 頭を撫でられて、この葉は顔を上げて微笑む。 「もぅすぐそうやって甘やかすぅ」 そう言いながら、紅茶セットのケーキに手を伸ばしてしまうこの葉だった。 このやり取りを傍目に見ながら、あかりは自分の隣の男を睨む。 「明年はホント、優しいよね。私にはフォローしてくれる彼氏はいないのかしら?」 「お前は『ふつう』だからいいじゃねぇか」 「・・・私は、なんで大毅と付き合ってるのかしら」 2人の口論はケンカに発展しそうだったが、この葉が突然上げた大声で打ち消された。 「あ〜あ!こんなに科学が進歩してるんだよ?どっかに『食べたら食べるだけ痩せる薬』とか無いのかな!?」 カフェを後にして、4人は午後の講義に向かって、大学構内を歩いて行く。 公立AQ大学第二キャンパスは、つい数年前に新設された。郊外の立地条件により、自然豊かな風景と広大な敷地を誇る。白亜の美しい校舎をシンボルとして、構内にはカフェや図書館、スポーツ施設等を完備する。大学生達へと快適なキャンパスライフを提供する学び舎だ。 鶴羽 あかりと河内 この葉は同じ高校の出身だった。性格は随分と違うが、仲良く揃って同じ大学へ進学した。 大学生活も一年経過。その間に季節のイベントやらコンパやらを経て、お互い相手を見つけた。 半田 大毅は学生の癖にバイトばっかりの男であった。代返や試験で頼られてる内に、あかりは何となく彼と付き合い出した。 山澤 明年とこの葉は、周囲に一目瞭然の一目惚れカップルで、一年の花見の時からずっとくっついていた。 大毅と明年も、性格は女性2人に輪をかけて違っているが、何気に馬が合う仲だった。 歩きながら、この葉はスマホで何かを検索している。 「えっ?何かいいダイエットないかな〜って」明年の問いに答えつつ、歩きスマホを続ける。 「前見ないと危ないからね」 後ろからあかりが注意するが、カップル2人揃ってスマホの画面に夢中になってしまった。 「でも、食べないのは無理でしょ?五穀ダイエットとかは?」 「えー難しいそう」 (まったくもう・・・)呆れたものだが、しかし気になるのは大毅の様子だった。彼はさっきからずっと黙ったままで、少し前を歩いていた。 「ちょっと、なに黙りこくってんのよ」 あかりは、割と強く大毅の背中を叩く。 「お、おお」 叩かれた事に文句も言わず振り向く。 「柄にもなく、考え込んだフリして。どうしたってのよ」 『さっきの事、怒ってんの?』と続けようとしたあかりの言葉を遮って、大毅が口を開いた。 「いや、さっきこの葉が『科学』って言ったろ?ひょっとするとアリかもしれないなと思ってさ」 『AQ大学東塔』と学生達から呼称される建物が、構内の東端に建っていた。校舎からはグラウンドを挟んだ先で・・・目の錯覚なのだろうが、遥彼方に霞んで見えるゴシック調の建造物だった。 そこは物理や化学、いわゆる科学系の研究に勤しむ者達が集う場所である。 文系で、ライトな感覚でキャンパスライフを過ごす大毅達にとっては馴染みのない世界と言えた。 東塔の重々しい正面扉を、4人は初めてくぐった。何故か薄暗い廊下を、床を軋ませて歩く。何故かエレベーターが無いので、古風な螺旋階段を登る。目指す研究室は、最上階に在ると言う。 そして辿り着いた最上階には、唯一室の研究室があるだけだった。 「・・・ここの教授と知り合いなの?」 さすがに7階階段で来ると息が切れる。あかりは何とか言葉を絞り出した。 文系の彼女には、全く心当たりが無い教授の名札・・・大毅が知っているとは、正直思えないのだが。 「教授じゃない、学生だ。同じ高校の出身で・・・ちょっと変わった奴なんだ」 「科学系の友達なんていたんだ。どんな話するの?」 「話が噛み合った事は無いな。大学入ってから合うのも初めてだ。ずっとここに籠っている」 「『東塔』にずっと?優秀な人なんだろうね」明年は素直に感心した。 「・・・天才とも変人とも言われる」 少々緊張した面持ちでドアをノックするが、一向に返事はない。 「どうせ聞こえないんだろう」そう言って、大毅はドアを開けた。 中を見ると、入り口付近からして本や書類や用途不明の器具が乱雑に置かれている。部屋の全容は掴めない。 4人は一列に並んで、迷路を進むように分け入る。そして書類の山の中に、パソコンと机が並ぶ空間が開けた。 この別世界に、たった一人しか人間はいなかった。孤高な趣きの彼は、来訪者に背を向けパソコンへ熱心にデータを打ち込み続ける。 あかりとこの葉は、興味本位で彼の横顔を伺う。藍色がかった髪に白い肌、長い前髪の下に知的な瞳が垣間見える。なかなかの美青年といった顔立ちに、僅かばかりドキリとした。 彼の真横まで歩を進めた大毅は、数秒待ったが無視されてイラついた。 「おい、気づいてんだろ?」 「ああ、邪魔が入ったなと思ってたとこだ」 未だパソコンから目を離さず、冷静な声で彼は答えた。 「で、何だ?」 コーヒーカップを手にして、彼が振り返る。あからさまに迷惑だと表情に顕す。 「あ、いや、こいつらがさ・・・何だっけ?そう『食べたら食べるだけ痩せる薬』なんて出来ないのかな〜って言うもんだからさ」 「くだらん」 大毅の発言を一蹴して、彼はパソコンに戻ってしまった。それきり、もはや完全無視といった姿勢だ。 「・・・だって。帰るか」 振り向く大毅に、この葉が噛みつく。 「ぜんっぜん友達じゃないじゃん!」 明年も呆れたように笑う。しかし、あかりだけは彼の研究に興味をそそられた。 「凄い式ですね。何の研究をしてるんですか?」 あかりの問いかけに、彼は少し気を良くした。 「んー?興味あるのかね?よし、特別に見せてあげよう」 パソコンのトップメニューから画像を開く。現れたのは、宇宙の映像だった。 「これが何か分かるかい?」 不敵に笑う彼の問いに、順番に答える。 大毅「え〜と、星」 この葉「なんかの星座!」 明年「真ん中が真っ黒いね。星雲かな」 あかり「ブラックホールですね」 「そうだ!宇宙の深淵にある超重力の穴、全てを飲み込む究極の暗黒・・・ブラックホールだ」 「そんな研究してるんですか?凄い!」 「はっはっはっ分かるかね?この高尚さが。この研究に囚われた今、他の研究対象なぞ霞んでしまうのだよ」 あかりは意識的に持ち上げてる訳ではないが、彼の機嫌はどんどんと上がる。 「浪漫がありますね〜宇宙の果てに、想いを馳せるなんて・・・」 「あぁだが、宇宙の果てにあっては詳しく調べられない。やはり目の届く範囲に発生させなくてはな」 「それが出来たらと思うと、夢のようですね」 あかりは少しトロンとした目をする。他の3人は話に入って行けず、このやり取りを伺うしかなかった。 「なに、そう遠い先でもない。再来年の春あたりだろうな」 「・・・なにがですか?」 「ブラックホールさ。解析は順調に進んでいる。地球上に安定した形で発生させられるだろう」 「・・・ブラックホールを地球上に・・・てすか?」 あかりは、話の流れが少々おかしくなってきたと感じた。彼は尚、ウキウキといった調子で話を続ける。 「そうさなぁ都庁の上空辺りがいいかなぁ注目も集まるだろうし。1秒の発生で、一帯の建物は全て飲み込まれる。後に残るのは穴か闇か」 「えぇっと・・・そうなると、被害が出てしまのでは?」 「そりゃあ甚大だろうね。額にしたならば想像もつかないだろう」 「いえ、人命が・・・」 「ああ、尊い犠牲だ。科学の進歩の影には常に付き纏う。一時は悲しいかも知れない。だが未来に至った時、誰もが『やむを得ない物だった』と受け入れることだろう・・・」 彼は遠い目をしている。あかりは冷や汗を流す。 (この荒唐無稽な話は、ただの戯言なのだろうか?この人の瞳をどう読み取ればいいのだろうか?) 「もう!なんの話してんの!?」 しびれを切らして、この葉が叫んだ。明年がなだめようとするが聞かない。 「都庁の話なんていいよ!つまんない」 「(都庁の話はしてないけど)うん、話を変えよっか・・・ダイエットの薬!出来たら凄いですよ!」 「うん?」 彼は睨むように、あかり達に視線を送る。自分の話に水を差されて、少し機嫌を損ねたようだ。 「きっと製薬会社とか飛びつきます。特許を取得して、あっという間に大金持ちですよ!」 「お前、随分と必死だな?そんなに痩せたいのか?」 大毅が突っついてきた。あかりは彼氏の耳元で言う。 「私は東京を救おうとしてるの!」 「金などと・・・随分とつまらない話をしたものだ」 彼は溜息混じりに、コーヒーカップを手にする。金に興味がないらしい。大毅はそこんとこ説明しようとする。 「こいつん家、金持ちなんだよ。氏家って・・・」 しかし、あかりは大毅が喋ってるのに被せてくる。 「じゃあじゃあ、TVとか取り上げられますよ!ダイエットの救世主。日本中の女性の憧れです!」 「・・・もういいか?帰ってく・・・」 「つまんない!つまんない!」 今度は彼の言葉に被せて、この葉が大きな声を出した。彼女の不機嫌に呼応して、明年がぼそっと言った。 「まあ、ブラックホールの研究が何になるのかな?って気はするよね」 だが、この一言はまずかった。彼はカップを荒々しく置き、座ったまま明年に身を乗り出して迫った。 「ほお〜お、ではそちらの提示する研究対象に一体何があると言うのだ?僕の心に響く物があるのかね?」 「あ・・・いや」 明年は冷や汗を垂らした。そもそも口論や争いは苦手な男だし、彼女がダイエットするのだって、必要無いと思ってる。 「どうした?言ってみたまえ!」 困ってる彼氏に、この葉は助け舟を出したいと思った。しかし、とっさに思いつくのはこの程度の言葉だった。 「ノーベル賞確実!なんちゃって」 突然、藍色の髪を振り乱して彼が立ち上がった。細身で高身長、大毅達より高い。その彼が、150センチ弱のこの葉へ詰め寄る。 「ごめんなさい、ごめんなさい」 この葉は素早く彼氏達の影に隠れる。だが、彼は怒っているのとは違う様子だった。大毅の目の前で立ち尽くし、ボソボソと何か呟いている。 「どうした?君臣」 藍色の髪の彼・・・氏家 君臣は前髪で顔を覆わせ、我を忘れたかのように呟き続ける。 「そうだったのか、確かに僕が目を向けてこなかった分野ではある。人体にまつわる研究こそ認められるという事か。何と言う事だ・・・もう5年は早く栄冠を手にしていたものを・・・」 「お〜い!お〜い!」 大毅が激しく肩を揺らすと、ようやく君臣の意識は遠くから戻ってきた。 「失礼、あまりに意外な発言を耳にしたのだから、つい動揺してしまった」 「ひょっとしてノーベル賞ですか?」 あかりは、君臣の後ろにいる格好になった。彼の動揺に驚いて、恐る恐る問いかけた。 「そう!ノーベル賞だ!!この僕が望み、憧れ、求め続ける永遠の夢だ!」 君臣はまた髪を振り乱し、誰に言うともなく宙空に語りかける。 「今まで僕は、その為の研究を積み重ねてきた。しかし、高校時代の教師も大学の教授も、僕の研究に首を縦に振らなかった!宇宙線を引き込み、食用の生物をミューテーションさせ劇的に数を増やす研究も、地球のマグマを噴出させ、火力発電を行う研究も!! 『う〜ん、それはどうだろうねぇ』と言うばかりだった!」 彼の言葉を大毅は聞き流した。明年は苦笑いを浮かべ、この葉は愛想笑いをした。あかりは一人青ざめた。 (こんな身近に、人類滅亡の危機があったなんて・・・) はたと我に返った君臣は、急に冷静な口調で彼らに向かう。 「君達、コーヒーでも飲むかね?」 書類に埋もれかけた状態で、かろうじてイスとテーブルが確認出来た。君臣は上機嫌な様子で、前方の3人をそちらへ誘う。あかりはその後ろ姿を見送る。 彼らが後ろを向いた瞬間を狙って、あかりは君臣のパソコンの裏に廻り・・・コンセントを引き抜いた。 画面が消えたのを確認してから、何事も無かったように遅れてテーブルに着く。 鼻歌を歌いながらコーヒーカップを口元に運ぶ君臣の様子を見て、大毅は呆れたもんだと思った。 「もうノーベル賞取った気でいるようだが、出来んのかよ?そんな薬」 君臣は口元に笑みを浮かべ、藍色の瞳をらんと輝かせる。 「僕は最初に『くだらない』と言った筈だ。くだらないとは即ち、『造作も無い』という事だ」
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