101人が本棚に入れています
本棚に追加
それぞれの始まり
「ついに死んだか」
病院の地下にある遺体安置室。電気はついているのに暗く寒々しく感じる部屋で、俺は目の前で横たわるお袋の顔を見ながら呟いた。人が亡くなったのに、そんな風に思う人は少ないだろう。ましてや死んだのが自分の親なのにだ。
お袋は事故で死んだ。
車を運転していて前の車を追い越した時に、ハンドル操作を誤ったのか反対車線に飛び出し木にぶつかって死んだのだ。巻き込まれた人がいなかったのが救いだった。88歳での運転自体危険のような気がするが、それ以上に危険なのはお袋という人間だ。
かなり短気な性格で何に対してもすぐにかっとなる性格だった。
野菜が高ければスーパーの店員に文句を言う。隣の家の木の葉が少しでもうちの庭に入ってくれば文句を言う。車の運転をすれば目的地までずっと文句を言う。とにかく、あのお袋が笑ったり、優しいことを言っているのを小さい頃から見た事がない。
事故の連絡は、警察から昼頃仕事先にあった。初めは驚き心配なったが、病院に向かっている間にそんな気持ちもなくなっていた。病院に着いた時、意識はなかったがまだ死んではいなかった。
「なんだ。まだ死んでないのか」
医者の説明を聞いた後、周りに誰もいないのを確認して俺はボソッと呟いた。
手術室で医者が懸命に処置をしているらしいが、俺としてはどのくらいで終わるのかと、急いでもいないのに時間を気にしていた。
仕方なく自販機やテーブル、椅子があるフロアに行った。そのフロアには、ぼんやりと外を眺めている入院患者や、やたら香水の匂いがきつい派手なおばさんが、大きな果物かごを入院している人に渡してたり、それぞれが自由に利用していた。俺は、そんな人たちを眺めながら手術が終わるのを待っていた。
暫くすると、看護師が医者の説明があるという事で呼びに来た。
看護師の後について行くと、第二診察室と書かれた部屋に通された。中では医者が難しい顔して椅子に座っている。
「残念ですが」
とお袋が死んだという事を知らされ体の状況説明を受ける。医者の説明が終わり、お袋の遺体が一旦霊安室の方に移される。俺は、この後どうするのか分からなかったが、取り敢えず斎場の方に連絡をした。遺体を取りに来るという事なので、お袋がいる霊安室の方へ向かった。寒々しい部屋でお袋の遺体を前にこれからの事を考えていた。
俺は結婚はしておらず彼女もいない。お袋と二人暮らし。親父は俺が小さい頃に死んだ。これまで、女手一つで育ててくれたお袋に感謝しなくちゃいけないのだろうが、不思議と何の感情も湧いてこなかった。それで出てきた言葉が「ついに死んだか」である。
自嘲気味にフッと笑いが出た。
最初のコメントを投稿しよう!