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『Sorrow』
『美術室の幽霊』という七不思議がある。
放課後の午後6時、本校舎から少し離れた脇にある芸術棟で、誰もいないはずの美術室からカタカタと鉛筆のすれる音がするというものだ。
それだけ聴くとなんだ、ただの部活動じゃないかと思うだろうが、あいにく、この学校に美術部はない。ひと昔まえまでは芸術の授業も会わせて、書道、音楽、美術とあったのだが、美術室だけ建て付けの悪い旧校舎に設置されたせいか、利便性の問題で授業ごと抹消されてしまった。どうりで二科目しかないわけだ。いまでは校舎ごと物置き小屋と化しており、教室も鍵がかかって教師でさえも容易に中に入ることはできないのだ。
私、百川ミドリがそんなちょっと違和感を抱く七不思議を耳にしたのは、高校入学からちょうど半月を過ぎたころだった。
「うへぇ~。なにそれ、怖くない……?」
長髪の少女が驚きまじりに仰け反る。ややオーバーなリアクションをとる千佳はその手の話が苦手らしい。まだ四月だというのに肌はすっかり日焼けしていて、部活熱心の兆候が出ている。
「そう? なんか拍子抜けな感じ」
そう言って白米を含むこちらは雪音。綺麗に真四角に切り取ったご飯を咀嚼しながら、首を傾げるユキに千佳が口をへの字に曲げる。
たしかにふつう七不思議で幽霊といえば、誰もいない音楽室でピアノの鍵盤を叩くなにかとか美術室に飾られたモナリザ――もちろんニセモノ――の目がこちらを眺めているとかそんなものだが。
「ユキは強がりだなー」
「チカが怖がりなだけでしょ」
そう? と同意を求めてくる千佳にタコさんウィンナーで口栓しておき、私もひとつ含む。うん、おいしい。ふいに食べたくなるタコ助。しばらくみていなかったので弁当を開けて少し感動したものだ。
「ミドリのお母さんの手料理美ん味ぁ。でも、油断してると全部食べちゃうよ~」
「いいなぁ。んじゃ私もチーちゃんの煮たまもーらいー」
「ああっアイ! 私の好物…」
千佳の脇からそっと腕を伸ばす黒髪の少女。アイだ。七不思議について話し始めたのも彼女からだ。
漆のように艶ついた髪はとても綺麗で、いつもながら感心する。いったいどうやって手入れしてるんだろう。
いつのまにか弁当の具争奪戦になり始めた昼休憩。高校生というちょっぴり大人びた新生活にようやく慣れてきたこの頃の日常に和気藹々。アイとは幼稚園から同じで雪音と千佳は中学からの縁だ。三人は奇跡的に同じクラスということもあり、よくこうやって休憩になっては話し込む。
「それで? その七不思議がどうしたの?」
そのまま流してもよかったが、なんとなく気になって聞き返してみた。
「なんでもこの前、茶道部の部員が上の階からへんな物音を聴いたらしくって。それで、そのすぐ上の教室ってのが美術室なんだよ~っっ!!!」
ひえ~ッ!?! といったのはもちろん私ではなく隣の千佳だ。無意識に私の腕を掴んでいる。よしよし、いいこいいこ。
「あれ、旧校舎って入れるの?」
「一階は文化系の部活動の部室なんだよ。ま、あそこ旧校舎つっても築十年くらいだからね」
「わりと最近だな」
「もともと一番古い校舎を取り壊して建て直したのがいまの新校舎だからね」
たっぷり甘やかしたあと、そういえばと千佳が首を傾げた。
「それなら私も聴いたことがある。吹部の連中がたまたま通りかかったら、鍵が掛かっているのになかから叫び声がしたって……」
「へえ、千佳は誰から聴いたの?」
「先輩が話してるのを盗み聴きした」
「盗み聴きって……」
「先輩って例の?」
若干退きつるユキを尻目に確認。途端、千佳の表情がしおらしくなった。
「ホント、好きな男追いかけて進学とかどこの恋ドラよ」
ユキが茶化し、呆れたように笑い合う。千佳は中学のときから思いを寄せた一つ上の先輩を追いかけて同じ学校に進学したのだ。バスケ部のエースで、噂だけなら私も知っている。
「千佳ってホント、乙女だよね」
「すごいというか、呆れるというか」
「な、なんか照れるな……」
ユキとアイが溜息に似たにやつきを浮べ、軽くあしらう。目を細めて笑う二人に千佳は紅潮して身体を揺すった。照れる友人に、自身もくすりっと微笑む。
でもその胸にどうしてか。素直に笑えない自分がいる。悟られないよう、指に爪をたてた。平静の表層を必死に装って、私は私を殺す。
もう三年、同じ人を好きで居続ける。それは簡単なように思えて、本当はとても難しい。たぶん私あら――いや、わたしにはきっと出来っこない。
三人が遠く感じてしまう。ああ、また始まった。
その話す姿が、声が。耳を意識を遮断して手の届かないところまで消えてしまう。
だって、私は――――
「ミドリ?」
意識が強制的に逆流した。途端に戻った視界は、けれども瞳に映りこんだ少女で覆われる。
「え、なんだっけ」
瞳を覗き込んでいたアイが、ぷくっと頬を膨らます。
「もう、また自分の世界にはいってるよ~」
「あはは。ごめんごめん」
「最近ぼーっとしすぎじゃない? なになに好きな男でもできたか~っ」
「う~んどうだろう……」
「ミドリのそういう話聴かないね」
「そういうユキは?」
「私はそういうのまだはやいっと思ってる」
「えーっ、もう高一なんだから遅いほうでしょ!」
「なんかそれ嫌みに聞こえるー」
「ハハハ」
アイが笑う。それに同調して皆が笑った。話に花を咲かせるこの時間が、私にとっていまは一番いい。
「で? ミドリは今日、放課後どうする?」
アタシは部活あるけど、そういった千佳にあるんかいと突っ込みつつ、そういえばと机に手を入れる。
「あ。うん、ごめん。コレがあるんだ」
がさごそと取り出したそれを、三人に見えるように摘まむ。現れたのは一通の手紙。白一色の封筒に綺麗に入れられたそれは、なかに詰まった思いを内包するように封をされている。
つまり、典型的なラブレターというやつだ。
「「「あ~」」」
三人とも目を細めて納得する。な、なんですかその目は。ユキなんてへの字に口を歪めてるし。
「今日で何人目?」
ユキがもはやどうでもいいように聴いてくる。こいつ……
「3人」
「ミドリ、片っ端から体験入部してたからね」
「体験だけなら、ってのが仇になった……」
「体験のときのミドリ格好良かったからなぁ~、もうバドはしないの?」
「うん、高校は受験あるし。バドはもういいかなって」
「マジメだなぁ。私なんか――――」
「先輩追いかけて進学でしょ?」
すかさずユキアイコンビがにやっとする。お、ナイスコンビネーション。千佳にクリティカルヒット炸裂。
「ちょっ、もう~っでへへ」
と、思ったが千佳には効果いまひとつだったらしく。こちらも呆れ笑いに変わる。
「で、今回はどうすんの。付き合う?」
「もちろん断る」
「うへぇ、きっびしい」
「だってまだ入学して半月だよ。そんなんでどうして告白とかできるんだか」
「まあまあ。そいうのって早い者勝ちって風潮があるじゃん」
「ならミドリは私のもの」
「ユキにならいいかな~」
「あ、好きといえばこのあいだ二組の米今が――」
「そうそうっ! たしか二年の年上だっけ」
「ええ、いいなぁ」
そうこうしているうちに、話題は恋バナになった。誰が好きで誰が嫌い。誰さきが誰と付き合って別れて。いつの時代も女子の話題なんて、厭でもそこに行き着く。定められた終着点。恋に疎いこの仲でも絶対に持ち上がる話題のひとつ。
それが持ち出されるたびに、上ずった仮面を被る羽目になる。必死で話を合わせて、愛想笑いをして、静かに過ぎ去るのを待つ――――。
恋というものを私はよく知らない。
胸が張り裂けるように痛んで、そのたびに演技をする。何度も自分でナイフを刺し当てて、喉元から切り落とすような感覚を味わう。
ヒトは歩み続けている。人生というのは長い道のりを歩き続けることだ。その過程で他者と出会い、同じ道を歩き、やがて寄り添っていく。それが恋愛や結婚というものなのだろう。
でも私にはそれができない。いつも大きな踏切のまえで音の鳴り続ける赤を視ているだけだ。
前を見ればあちら側で、カップルが手を繋いでいる。そのなかには千佳やユキ、友人や家族までもいた。
あそこまで辿り着くのに、いったいどれくらいかかるだろう。
同じ道を行きたいだけなのに、私もあっちで生きたいのに。
踏み出した途端、信号は点滅を終えて走る間も無くバーが下がる。警告するように、まるで来るなと言っているかのように。無慈悲なそこは私を前へ進ませない。
みんなが持っているものを私は持っていない。それが欲しすぎてくらくらする。
そんな私にも転機が訪れなかったといえば嘘になる。中学のときに、初めて告白というものを受けた。
相手は仲の良かった同級生。周りから見れば、自然の流れだろう。
成り行きに従って、いずれ来るべき瞬間が訪れる。
でもそんな私を裏切るように、置き去るように。ときめきは、溢れてくれなかった。
校舎裏の少し大きなサクラの木下、夏の夕日を背を向けて、その男の子は呟く。最高のシチュエーション――人生初なんだから最高もなにもないと思うが、私が知りうる限りではそうだった。たぶん、いまもそれだけは変わらない。
でも何も感じなかった。
「付き合おう」その言葉についてくるはずの帯がひどく、虚しくかなびいた。
「どうして、そう思ったの?」
「どうしてって……そんなのわかんねぇよ。――ただ、気付いたら百川のことを特別に感じたんだ」
『特別』。それが大切なものであるはずなのに、最低だ。私はその時、目の前の彼に嫌悪を抱いてしまった。自分でも無意識に。でも明確に、それは感じ取れた。
「すこし、考えさせて」
アレ、なんで私そんなこと言ってるんだろ。少女漫画のヒロインのように、音楽が頭から流れ込んできて。浮かれ気分の有頂天に達する。そんな夢を抱いていた。
なのに、現実は私の思い描いたものをみせてくれない。羽根が生えたように、足が勝手浮いて。嬉しさできゅんきゅんする――そんな期待は裏切られて。逆になまりのように動かない。
きっと私は他の人より羽の発源が遅いんだ。うちに帰って、眠りにつき、一夏の朝を浴びればすぐに私もーーーー
でも結局、その感情が生まれることはなかった。
――――なのに。
その三ヶ月後、私は思い知らされることになった。ちょっと、だいぶ遅めのときめきに。
ある秋の放課後。部活で最後まで残っていた私は、いつも一人だった所為か。そこに誰かが来るなんて予想もしてなかった。ひとりだけ、珍しく自主トレに励む背の低い後輩。名前は雫ちゃん。
こう見えても副部長だったから部員の名前はちゃんと把握していた。
だから彼女が突然、「先輩っ!!」と叫んだときに、私はすぐに帰るべきだったんだ。
そうしておけば、自分の異常に気付くことなく日々を過ごせたのに。
可愛らしい声。華奢な腕、体操服から漏れるほっそりした鎖骨――――そして、女の子。
「ずっと前から好きでした。付き合ってください」
その瞬間、ひとり静かに自覚した。おかしいと、そう思ってた。この年頃になっても、そんな話の1つも聞いたことがない。
ああ、私は――――女の子が好きなんだな。
納得というかたちを自然にとることが出来てしまった。途端、嘘みたいな抱擁感が身を包む。ははっ、乾いた笑みが漏れた。心に致命的な傷が奔る。浮き足立って、心が綻んでしまう。それを異常だと自覚しながら、表情を押し殺す。
それからだ。一番初めに悩んだのは周りの目。普通にみられたい。普通でいたい。自分でも変なのはわかっている。おかしいと、自分でさえ嗤う。
だから、嘘つくことにした。私が“わたし”でいるための嘘を。
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