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軽やかなメロディーが、起床の時間を知らせる。ごそごそと布団から伸びてきた手が、枕元で軽やかなメロディーを奏で続けるスマホを掴んだ。
ああ、と呻いた女はボンヤリと顔を上げて、カーテンから溢れる日差しを見上げた。
「もう、朝か……」
半分も開いていない目を擦りながら、葵は布団から這い出てきた。
一人暮らしを想定して作られている部屋は、小さいけれどなかなか快適だ。南向きの窓から差し込む朝日に照らされた、そこそこ新しいその部屋からは明るく気持ちいい一日が始まる雰囲気を醸し出している。
しかし、そんな朝の陽光に対して、葵の表情は全く明るくない。葵にとって天気の良さは、退屈な一日が始まった絶望感を打ち消すほどの効果はない。
今日もまた、昨日と同じような日々が繰り返されるのだ。朝は、そんな代わり映えのない日常の始まりに過ぎない。いつも通り朝に、葵は飽き飽きしていた。
ダラダラと、葵は朝の用意を進めた。ケトルのボタンを押して、昨日の残りのおかずと冷凍のご飯をレンジに突っ込んで、お椀に味噌汁の元を入れる。服を着替える間にお湯が沸く。モソモソとご飯を食べて、すぐさま歯を磨いて顔を洗う。メイクをして髪を整えて、鞄を持って、車で出発。いつもと変わらない、いつもの一日の始まり。
高卒で就職したのは、小さな不動産屋の事務員だ。職場の同僚は、同じ事務員の四十代後半のおばさんと、営業のおじさん二人と、社長と、葵の五人だけ。
お客様は時々来るけれど、田舎の不動産に来る人は限られる。地主さんだったり、ビルのオーナーだったり、ごく稀にアパートや家を求めてやってくるお客さんもいるが、葵の興味をそそるような出来事は皆無である。
時折、面倒なお客様や無茶を言ってるくるオーナーがいるけれど、それだって流れていく時間の中では一瞬の出来事だ。葵の人生に、なんの変化ももたらさない。
何処にも足が付いていないような、フワフワした浮遊感が葵の心を何処かへ連れて行こうとするが、変わらない日常のからくる閉塞感が、固く足を地面に縛り付けている。時々、水の中にいるような、息が出来なくなるような錯覚に陥ることもあった。
アニメの世界のような、非日常な世界に行きたい。自分がここにいる証が欲しい。そんな曖昧な願いは、年齢が上がるにつれて、より強く、そして熱を持つようになっていた。葵は、ここではない何処かに焦がれ続けていた。
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