最初のほし

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葵が通勤用に使っている車は、免許を取った時に母が買ってくれた中古の軽自動車だ。中古といっても、そこそこ新しいそれは、小回りの効く乗り心地の良い車で葵は気に入ってる。憂鬱な通勤時間を誤魔化すように、好きな音楽をまあまあのボリュームで流して、出勤の為に何とかテンションを上げていた。 「おはようございます!」 事務所に着くと、葵は元気に挨拶をした。 「おはよう」 返事を返したのは、いつも朝早くに来ている社長だ。もう一人の事務員の岡本はまだ来ていない。出勤する順番は大抵、社長、葵の順で、後は営業の二人が先に来たり、先輩の岡本が来たりとバラバラだ。三人より先に来るようにと、この会社で働き出した頃に岡本に圧を掛けられた葵は、それを真面目に守っている。 「すぐに、お茶入れますね」 葵の仕事はまず、社長のお茶を用意すること。それから、残りの三人が出勤したら、三人が荷物をおいて席に着く頃にお茶を出すこと。 女性の新人がお茶係りなんて、時代錯誤でじゃない?と、友達には言われているし、葵自身も思ってはいるが、それをはっきりと言う度胸はない。変化を望むくせに、自ら変化を起こすほどの強さを葵は持っていなかった。 いつも通り、数分おきに出勤してくる同僚にお茶を出してから、葵はやっと自分の机に座ってパソコンを起動させた。 カタカタと、無機質な音が響く。 二十以上も歳上の岡本と葵の間には、会話はほとんどない。元々、人見知りが強い葵が自分から話し掛けるのはかなりの勇気が必要で、高飛車な岡本は、自分から話し掛けてくれる優しさを持ち合わせていない。 逆に、岡本と社長は、葵が呆れるほど長話をすることがある。岡本は高飛車だが、社長には媚を売るので社長には気に入られていた。 社長は、葵のことを可愛がってくれてはいるが、気遣いが出来る人ではないので、葵が一日のほとんどを無言で過ごしていても、気付いていなかった。 お腹がクーと小さく鳴ったことに気が付いて、葵は顔を上げた。凝り固まった首を解しながら、パソコンに表示された時刻を見ると、時刻は十一時三十五分。お昼休憩まで、三十分を切っている。ここからが長いんだよなあと思いながら、目線は外に向く。 暖かな風が吹き、もうすぐ桜の蕾が綻ぶだろうかと期待が膨らむ、初春の頃。その日は、気持ちがいい晴天だった。
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