最初のほし

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『力が欲しいなら、繰り返しなさい。「私は、世界を変える」と』 全く感情の感じられない声は、葵の胸の中にしまいこんでいた願いを言葉にした。 葵は、外に出た。後ろから、岡本の怒った声が聞こえるが、葵は笑っていた。 (ああ、私の願いは今叶う) 子どもの頃に願った、特別な人間になれるというお伽噺のような願い。いや、大人になった今も願い続けている思い。 事務所の駐車場で、葵は立ち止まった。回りに人が居ないだろうかと、見回すような余裕は葵はない。恍惚の表情を浮かべて、葵は叫んだ。 「私は、世界を変える!」 葵の高い声は、辺りによく響いた。長年の願いだ。その声は、希望に満ちていた。 たまたま通り掛かっただろう、スマホを持った中年の女性が葵の方を驚いたように見た。 葵も、思わず女性を見返した。 数秒経っても、葵に変化は何もなかった。ただ、驚いた顔した女性に見られて、急に思い出した羞恥心で顔が赤くなったのは、変化だったといえる。けれど、それだけだ。体が熱くなるとか、痛くなるとか、光りに包まれるだとか、一瞬の内に自分に起こるだろうと思われた変化は、全くなかった。 「え?」 スマホを見てみれば、そこには既に何も写ってはおらず、慌てて通話履歴を出してみても、そこに〝カミサマ〟からの履歴は残っていなかった。 「坂本さん!何をしているの?戻ってきなさい!」 唖然と、スマホを見つめる葵の元に、岡本がやってきた。そして、葵の腕を捕まえると、無理矢理事務所に引っ張り出した。 「ま、待って下さい!カミサマからの電話がーーー」 「神様?何を馬鹿なことを言っているの?さっさと仕事に戻りなさい!全く、今の時の若い子は……」 葵は、訳がわからなくなった。事務所に戻ってみれば、先ほどカミサマからの電話に慌てふためいていた社長は、何事もなかったようにお茶を啜っていて、葵の腕を引いていた岡本はくどくどと説教を続けている。 「急に外に飛び出すんだもの!びっくりしたわ。何を考えているかわからない子だとは思っていたけど、全くなんでこんなことするのかしら」 茫然と、岡本の話を聞き流していれば、どうやら葵は何もなかったのに急に外に飛び出したことになっていた。カミサマからの電話を、岡本も社長も覚えていない。 お昼休憩の時間になって岡本の説教は終わった。未だに固まってる葵を残して、岡本と社長はお昼を食べに外に出ていった。 残された葵は、両手を机に向けて縋るように呟いてみた。 「りんごよ、出てこい!」 どれだけ言葉を繰り返しても、りんごは現れなかった。
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