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自動筆記 1
ヴァントルスという国の、南東部に不可思議な集落があったことを記憶している。高い山々に囲まれた神秘の集落だった。王国の栄華には目もくれず、ただひっそりと、穏やかに暮らしている人たちだ。そしてこの集落には長らしい長はおらず、どこか陰鬱な影をもった住民たちが程よく手を取って生き残ってきたという。
長がいないことはこの時代において大変珍しく、私は一度、研究の一環としてその集落に調査に向かった。もう十年近く前になるが、忘れられない。忘れたくとも刻まれている。
私はヴァントルスの第二都市であるゲビニアを発って三日三晩ほぼ休みなく馬車を走らせた。当時私の研究に余裕がなく、たいへん急いでいたのだ。ただし、山を迂回するといいと訛ったヴァントルス語を話す御者がしきりに言うからそれには従った。山を越えると早いが夜を迎えそうだったし、夜の山道が危険なことくらいはわかる。御者は「山には神様がおりんさって…」と一言呟いた。
「おい、その集落は多神教の残徒なのかね」
「いいえ、彼らも教会で祈ると聞きましたがね。それでも山には神様がおると言われているんですわ」
「ますますわからないな。我らが神を賛美しながらほかのものを神だと言うなど。涜神者の集まりかね」
「……」
御者は何やら知った顔で「聞けば誰かは教えてくれまさァね、口はかたいかもしれませんが」と言って、それきり二、三質問を投げかけたがだんまりだった。馬車はそこから夜を越してもうすぐ正午になろうというときに集落に入った。
私はギナンシェの帝国政治顧問であることを明かしたうえで丁寧に集落の住民に話を聞いて回った。ギナンシェは信心深い者であれば名前だけで跪くほど教会の権威によって成り立っている国である。だが、この集落の人間はその名においても別段涜神的な言動はみられなかった。そこで私は質問をかけてみた。
「山に神がいる、という話は何なのか」
多くの住人がその質問になったとたん柔和な崇拝から畏怖の表情になって拒否をした。知らない、話したくない、言うべきじゃない、そんな声も聴いた。
そこで探って回っていることを聞きつけたらしい老人が声をかけてきた。
「もし、そこの方。山のアレについて知りたいのかね」
「イエ、しかし来るとき御者がしきりに山に入るのを止めたので」
「それは聡明な判断だ。その御者は若者ではなさそうだがね」
老人は70歳くらいに見えた。歩いて行ってしまうのを眺めていたら、手招きして家に来るよう言った。
「おまえさんが話を聞いた者たちは若かったから、そもおまえさんが訊ねた話と山がかかわることを忘れてしまっていよう。だがね、この村に村長がいないのには訳がある。いないのではなくいてはならなくなったのだがね」
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