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「最後に会ったのはいつだ」
「最後は……一月くらい前に、屋根舟で遊んだときだな。あんまりべたべたする子じゃないんだが、あの時ばかりは腕にぴったりくっついて離れねぇもんだから可愛らしいなと――あ、い、いや、失礼しやした、関係のない話でしたね」
横道に逸れる甚平の間抜け面を何も言わず睨みつけると男はあわてて口をつぐんだ。
「およしに懇ろの男はいなかったのか」
「さ、さぁ」
「あやしい客はついていなかったか」
「どうですかね。おはるに比べりゃ人気はぜんぜんで……ああ、けど、ひとり入れあげてるのがいたかな」
思い当たる節があるような口ぶりに、真弓は思わず前のめりになって詰め寄った。ついつい声が大きくなって、夜一が嗜めるように腕を引いたが、ちょうどそのとき隣の賭場からどよめきが聞こえてきた。うまくかき消されたようで、三人揃って安堵の息をもらす。
旗本や御家人の監視は町奉行ではなく目付の領分である。不届者が旗本屋敷へ逃げ込んだなら真弓たちには手が出せない。馬鹿馬鹿しい話だが御上に言って目付を介する必要がある。ほかにも、寺社は寺社奉行の縄張りなので、やすやすと出張っていい場所ではやっぱりない。そういうわけで、八丁堀の縄張りの外にある寺や武家屋敷で賭場が立つことが多かった。
手入れで踏み込んだわけではないがここで騒ぎになるのはよろしくない。お奉行様の心証だってよろしくない。こんなところにいるのは誰にも見つかりたくないものである。
真弓は今度こそ声をひそめて、
「……高利貸しか? 小男か?」
「見上げるほどの大男でしたよ」
甚平の言葉に、真弓と夜一は凍りついた。聞いたわけではないが同じ男の顔が頭に浮かんだはずで、真弓は咄嗟に言葉を失くして瞬いた。
こんなとき、夜一は弁えて真弓を押しのけ喋るようなことはまずない。けれどさすがの夜一も我慢ができなかったと見え上ずった声を出した。「ど、どんなやつだ?」
「名前は?」
「名前は……なんだったかな。とにかくいけ好かねぇやつだ。信心深い真面目な男だって親父は気に入ってたが、ぶつぶつ念仏唱える不気味な野郎です。侍ってもんがそもそも好きじゃないんだ、偉そうに踏ん反り返ってよ」
甚平は口を斜めに曲げてぼやく。これ見よがしに大小さして。はなにつくったらねぇよ。そんなに偉いのかい、ああ、いえ、旦那のことを言っているんじゃありませんよ。旦那はあたしら庶民の味方でさぁ――最後にきっちりヨイショをするのは忘れずに、どら息子の馬鹿息子はへらへらしてみせた。
――侍?
見えすいた世辞を聞き流し、延々と喋り続ける男の胸倉を鷲掴みにする。甚平の爪先が床から浮いて、苦しそうに呻くのも構わずに問いただす。
「武士なのか」
「と、と言っても浪人風情ですけど……。お家取りつぶしだかなんだか忘れちまいましたけど、しばらくうちに出入りしていた用心棒です」
態度が悪いもんでくびにしましたが、と、甚平はどこか自慢げに答えた。
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