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第二話
脚を揉んでくれと言うと、左蔵は嫌な顔ひとつせず「はい」と気持ちよく返事をした。思えば左蔵が逆らったことは一度もない。親分である真弓の言うことには何がなんでも従う。はなっから断るという頭がないのだ。
「忠実というよりは、もはや愚直」
と、夜一はいつも揶揄する。
行灯の灯をともすため、背中を丸めて火打ち石を叩く男の後ろで真弓は両足を投げ出した。
しかし待てど暮らせど火がつかない。あれ、とか、どうして、とか、おかしいな、とか呟く声にも次第に焦りが滲んできた。
左蔵は本当に火を起こすのが下手くそで、一度だけ短気を堪え、頬の肉を噛んで見守っていたときには、結局一刻半もかかった。
「貸せ」
火打ち石と火打ち金を奪い取る。何度か打ち付けるうちにすぐに火花ができた。思うに、左蔵は力み過ぎなのだ。緊張して――なにがそれほど緊張するのかはわからない――肩に力が入り、固くなってやるから駄目なのだ。
火口に移し、ふうと息を吹きかけて火種を作る。てきぱきと行灯の窓を開けるそばで、左蔵はおろおろと真弓と火を見比べていた。
縮こまる左蔵の頭からは、きっともう按摩のことなどすっかり消えてなくなっている。またうまくできなかったと落ち込む思いばかりだろう。
「脚」
と、再び腰を下ろして言えば、真弓の御用聞きははっとして足下までやってきた。
──御用聞きとか岡っ引きとか目明しとか、いろいろな呼び方があるがつまるところ同心の子分である。
そのなかでも公のものとそうでないものがおり、奉行所に届ける公のそれは「小者」という。詳しく聞いたことはないが、弥彦には一郎太以外にも御上の預かり知らぬ御用聞きが何人かいるらしい。
真弓の御用聞きは左蔵ひとりである。
多くは二人三人、なかには十人も使っている同心がいると南町奉行所の古株の爺から聞いたことがある。一人だけ、というのは南北あわせても真弓くらいのものだった。
定町廻り同心の真弓たちにとって、恐ろしく広いこの江戸の町において、人手不足はひどい痛手である。頭痛の種である。話を聞いて回るにしても己が身ひとつでは限界がある。効率も悪い。情報集めにも苦労するし、このままでは身体がいくつあっても足りないと頭の隅ではよく分かっていた。幾人もの御用聞きを手足目耳のように使ってやっと一人前である。
左蔵ひとりで十分だ──というわけではない。
左蔵は役立たずだ。
図体ばかりが大きな子どものような男で、本日は休みを言い渡していたが、本当に休んでいたのか怪しいものである。あっちをふらふら、こっちをふらふらしていたのかもしれない。
けれど、たとえどれだけ腕の立つものだったとして信用できなければ意味がない。
虎の威を借る狐のように、預かり物の十手を偉そうに見せびらかし、でかい顔をする岡っ引きは少なくない。そういった手合いとは左蔵はまるで違うのだ。
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