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第三話
定廻りというくらいなので、どれだけ腹が立っても腹が減っても、いついかなるときも定まった道を廻るのが役目である。
朝五つには着くように、身なりをきちんと整えて、邸を出てまっすぐに番所へ向かう。四つ半頃、見廻りのために町へ出る。辛くとも悲しくとも眠くとも。
歩きながら大欠伸をしていると、ちょうど前からやって来た古傘買いが道を避けた。深々と下げられる頭にひとつ頷き、脇を通り過ぎる。
真弓、夜一、左蔵の三人で見廻ることが多い。しかしここ三日は真弓ひとりである。
ふたりには三日前にそれぞれ指示を与えているので、それでお供の任が免除されているのだ。
自身番と書かれた行灯と腰障子を目印に、足を止め「番人」と真弓は呼びかけた。
「町内に何事もないか」
はい、お待ちを、と番をしている大家の六助の大きな声が奥からしたので、真弓はしまったと顔を抑えた。
六助は話が長い。一度つかまるとしばらくは出られない。いつもは六助に代わり女房が番をしている昼飯時を見計らってくるのに、眠気が勝りろくに考えもせず向かってしまった。
「ああ、よう来ましたな、旦那。暑かったでしょう。さぁさぁ入ってください」
しまったと思ってももう遅い――立て付けの悪い戸の向こうから、右足をひきずるようにして恵比寿顔の爺がにこにことうれしそうに出てきた。
六助は、話は長いが悪人ではなく、だからこそぞんざいにあしらうことができないところが困る。
六さん、有り難ぇが次の自身番に行かねぇと、急ぐんだと言っても聞く耳を持たず、まぁまぁ、いいから、いいから、とあれよあれよという間に中へと上げられる。暇なのだ。江戸は今日も今日とて天下泰平、人は死なず、長屋は燃えず、盗人はおらず。心中だ土左衛門だと天手古舞の今がおかしなもので、平時であれば奉行所があくびをするほど退屈だ。
自身番につめている者もこれといってやることはなく、昼間っから酒盛りをしたり将棋を指したり、まったくのんきなものである。
そんなわけなので、定廻り同心などは恰好の餌食だ。廻りに来ると嬉々として飛び出してくるものはべつに六助ひとりではない。いかにも威厳のある年嵩が相手ならまた態度を変えるかもしれないが、真弓は若い。良くも悪くも皆大変馴れ馴れしい。
どうしたもんかと内心頭を抱える真弓だったが、窮屈な九尺二間の中に入ると、今回ばかりはどうやらいつもと様子が違うことに気が付いた。将棋盤は隅に追いやられ、酒瓶はなく、六助の将棋仲間の爺はひとりもいない。
代わりに胡坐をかいて待っていたのはふたりの男であった。
ひとりは夜一である。目を瞑り腕組みをして口を真一文字に引き結び、もうひとりからなるたけ距離を置くように壁にもたれかかっている。鬢がほつれて、右頬にはぶん殴られたような痛々しく真新しい痣があった。
ひとりは左蔵で、股引に地味な着流しの裾を尻端折りにして、月代はきれいに剃り上げている。見慣れたいかにも岡っ引きらしい恰好だ。やはりこちらも夜一と同じく不機嫌そうで、髪が乱れている。
「ちょうどいまさっき、ふたり来たところなんですよ。なぁ、夜一。左蔵」
ひさしぶりだなぁ、と歯抜けの口で笑う六助の場違いに明るい声が、狭い自身番の中に響いた。
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