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第一話
「こりゃあ見事な土左衛門だ」
成瀬川土左衛門を見たことはなかったが、白く膨らんだその屍体はきっとそっくりなんだろうと、真弓はしみじみ言って伊達締めの端を咥えた。腕を回し、左右の袖の袂を引っ掛けるようにきつく締め、肩の付け根で結び目を作る。
夜一と一郎太の目配せには知らんぷりをした。はじめは側であれこれ指図をしていたのだけれど、不浄役人と呼ばれながらとりわけ不浄なまねはしない己に芯から嫌気がさして、俺もやると出張ってきたのである。夜一たちには申し訳なく思った。やりにくいったらないだろう。
同じようにたすき掛けにした夜一と一郎太、高みの見物が気まずくなった朋輩の弥彦の四人で、それぞれむしろの四隅を掴む。せぇので骸を持ち上げた。
──重い。背はあまり高くないようであるし、力士と比べればひどい痩せっぽちの土左衛門だというのに。水を吸っているせいかもしれない。
乾いた河岸に向かって、ヨッコラセ、ヨッコラセと運んで行くと、新場橋の上の黒山の人だかりが見えた。日も昇らぬうちに、土左衛門が出たと自身番の使いに呼ばれてきたときから、またずいぶんと増えている。
「見世物じゃねぇぞ! 散った散ったァ!」
真弓は声を荒げたが、べつに眠くって特別苛々しているわけではない。もともとがあまり気の長くないたちである。
皆散る気配はなく、背伸びをしたり身を乗り出したり、肩車をしたりと、人の成れの果てを覗き込もうとするばかりであった。仕方なしとため息をつき、
「夜一、行って来てくれるか」
「はい」
「いつも悪いな」
「いいえ」
野次馬共を追い払うのは夜一と相場が決まっている。さながら中村座の看板役者のごとき男前が効くのだ。心得たもので、土左衛門を下ろすや否や、真弓付きの中間は文句も言わずさっさと土手を駆け上がった。
「身投げは久しぶりだな」
朝日に照らされる、不味いぶよぶよ饅頭のようなそれを三人揃って見下ろす。ヤレヤレと真弓は腰に手を当てた。しばらく饅頭を食う気にはなれないだろう。
長い髪は頬に首に張り付いて、毛先には枝や落ち葉が引っ掛かっている。若い。血の気の失せた唇はぽっかりと丸く開かれて、流される途中にぶつかったのか、欠けた前歯が覗いている。真弓は大家の六助を思い出した。六助は歯抜けなのだ。
元はどんな女だったのだろうか。見る影もないが、ともすればいい女だったのかもしれない。
「ここんとこ、心中一色だもんなァ」
弥彦はつるつるの月代を撫で上げて、
「相対死ですよ。旦那」
間髪入れずに一郎太が正す。
御上より「心中」はならぬと御触れが出てからまだ日が浅く、弥彦に限らず、皆据わりの悪さをぬぐいきれていない。
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