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老先生は少し驚いてしまわれたようですが、ゆっくりとジャケットの内側からハンカチを取り出しました。
そっと私の頬に押し当てるようにして、涙を拭ってくださいます。
ああ、と私は気付きました。
『彼』の写真を見たときに差し出されたハンカチは、これだったのだと。
私はずっと、『彼』の正体を知っていたのでしょうか。
最初から、この終わりを知っていたのではないでしょうか。
「すみません… ずっと探していた人が、こんなおじいさんではさぞ残念だったでしょう」
俯いた私の上から、申し訳ないと思う気持ちを乗せた老先生の声が聞こえます。
私は頭を振りました。
零れてしまう涙を強く拭うと、乾いた手がそっと抑えました。「赤くなってしまいます」と老先生は言って、私の手にハンカチを置きました。
私はハンカチを目に当てて、瞼の裏に『彼』を見ようとしました。
しかし、思い浮かぶのは老先生の笑顔なのです。
「…… 『彼』が、先生であることが、嬉しいのです。 私の期待は間違っていなかったのだと、安心しているのです」
やはり『彼』は思った通り、柔らかで穏やかな人だったのです。
けれど、それは同時に、
「二度と、…… 『彼』には会えないのだと、悲しくてたまらないのです…」
同じ時間を過ごしているのだと信じていたのです。
『彼』はいない、ここに確かな証拠をくださっているのに、やはり、『彼』はいないのです。
ずっと昔に、通り過ぎてしまっていた…
ふわりとした感触が、私の頭を撫でました。老先生の手なのだと、私には分かりました。
こんなにも、柔らかな恋の終わりがあるなんて、知らなかったのです。
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