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放課のチャイムが鳴り響いてから、既に三十分が経過している。誰も居ない部室に荷物を放って、愛用のカメラを片手に学校中を駆け巡る。
今日は人物写真ではなく風景の写真を撮ろうと思う。なんとなく、そういう気分だった。それは紛れもなく、昨日の彼女が影響しているのだと思う。あのような幻想的な空間を、この手で閉じ込めてみたい。
パシャッと小さなシャッター音が鳴れば、あっという間に目の前の景色が現像される。時代を経てカメラも随分と高性能になり、インスタントカメラで撮った写真でも、高価なカメラで撮影したものに近い仕上がりになる。
けれど、満足はしなかった。普段ならば自分の写真に少なからず自信を持っているが、どうにも昨日弱音を吐いてから、写真に対してネガティブになり始めている。
「また写真を撮っているのね」
そんな自分が嫌で溜息を吐いた時、背後から落ち着いた声が聞こえた。振り返れば、昨日の少女が立っていた。
「あ、昨日の……」
「咲坂沙綾。よろしくね、久世千紘くん」
「何で僕の名前を?」
「調べたのよ。隣のクラスだったのね」
「え、隣のクラス⁉」
「そうよ。二組の咲坂。少し前に転校してきて話題になったけれど、気が付かなかった?」
「全然……」
言われてみれば、一ヵ月前くらいに転校生が何とかって噂は聞いたことがあったような気がする。もっとも、僕は写真に夢中でクラスメイトの話題についていけてないから知らないのだけど。
「久世くんは、どうしていつも写真を撮るの?」
しゃがみこんで花壇の花を撮影していた僕の横にちょこんと座り、彼女は顔を覗き込んできた。
「写真が好きだから、かな」
「それ以外は?」
「えっと……その時見た瞬間の記憶を大切に残したい……から」
「でもあなたが撮っている今の光景は、いつだって見られるじゃない。わざわざ写真に残す意味はなに?」
「うーん……」
やけに食い下がる彼女に困惑しながら、僕は眉を顰める。改めて問われると答え難い質問だった。僕はただ写真を撮るのが好きで、それを誰かに見てもらいたい。そんな単純な理由でこれを続けているだけだ。
「ごめんなさい……別に責めているわけじゃないの。ただ、純粋に気になって」
「分かってる、大丈夫だよ。そうだなぁ……僕は、同じ光景っていうのはこの世に一つも存在しないと思うんだ」
「どういうこと?」
ぱさりと乱れた髪を耳にかけながら、咲坂さんが首を傾げた。
「確かに、咲坂さんの言う通りこの花壇はいつでも見られるかもしれない。花だってしばらくは同じ状態で咲いていると思うよ。でもね、今日という日に君と見た景色は二度と見られない」
彼女の足元に咲く名前も知らない花を撮って、現像された写真を手に取る。この景色だって、全く同じものはこの先見られないだろう。
「タイムスリップでもすれば別だけど、それはそれでまた違った形式で見ることになるでしょ?僕は、一度しか存在しない光景を忘れないためにシャッターを切るんだよ」
「……なるほど」
咲坂さんは納得したように頷いた。
「まぁ、人には見て貰えないから、撮ってどうすんだよって思うかもしれないけどね……」
自虐めいた微笑を浮かべれば、咲坂さんは口を閉ざしたまま訝しげに僕を見つめる。つい悲観的になってしまうのは僕の癖だ。
時折考える。この写真を撮ってどうするのか。部屋に溜まっていく誰にも見られない写真たちを見ては、心苦しくなる。いっそ全て捨ててしまえば楽になるのかもしれないが、どうしても踏み切ることができない。
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