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次の日の朝になってもアンナはずっと昨日の夜の出来事が頭から離れませんでした。
修道院のはずれには広い農園があり、修道女が野菜を育てているのですが、学校の生徒たちもお手伝いをすることになっています。
アンナはジャガイモ畑の草とりのお手伝いをしていました。
(あれは夢だったのかしら)
その後の授業もなかなか耳に入ってきません。教室のうしろの窓際にアンナの席はあります。アンナは教科書ごしにこっそり教室内を見わたしました。
小さな背中が並んで見えます。みんな同じ黒い制服をきていますが、髪の色や肌の色はそれぞれ違います。
「また明日ね」
昨日の女の子の声が頭をよぎりました。
(この中に昨日の声の子がいるのかしら)
はちみつ色の長い髪の女の子や、短いツンツンの黒髪の男の子の頭、メガネをかけた男の子、難しそうな顔で黒板をみつめる女の子。
(あの子はどこの国の子かなあ)
アンナが順番にのぞき見ていると、ふと教室の隅にいたガシールと目が合いました。
ガシールは疑り深い目でアンナの方をみていました。アンナはあわてて机のノートに目を落としました。
(ああ、危なかった)
ガシールはとても意地悪なのです。少しでもおしゃべりをすると、すぐに生徒の親に言いつけてしまいます。言いわけも聞いてはくれません。けれどガシールは学校内の見張り役ですから、寄宿舎の建物まではやってきません。
アンナは夜が来るのが待ち遠しくなりました。きっとまた今夜も窓ごしのおしゃべりをするにちがいないと思ったのです。
夜、夕食をすませ部屋に戻ると読書の時間です。
アンナは図書館で借りた絵本を机に開きました。でも本のページをめくる手はまったくに進みません。
昨夜とほぼ同じ時間に、アンナは窓を静かに開きました。
今夜も月は細く、夜空は星でいっぱいです。少しして小声のおしゃべりが聞こえ始めました。
一人、二人、三人……。
「太陽とお月さまは狼に追われているのよ」
「追われてる?」
「太陽がスコルっていう狼に追われ、その後からお月さまはハティという狼に追われてるの。だらか朝と夜が順番にくる。そういう神話があるの」
「太陽やお月さまが狼に食べられたらどうなるの?」
「この世の終わりよ。じつはね、一度食べられちゃってるの。だから今空にある太陽とお月さまは二代目になるらしいわ」
へえ、とう声が重なります。アンナは思い切って話しかけてみました。
「わたしも仲間に入れて」
小声の楽しげな会話が一瞬とぎれ、張りつめた空気になりました。アンナはどきどきしながら返事が返ってくるのをじっと待ちました。
「君は誰?」
男の子の声がおそるおそる話しかけてきました。
「わたしもあなたたちと同じ生徒よ。昨日、窓を開けたら声が聞こえて……」
「私たちの声、大きかった?」
女の子が心配そうにアンナに聞きました。
「ううん、そんなことないわ。ねえ、いつからこんな風におしゃべりしているの?」
「ついこの前からだよ。窓を開けて空を見て流れ星を数えていたら、その声を聞いて話しかけてきた子がいて、それからおしゃべりをするようになったんだ」
アンナの問いに、今度は別の男の子が答えました。
「私もきのう流れ星、見たわ」
そうアンナが話しかけたところでカーンと午後八時の鐘がひびきました。
「いけない、守衛さんの見回りが来る時間よ。それじゃあ、また明日ね」
「うん、また明日ね」
アンナも小声で返し窓を閉じました。
その夜、アンナはなかなか寝つけませんでした。この学校に入学してから、初めて子供同士だけでおしゃべりをしたのです。うれしくて、うれしくて、アンナは何度もベッドの中で今夜の会話を思い出していました。
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