幸運を運ぶ美青年

1/1
3人が本棚に入れています
本棚に追加
/3ページ

幸運を運ぶ美青年

「社長、××会社の佐藤様からお電話です。先日の企画書の件です」 「了解」と言いながら、打ち合わせに使用した資料やメモをバインダーから取り出し、保留を解除した。 「お電話代わりました、黒石(くろいし)です。先日は…」  得意の笑顔を浮かべながら、資料を見て、ひとつずつ疑問点などを潰していく。  切電すると、手帳に挟んだ写真――端正な顔に三歳児のように無邪気な笑みを浮かべ、ピースマークをしている、紫色の虹彩の青年――を見て、ため息を吐く。  捨てようか、捨てまいか。いつまでも持っているなんて、女々しい人間みたいで嫌だ。でも、一時帰国をしたあの夏に、彼――桔梗崇水(ききょうしゅうすい)と出会ったから今の自分がいる。 「あっ、哲さん、それ!」  鼻先に立てた細長い指先で、黒縁のメガネのブリッジを指の腹で押す。合コンに参加している際に知り合い、引き抜いてきた美形の男性社員Mに、笑みを浮かべる。前職に引き続き営業担当だ。 「めっちゃ美少年っすね。これが、」  これカラコンすか? と尋ねたくなるほど、神秘的な紫色の瞳。Mは、見とれながらも、何か考えている。 「うん。お守りみたいなもの」  全部言わないうちに、言葉を封じておく。たまに哲が、この写真を見ているときに、株式会社アズ・グラネクスに、大口の仕事や一大プロジェクトが舞い込んできたのだ。それも何度も。 「会社に幸運を運ぶ美少年」と社員があだ名をつけ、それが全社員に広まったらしく、哲が写真を見るたびに、何かいいことが起きるのではないかと期待している節がある。 「哲さんの幸せを社員一同願っております」 「なんだよ急に」  男性社員の肩を軽く叩くと、「痛いっすよ」と苦情が入る。 「みんな心配しているんですよ、これでも」  社長と肩書がついているが、営業もしながら、積極的に取材を受けている。働きすぎだと社員によく言われるが、忙しいほうが性に合う。 「ありがとうね。オフィスに住みたいくらいこの仕事が好きだし、今が踏ん張り時だからね」  仕事仲間と友人に恵まれ、日々試行錯誤を繰り返しながら、楽しんで働ける環境がある幸せ者だ。 「わかってるっすよ。行ってきます」  会社を興すのも、潰すのも簡単だが、ゴーイングコンサーン(企業の継続性)を守っていきながら、成長していくのは、簡単ではない。勉強会やセミナーに出たり、効率的な人事配置をしたりするなど社長に課された任務はあまりにも大きい。  でも、それを考えている時間すら楽しくて仕方ない。居場所がないなら作ればいいし、誰かに立場を脅かされるのなら、それを凌駕する存在になればいい。そう教わって生きてきた。  水筒に入れたコーヒーを飲みながら、Mの指導のもと営業のルーキーが作成した企画書を読む。 「おいで、キキョウ」  哲の私物であるペンギン型のロボットが寄ってくる。家の中に倒れやすいロボットを置いておけなくて、というのは半分本当で半分嘘だ。自分の精神安定剤の代わりを果たしてくれるそれを、オフィスに放しておけば社員の気持ちも安らぐだろうと考えて、毎朝一緒に出勤しているのだ。  その目論見は、見事成功した。社内のアイドルとして可愛がられているキキョウに話しかけている社員もいるほどだ。  きゅ~い、と鳴くそれを腕の中に抱き、企画書の矛盾点や疑問点をメモ帳に書き出した後、メールの返信を行い一休憩をとる。 「僕はどうしたらいいんだろうね、キキョウ」  コーヒーで汚れないように片手でキキョウを抱きながら、手帳を取り出し、写真を見ると、ささくれた気持ちがいく分落ち着く。  頑張って会社も安定させた。二十代前半にして勝ち組と揶揄される生活レベル。でも、生まれつき恵まれず、足りない部分を補えなかった。 ――シュウにもう一度会いたい。他愛もない会話をしてみたい。それが叶わないなら、一目でいいから見てみたい。      ◇  企画書のリテイクを行い、先方のもとへ向かった営業のルーキーがもうじき帰社する頃だなと、腕時計をちらりと見た。 「ただいまです。社長、大口の仕事いただきました!」  外回りから帰ってきた営業のルーキーがスキップするように、歩いている。小さなオフィスがどっと湧き上がる。口々に営業のルーキーを褒める社員たちに、目を細める。 「結構条件が厳しかっただろ? よくやった」 「ありがとうございます」  Mが育てている営業のルーキーが、新規開拓を成功させた。企画書の出来もよかったから、後は彼のプレゼン力を信じて待っていた。キキョウを抱きながら。 「やっぱ美青年の力は、絶大っすね」 「みんなのおかげだよ」  ぬか喜びするまいと気持ちを引き締めた。  
/3ページ

最初のコメントを投稿しよう!