(13)永戸家と湯崎家

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(13)永戸家と湯崎家

 事務室へ戻ってきた究太は、色々と吹っ切れた顔をしていた。思い詰めたような顔で出て行った究太を心配していたシロウは安心し、何をしてきたかについては敢えて聞かなかった。しのぶれど色にでりけりと言うものの、そもそも究太はそれを隠すような素振りが無いので、路実の元へ行ってきたのだろうという事は想像に難くない。 「……悪かった、ありがとう」  すまなさそうに言う究太にシロウはもう一度コーヒーを入れてきた。仕事中でなければブランデーを落としてやりたかったが、夜警は何があるかわからない。特に車を運転するような状況が起こらないとも限らない為、当然アルコールの摂取などは禁物だ。 「部屋へ戻っても眠るだけですからね、かまいませんよ」  実は事務所に一人で残される事はシロウとしても望むところではあるが、路実と究太ほどにシロウに対して信頼を寄せていない女将と料理長から、極力シロウを一人で残すな、とは暗に言われているのだ。 「……よかったら、話聞きますよ」  立ち去りがたい様子で残るシロウに、まだあがらないのか、と、究太は問わずにいた。コーヒーの入ったマグカップを受け取って、美味いな、と言ってからの沈黙の後に口をきいたのはシロウの方だった。  見透かされてしまった事を恥じているのか、究太は少しだけばつの悪いような顔をしたものの、シロウの方から切り出してくれた事をありがたいと思ったのか、確かめるように「いいのか」と、問い返した。無言で頷き、着席したシロウにぽつぽつと究太は語り始めた。それは永戸家と湯崎家の因縁も含めた歴史についてだった。  武田勝頼が長篠の戦いで敗北してすぐの頃、武田家の弱体の寸暇をついて主筋にあたる砥樫家を攻める上杉方に通じ、滅亡に追い込んだ湯崎家と、砥樫家の幼かった世継ぎを連れて逃げ出したと言われてる永戸家。もちろんこの『逃げ出した』というのは伝説にすぎない。そうであって欲しいと願った者達と、そうであっては困ると思った者達がいた結果、不確かな口伝としてしか残っていない。しかし、路実がそれを言うとまた別の意味を持つ。  対立しながらも、湯崎家は永戸家を滅ぼす事はしなかった。主君の城が落城するのを冷ややかに見守っていたのにもかかわらず、だ。  湯崎家には湯崎家でまた、密やかに伝えられた教えがあったのだ。永戸家を冷遇するのはいい、ただし、血筋を絶やしてはならない。一件矛盾するこの言い伝えには裏があった。上杉勢による岩見山城攻め、その際、湯崎家は湯崎家で上杉方へ人質を取られていたという話だ。当時の上杉家当主、既に関東管領にもなっていた上杉政虎が、そのような真似をするはずが無いと歴史小説好きな者なら思うだろう。しかし上杉家といっても、本拠地である越後から遠く離れたところまで、その威光が届いていたかどうかはわからない。上杉家配下の誰かに卑怯者が全くいなかったという確証は無い。  ともかく、湯崎家としては、岩見山城攻めに手を貸した事も、その結果主君である砥樫晃永が死んだ事も、不本意な事だったのでは無いかと思わせるのが、代々続く教えとなって残っているのでは無いか、というのが究太の考えだ。それは湯崎家の総意では無い。何かにつけて裏切り者と言い出す永戸家の者を悪く思う者も一族には居た。  しかし、湯崎家と永戸家、二つの湯守は時に陰になり、日向になりながらも、対立しつつ互いを尊重して砥炉喜温泉をもり立てて来たという事は事実なのだ。湯崎家にそのような言い伝えがある事は、永戸家も知らない。これは宗家の跡取りにのみ伝えられて来た事だからだ。それゆえに、究太は路実の言葉も真実味を持って聞いていた。そうやって二家で支えて来たといっても、永戸家と湯崎家は婚姻によって結ばれた事はまだ無いからだ。  過去、そういった話が上がった事が有るには有った。だが、永戸家側から破談にされていたという事もあったという。湯崎家では無く永戸家から。路実の言う、伝えてよいのかどうかと悩むところも、そのあたりに起因しているような気がした。 「湯崎家は永戸家に負い目がある、本来であれば、二つの家で守ってきたものを、湯崎家のせいで壊してしまったんだから」  いくら時代が変わって、もう戦国の世は遠いとなっても、それを伝えてくれたのは自分にとっては近親者なのだ。路実にとって祖母がそうであったように、究太にとっては亡くなった母だった。究太の母は、究太がまだ中学生だった頃、病気で死んでいる。婿養子だった父は、土地の生まれでは無かったが、母を愛し、母の為に家を守り続けて来た。究太もまた、一人息子として父を支え、一族を守ってきた。その母が残した言葉、永戸家との和解。  母は、母こそが、本来であれば永戸屋の男と結婚するべきだったのだ。だが、路実の父は、正しくは路実の祖母がそれを拒んだ。路実の母は、若い頃夫と究太の母が恋仲だった事を知っているのだろうか。時折そんな事を考える。父が居なければ自分は生まれなかったし、路実の父が今の女将と結婚しなければ路実も生まれて居ない。無意味な仮定だとわかっていても、究太は想像せずにはいられない。路実を諦めて、他の女を妻に迎えるなど、自分には到底できそうに無かった。しかし路実の父はそうしたし、究太の母も……。  その上でなお、自分がかつて愛した男の子供と自分の子供を娶せようと考えていた母は、どんな思いでそれを究太に伝えていたのだろう。 「究太さんと路実さんは、いつからの付き合いなんですか?」  ふいにシロウが尋ねた。 「子供の頃からだよ、物心ついた時にはもう一緒だった」 「だったら、路実さんのお父さんも、究太さんのお母さんも踏ん切りはついていたんじゃ無いですか? だって、いくらなんでも昔好きだった人と自分の子供が接点を持つ事に抵抗があるんじゃないですか?」 「ああ……確かに、そうかも……、ばーちゃんはすげー嫌がってたけどな」  路実の祖母、明実には不条理なほどよく怒られた。だが明確な悪意を持たれていた気は不思議となかった。 「ばーちゃんのあれって、一種のプロレスみたいなもんでさ、こう……設定? つか、フリ? みたいな感じで、よく追いかけられもしたけど、走って疲れると菓子を出してくれたりして、むしろ愉しんでたような所もあった気がする」 「女将さんはよその人だったんですか?」 「ああ、出身は金沢の人らしい。 修業に来た料理長とは向こうで出会って……うちの母とも仲が良かったから、もちろん色々あったんだろうけどさ、大人達は大人達でどこかで吹っ切ったんだと思ってた、永戸家がどうの、湯崎家がどうのって言うのは実は遠縁の人だったりして、あの人らはあの人で、田舎の名士ってのに無駄にプライドもってるせいか、いつの時代のドラマだよって感じで……俺らの世代になって未だにそんな事を言う人間は居ないかなー、せいぜいが、母の従兄弟だとかそのあたり、ここで黙って代を重ねたら、次の世代にはもうそんな話も残らないんじゃないかって気もしてるけど……」 「文句を言いそうな人がまだ生きていても、あきらめたくは無かったって事ですか」 「後は……不本意な別れ方をしてたから、って事もあるんだけど……」 「不本意な?」 「俺、リゾートバイトに入った同級生妊娠させた馬鹿息子って事になってるから」 「……それは、大分最低ですね……」  一瞬、シロウが眉をひそめた。 「いや! 違う! 誤解だったんだけども! 噂って広まっちまうと自分の力じゃ収束できないもんだろ?」 「じゃあ本当は?」 「俺、この間まで童貞だったんですけども……」 「……その情報必要ですか?」  聞きたくなかった内容を言われてしまってシロウとしてはもうつっこみようが無い様子だ。 「悪い、でも手っ取り早いと思って……」 「この間まで、ってのが、味わい深いですねえ……」  しみじみとシロウが言うと、我に返った究太が真っ赤になって照れた。 「いや、今の無し! というか忘れてくれ!」 「あー、はい、忘れますし、覚えていたいとも思いませんが……」  そう言ってから、究太は話が『記憶』にまつわる部分であった事に気づき、素直にシロウに詫びた。 「なんか、さっきから俺、失言ばっかりだな、本当にごめん……」 「いえ、究太さんが悪い人で無いのは一緒に働けばわかりますよ」 「それ言ったらシロウだってそうさ、昔シロウがどんな仕事をしてたかはわからんけど、俺、シロウと一緒に働くの好きだ、察しがいいし、動きも速い、多分有能だったんだろうなって思う」  そう言って笑顔を見せる究太に対して、シロウの良心が痛む。もし自分が、ホテルのM&Aを続けているポラリスリゾーツの副社長だと知っても、究太はこの笑顔を向けてくれるのだろうか、と。かつて、上杉家に与し岩見山城を落としたという湯崎家の究太が、再びこの砥炉喜温泉を脅かそうとする企業買収の胴元に対して素直に心を開いてくれただろうか。 「俺さ、もう一度路実に言ってみるよ、路実が家に伝わる話をしてくれなかったのは、俺が永戸家に入る覚悟を見せられなかったからだと思うんだ、オヤジと親戚連中黙らせて湯崎館と永戸屋が一つになるって話をまとめる事ができたら、路実も俺を信じてくれるんじゃないかなって」 「……究太さん、俺、思うんですけど、その一つになる事を路実さんは恐れているんじゃないですか?」 「どういう意味?」 「路実さんからしてみたら、二つのものが一つになるというより、永戸屋が湯崎館に飲み込まれるって思ってるんじゃないかなって……」  シロウの言葉に、究太は思っても居なかったという顔をした。 「究太さんからしてみたら、自分の生まれた湯崎館と、路実さんの永戸屋、二つが共になるという事にポジティブな印象を持っているかもしれません、湯崎館の資本が正式に永戸屋に入ったら、今資金不足でやれていない設備の強化なんかも行えるでしょうし、いいことずくめだと思います、でも路実さんからしてみたら、自分の代で家を潰してしまう、こう思ってるんじゃないですか?」 「そんな、俺はそんなつもりじゃ……」 「多分路実さんも理性ではわかっているんだと思います、でも、先ほど言っていたじゃないですか、路実さんは特におばあさんの薫陶を受けているって、湯崎家の資本で永戸屋を立て直す事にどこか敗北感のようなものを持っているのだとしたら……」 「……そうか、そこまでは考えてなかった」 「いえ、俺も、そういう二つの家の確執みたいなのは感じていなかったんで……外から見ていると気づかないものも、中の人から見たらけっこう重要なのかもしれないな、と」  シロウは……ポラリスリゾーツ副社長、遊佐慎夜は、そんなやりとりを今まで何度も見ていた。買収といっても、屋号も残るし従業員も交渉次第では残せる。当然今まで通りの待遇は難しいが、能力に応じて可能な限り答えるようにしていた。しかし、買収される側は必ずしもそれをポジティブには受け取ってくれない。シロウは究太の気持ちがわかり過ぎるほどにわかった。そして、路実の気持ちも……。 「結局時間しかないんですかね、信頼を得るには」  ぽつりとシロウが言った。今、こうして究太と信頼を育んでいても、自分の正体がわかってしまったら、それは瞬く間に瓦解してしまう。むしろ信頼を育めば育むほど反作用は大きくなる。  これ以上永戸屋にいるわけにはいかないと思いながらも、シロウは究太と路実の行く末が気になって仕方なかった。
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