(14)過去からの亡霊

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(14)過去からの亡霊

 永戸屋料理長、永戸旭、路実の父の元に一通の手紙が届いた。差出人の名前が無く、宛先は宛名シールに住所と名前が印字された簡素なもので、立場上ダイレクトメールや営業の手紙が届く旭としては、その手紙を特段重要な物だと思わず、レターケースの中に入れたままにしておいた。  だから、忙しい日々が一段落し、平日の朝、溜まった手紙類を整理するまで読まれずにいたのだった。レターオープナーでまとめて封を開け、広告類については興味のあるものだけを残し、他は古紙の束に積んでいく。そこで初めて、その簡素な封筒に入っていたのが手紙だった事に気がついた。、角張った文字は筆跡を隠すように直線で書かれていた。さらに、その内容はダイレクトメールや広告といった内容では無かった。固まったように動きを止めて、しばらく内容を吟味する。あり得ない事だ、そう思いながらひどく不安にもなった。  あり得ない、しかし、考えてしまうと確かめずには居られない。身に覚えは無い事ではあっても、本人の気づかないところでそれをする事は全くの不可能では無いからだ。旭は、その手紙を破り捨てようとしたが、躊躇って封筒に戻した。そして、日頃重要書類などをしまう鍵付きの引き出しの奥へ入れて鍵をかけた。  どうやって確かめればいい? そう思いながら心臓を抑える。まるで、過去の自分がやって来て、忘れていた思いを、封印していた記憶をこじ開け、見せつけられたも同然だった。 --  朝、夜警が終わった究太が、そのまま残っている事務室に、路実は女将であり母の知加子と、料理長である父の旭を呼び集めた。母は話の内容がどことなくわかるのか、うれしそうにしている。しかし、父、旭は違った。路実が声をかけに行った時、既に朝食の準備は終わっており、手の空いている時間を見越して調理場へ行くと、父が真っ青な顔をして包丁を見つめていたからだ。何故か路実は父がそのままその包丁を胸に突き立てるのでは無いかと恐れて父を呼んだ。路実に呼ばれると、旭はいつもと同様の笑顔を見せたが、ひどく思い詰めた様子の旭は路実を不安にさせた。  そして、究太が知加子と旭に用件を切り出すと……。 「ダメだ、まだ早い、早すぎる」  それまで全く存在感をアピールしていなかった父、旭の突然の変遷にも思える頑なな物言いは究太だけでなく路実と知加子も驚かせた。 「お父さん、だってこの間までは普通に……」  路実と究太が恋人同士になっているのは親の目から見てもあきらかだったはずだ。知加子も唐突な夫の態度の変貌に驚いているようだった。 「それは、早いっていうのが結婚が、っていう意味?」 「結婚だけじゃない、その……とにかくダメなんだ」 「えー、でももうこの娘とっくに傷モノよ?」  知加子の爆弾発言に路実も究太も真っ赤になってあわてた。 「おかーさんッ! 何て事を!」  あわてて路実が言い、究太は赤面したまま一言もしゃべれなくなっていた。気づかれていない、とはさすがに思ってはいなかったが、あまりにも赤裸々すぎて言葉も無い、といったところか。 「究太君……君は、その、路実と……」  顔面蒼白な旭が究太の首を絞めそうな勢いで腕を振るわせながら向き直る。究太は嘘をつくわけにもいかず、かといって、両親を前にして娘さんとはすでにデキてます、などと言うわけにもいかず、無言で真っ直ぐ見つめ返す事しかできなかった。究太としては婚前交渉として将来を視野に入れた上で事に及んだつもりではあったが、性欲が理性を凌駕していなかったかと問われれば即答するのは難しかった。 「お父さんもお母さんもやめてってば! だからこうして正式に挨拶をって、だいたい私たちお見合いだってしたんだし!」 「まさか、路実、お前、その、子供が……」  旭は過保護な父親という顔では無かった。何か重大な禁忌を犯した者を見るような、その罪深さを自分自身の事として受け止めているような悲壮感があった。  一方路実はというと、昨晩の行為を思い出して、まさかもう既に、と一瞬自分の下腹部に触れた。昨夜自ら究太にのし掛かり行為に及んだ。避妊はしていない、つまり可能性はゼロでは無いという事だ。 「路実……さすがにそれはお母さんもかばいきれなわ……」  路実の様子に何かを察した知加子が言う。旭はゆらりと立ち上がり、深くショックを受けたように壁にとりついた。 「……さんぞ」 「お義父さん?」  思わず言った究太に対し旭が向けた表情は怒りでは無かった。怯えたようにふるふると顔を振り、旭は言った。 「ダメだ、許さん、結婚など、許されるはずがないんだ……」  そう言い捨てて、旭は事務室から逃げるように出て行った。  常軌を逸した狼狽え方をする夫に対して知加子も少し不安そうな顔をしている。 「こういう場合って、父親は婿に対してもっと攻撃的になるかと思ったんだけどね……、ほら、言うでしょ? ショットガンマリッジとか」 「だからお母さん、まだわかんないんだって」 「でも、そうなるようなやり方はしたんでしょ? 二人とも」 「言い方ッ!」  動揺する父に対して母の方はあくまでも明るいのが救いではあった。しかし、本来向けられるであろう怒りでは無くて恐怖とは、どういう事だろうか、と、究太も不審には思っていた。 「お母さんは最初から反対してないけど、お義父さんどうしたのかしらね、急に。だいたい止めるならお見合いの段階で止めるべきでしょう? 何で今更あんな事を」 「妊娠したかもしれない……から、とか?」 「お父さん、それに関しては人にどうこう言えるはずが無いんだけど……」 「え! お母さん……そうなの? 知らなかった……」  路実が驚くと、知加子はしまった、という顔をした。究太はこのまま話を聞いていていいものなのか、と、落ち着かない様子だ。 「ともかく!」  母が言った。 「お父さんについては私からも話を聞いてみるから、今更反対されても正直……だし」  知加子は知加子で永戸屋の事もあり、今更反対の姿勢を見せる父の行動を『裏切り』だと思っているのかもしれなかった。  父を追って立ち去ろうとする母、知加子は言い捨てるように娘と将来の娘婿に言った。 「あー……あと、……正式に結婚って事になったら離れでも建てましょうね、その……ね」  いかにも察しろ、という顔をして女将が立ち去ると、残された二人は赤面する他無かった。同じ家の中での事だ。気づかれない方がおかしかった。 --  夜勤明け、究太は一旦湯崎館へ戻るべく車を走らせていた。父には既に話は通してあったが、一応他の親族にも報告をする為だ。湯崎家の親族に結婚の許しを取る必要は無いが、中には湯崎館で働く者もおり、何も知らせずに決定事項のみ知らせる形だと臍を曲げる人間が予想されたからだ。  案の定、ひどい嫌味を言ってきたのは経理担当の暮西友晴だ。母の従兄弟で、湯崎家の長老面をしているが、嫁に行った祖父の妹の孫で、血縁関係で言えば遠縁と言ってもよい。祖父が存命時に大叔母のたっての頼みで現職についたが、あまり有能では無かったようで、後に母の夫になる究太の父には頭が上がらない。母が生きていた頃は多少は遠慮していたようだが、母の死後、そして、父の影響が薄れ、次代の究太が跡継ぎと目されるようになった頃から増長した態度をとるようになっている。父は敢えてそれを放置している節があった。跡取りとして暮西程度は御して見よという事らしい。そして、その目論見はじわじわと暮西の居場所を奪いつつあった。予約システムが一新され、コンピューターを使っての管理が浸透してくると、暮西よりも商業高校を卒業した若手の方ができる事が多いからだ。今となっては暮西の役割は仕上がった帳票をプリントアウトし、捺印して社長室にファイリングするのが主な仕事となっている。それすら、究太は見ていない。逐一自分からアクセスした方が早いからだ。無意味なので辞めるよういくら言っても「先々代からの通例ですから」と言って譲らなかった。祖父の代での慣例では伝統とすら言えない。親族であるゆえに解雇もできない、ある意味目の上のたんこぶだった。 「おやおや、若は重役出勤ですかな、それともあれですか、やっと重責に堪えかねて逃げ出す覚悟はできましたか」  でっぷりと肥えた腹を揺らしながら傲岸に言う。暮西にとって常在していない二代目など不要な存在とでも言わんばかりだった。当然、主立ったスタッフにはメールやグループウェアを通して指示を出している事など知らない。IDとパスワードは渡してあるが、自分ではほとんどアクセスしない。予約係の若年スタッフにIDもパスワードも知らせて代わりにやらせているほどだ。重役ばりの皮椅子にふんぞり返り、自分こそが事務方の主のような顔をしているが、誰も自分に指示をあおいでこない事に何の疑問も持ってはいないようだった。究太不在のコントロールはフロントマネージャーの佐藤小次郎がしている。 「重いだけでも困りますけどねー」  遠くから皮肉をこめた佐藤小次郎の声がした。 「究太さんちょっといいですか?」 「あー、俺今から暮西さんにちょっと話が……」  そう言って究太が暮西を誘うと、暮西はまんざらでも無いように究太に続いて社長室へ入っていった。フロントの女性スタッフが不思議そうに佐藤に尋ねる。 「小次郎さん、いいんですか? 究太さん戻ってくるの待ってたんじゃ……」 「あー、別にいいよ、こっちは別に急ぎじゃないし」  ひらひらと手を翻しながら佐藤は館内の見回りに出て行った。チェックインが増える前に休憩を兼ねての事だった。だから、あくまで館内見回りであって、決して外から社長室の様子をうかがうわけでは……無い。多分。 -- 「本気ですか?! 永戸の娘ですよ?」  案の定、外に聞こえそうなほど大声で叫ぶ暮西の声が響いていた。 「父には既に話てありますし、だいたいこれは亡き母も望んでいた事ですから」  きっぱりと言う究太に暮西が狼狽えた。 「馬鹿な! そんな事があるはずが無いんだ」  やけに確信を持って言う暮西に対して究太は少し妙だと思った。母と暮西は仲の良い従兄弟とは言い難かった。究太自身が母から聞いたわけでは無いが、暮西は一時期、といっても究太が生まれるずっと前に、母との結婚を狙っていたのだという。それだけに、父と結婚するとなった時の落胆ぶりはすさまじかったようだ。 「何故そう思うんですか?」 「……いや、だからそれは……」  しどろもどろする暮西に追求するように究太が続けた。 「根拠が無いのでしたら暮西さんの個人的な意見でしょうか?」 「いや、これは湯崎家の者としてですね……」  湯崎の名字を持たない暮西がことさら湯崎家湯崎家言うことも、実は究太は気に入らないのだが、それを言い出すのはあまりにも角がたちそうで黙っていた。 「でしたら親族会議にでもかけますか? 集まれば、の話ですが」  湯崎家古老と言えるような者は既に皆鬼籍に入っている。だからこその強気な発言だった。 「そんな浮ついた事でいいんですかね? 最近は湯崎館だって左団扇ってわけでもないでしょう」 「そうですね、しかるべき人員整理は行いたいと常々思っておりますよ」  これは完全に究太の皮肉だった。在籍年数はやけに高く、それほど有能でも無いわりに存在し続ける自称幹部のスタッフなどは、まっさきに嘱託扱いになって欲しいと思っている、誰有ろう目の前にいる暮西の事なわけだが……。暮西自身は知ってか知らずか、 「ああ、そうですね、最近道理をわきまえない若造が幅をきかせていますからね」  と、自分は対象になり得ないと信じて疑っていない様子だった。 「ならばなおのこと、湯崎家と永戸家、歴史ある砥炉喜温泉の湯守二家族が手にてをとって協力する意味もあるというものだと思いますよ?」  路実と究太の結婚に障害は無いはずだ。少なくとも、暮西が二人の結婚で何か不利益を得るはずは無い、なのになぜ、反対できる立場に居ない暮西がそれほどまでに渋るのか。 「……たとえばですが、永戸の料理長がこちらに口を出す、何てことになっては、こちらの料理長の立場が……」  唐突に出てきた話に究太は驚いた。 「どうしてここに料理長の話が出てくるんですか?」  驚いて究太が聞き返すと、あわてて暮西が否定した。 「ああ、ほら、永戸屋の料理長の旭は私にとっても幼なじみですしね、大人しい男でしたが、……その、気位ばかり高くて採算度外視といいますか……」 「そんな事は無いと思いますよ? 永戸屋は仕入れ価格を抑えながらも料理のクオリティは落としていません、むしろこちらが教えを仰ぎたいほどです、だいたい、何で経理担当の暮西さんが板場の事を心配されるんですか?」  究太は追求を緩めない。 「ああああーーーーーっと」  急に暮西が叫んだ。 「……何ですか」 「今日は役場の人から団体予約の相談が入ってたんですよ、もう行かないと」  逃げるようにして出て行った暮西の背中を見ながら、究太は、一応事前に話を通したって事で向こうの気が済んでくれればいいと思っていた。 「究太さーん」  暮西と入れ違いに佐藤が社長室の扉をノックした。 「ああ、悪い、長い事留守にしてすまない」 「いえいえ、あちらでは布団敷きからナイトフロントから、こっちでは信じられないようなお働きぶりと聞いてびっくりしてますよ、僕」 「ぐ……なんだってそれを……」 「客室清掃の外注さんはうちと向こうの掛け持ちしてる人もいますからね、僕、年配の女性にはモテるので」  にこやかな佐藤は年配の女性だけでなく女性全般にモテる。その分年配の男性からの受けは非常に悪い。暮西などは佐藤を煙たがっている最右翼だ。 「で、相談がありまして……」  佐藤が取り出したのは手書きのアンケートの束だった。 「アンケート?」 「まだ入力してないやつです、手書き分の」  湯崎館では試験的にスマホ経由のアンケートも行っているが、部屋に備え付けのアンケートを使う客の方が圧倒的に多い。選択式のアンケートならともかく、最後にあるフリースペース、何かお気づきの点があれば、の、項目はスマホで長文入力するよりも手書きで書きなぐる方がやりやすいからだ。アンケートが全てだとは思っていないが、客のちょっとした気づきは慣れて感覚の麻痺しつつあるスタッフには気づけないような発見がある。  究太は佐藤から受け取ったアンケート用紙を数枚パラパラとめくった。 「……これって」  究太が顔を上げると、佐藤が心得たように言った。 「善造さんが入院してからです、総料理長不在だし、ある程度は仕方ないかなと板場の連中も言ってはいますが……」  善造というのは、湯崎館料理長、小橋善造というもう八十に手が届く老人だ。職人気質で少し考えは古いが技術は高く、湯崎館の料理を支えるいわば大黒柱だ。職人気質ゆえに下の者達へは厳しく、尊敬はされていたが恐れられてもいた。そんな善造が入院した。大病では無い。ぎっくり腰だ。  弱っているところを見られるのを嫌がる善造老人は見舞いを断り、対面を許されたのは何故か暮西と究太の父だけだった。父は既に究太へ引き継ぎを終えた気持ちでいる。そうなると必然直接会うのは暮西だけという状況になる。 「いきなり調理法が変わっているとも思えないけどな……仕入れ伝票はどうなってる?」 「そう思ってまとめときました」  佐藤は手際よくアンケートの束の次に仕入れ伝票を見せた。究太はパラパラとめくりながらぼやいた。 「あー、こっちもとっととシステム化したいんだけどなあ……」 「善造さんが不在のうちに進めます?」  しれっと言う佐藤に、苦笑しながら究太が言った。 「それはマズいだろ、俺は別に善さんを追い出したいってわけじゃ無いんだ」 「ですよね」  善さん『を』というところに含まれた何かに気づいきながら、佐藤は敢えてそこにはつっこまなかった。 「けど、こんなに急に変わるもんかねえ……」 「で、俺さっきの暮西さんと究太さんのやりとり聞いてて思っちゃったんですよね、暮西さんが恐れてるのは湯崎家と永戸家の婚姻って事より、向こうの料理長がこっちに関わってくる事なんじゃないかって」  究太と佐藤は互いを見て、納得したように頷いた。 -- 「どうして急に、お父さん今まで別に反対してなかったよね?」  チェックインが一通り落ちつき、路実と女将は事務所で休憩をとっていた。フロントにはシロウが立ち、何かあったら呼んでもらう算段になっている。父旭は、朝以来板場にこもって出てこない。従業員食堂には必要な賄いが準備されていたが、今日はもう極力路実達とは顔を会わせまいとする意志が感じられた。 「ただ、積極的に賛成もしてなかったのよねえ……」  ため息と共に母の知加子も不思議がっている。 「今更花嫁の父、でもないようだし、だいたい『子供』に対してあんなに拒絶反応を見せるなんて……」  路実は時計をちらりと見た。夕食の仕込みが始まる前に父の真意を確かめようと思い立ったのだ。 「ちょっと板場行ってくる」  立ち上がってフロントにいたシロウに一声かけて、路実は板場へ向かった。事務所から板場へ行く場合、館内を通って食事処から入っていくルートと、外周りで行くルートがある。既にチェックインを済ませた客との対面を避けて路実は外周りで板場へ向かった。途中、見慣れない車が停まってているのに気がついた。黒のセルシオ。古い、既に販売終了になったモデルだが、根強いファンはいる。特に年配の男性で大切に乗っているユーザーは多いと聞く。もしやお客様が迷って……と、ちらりと中を除いたら、湯崎館の半纏が無造作に助手席に置いてあった。湯崎館の人間が永戸屋に来るのはめずらしい。究太がいる間に呼びに来たというならわかるが、今究太は湯崎館に戻っているはずだ。行き違いになったのだろうか、と、そのまま進むと。  板場の事務所へ続く扉が半ば開き、中から口論が聞こえてきた。 「いいから帰ってくれ! 俺は湯崎館の板場に興味は無い、善造さんをないがしろにするような事は無い、これからだってそうだ」  めずらしく激高するような父の声に、路実は侵入を躊躇い、その場に立ちすくんでしまった。 「それを聞いて安心しましたよ、それにねえ……まさか、腹違いの姉弟でそんな……大昔だったらそんな事もあったんでしょうけどねえ……」  父と口論している相手はまるで挑発するように言った。腹違い、とはどういう事だろうか。 「しかし、妻の妊娠中に浮気とは、堅物そうでなかなかやりますねえ、永戸君」 「断じてそんな事は無い! 俺が亜矢ちゃんと付き合っていたのは高校の時の事だ」 「……でも、後ろめたいところはあるんじゃないですか? 君らの駆け落ち騒動はここいらの人間だったら皆知ってる」 「だからこそ! 結婚以来俺たちは二人きりで会ったりはしなかった! 路実達が生まれてからは家族ぐるみの付き合いだってあったんだ」 「それはほら、永戸君も自分の息子に会いたかった……とか」 「暮西! それ以上の言葉は亜矢ちゃんへの冒涜であり、裕太さんへの侮辱でもあるぞ!」 「こちらの女将さんはご存じなんですかねえ……」 「知加子は全て知ってる、知った上でそれでも俺と結婚してくれた、俺が知加子を裏切るのはあり得ない」 「そうは言ってもねえ……だって俺、見ちゃったんですもん、永戸君が朝方逃げるようにして帰っていくところを」  何か確信めいて暮西が言うと、旭ははっと気づいたように言った。 「この手紙をよこしたのはお前か、何が目的だ?!」 「いえ、別に、古よりの歴史で、湯崎家と永戸家は反発していたわけですから、今更ここへ来てその歴史を曲げる必要は無いと思うってだけですよ、俺も湯崎の人間ですからね……」 「それは、古老達の総意なのか?」 「さあ、どうでしょう……でも、究太の父親が万が一裕太さんじゃなかったら、どうなるのかな、と、思っただけですよ」  路実は、父が言い合っている相手が湯崎館の誰かなのだと理解した。そして、さらに恐ろしい考えに思い至った。父と究太の母の関係を。路実の方が誕生日は早い。学年は一緒だが、数ヶ月年上という事だ。……もし、母が自分を妊娠していた間、父が究太の母と関係を持ったのだとしたら。  今朝の父の態度に納得がいった。父が恐れた事、子供などとんでも無いと怖がるようにしていた理由。まさか、自分と究太は……。  路実は、その場から駆け出していた。究太と過ごした夜を、肌を重ねてきた事が蘇る。禁忌の関係、どうしてそんな事が、自分は、愛してはならない人にずっと焦がれていたのか。そう思うと、目の前が真っ暗になるような思いだった。
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