しおからい写真

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今日でこの部屋ともお別れだ。 引っ越し最後の日に忘れ物がないか入念に 部屋を掃除した。 自分の背丈には合わなかったスタイルの 衣服やアクセサリーは全て処分した。 もう、俺には必要ないと思ったから。 うっすらカビ臭い押し入れに腰を曲げて 頭を突っ込み、スマホの灯りを頼りに 最終点検をした。 すると奥からと思っていた 一枚の写真がパラリ膝元に舞い込んだ。 肌を焼くような日差しと砂と潮の匂いが 封じ込められた忌まわしい記憶だった。 散々泣いたのにな…まだ目頭が潤んでしまう。 白縁に囲われた浜辺の写真の中央には 天使のように微笑む、白いワンピースが 似合う初恋の君が写っていた。 学生時代から憧れて、大人になってようやく 告白して俺の恋人になってくれた君。 口下手な俺は君の気を引きたくて、君は僕を 照らす太陽だ、とか荒れ地に咲いた瑞々しい 一輪の赤い薔薇だとかクサイセリフでいつも 口説いていたつもりだった。 君が柔らかな口元を緩ませてくれるから それでいいと納得していたんだ。 平凡なお付き合いだったけれど俺は十分 満足していたのに君は突然去年、俺をフッた。 怒鳴りたかったのに俺以上に悲しい目をした 君を見たら何も言えなかった。 いつもは複雑な言葉がポンポン出るのに。 どうして別れなければいけないのか聞いたら 君は真横に引き結んだ唇を、ほんの僅か 開けて話してくれたね。 「あなたは沢山の言葉で私を楽しませて くれたけど私の心を拐ってはくれなかった」 ああ結局、俺の自業自得だったんだ。 賢い君は上辺だけの言葉に気づいていた。 そうして狭い白縁の外へ飛び出してから 出会ってしまったんだよね。 君の心を拐ってくれる情熱的なヒトに。 くしゃくしゃになった写真の上にボタボタ 重い、辛い、濁った涙が溢れてしまう。 まるで海がそこにあるようだった。 君の最後の連絡はとても短かった。 君が他の人のお嫁さんになってしまう証拠。 白無垢の君は、とても綺麗だった。 その写真はもう、ありはしない。 不満のある男を捨てて勝ち組へと昇進して 最後に当て付け、さぞ満足したことだろうと 写真は破り捨ててしまった。 君の手紙はとても短かった。 文字が震えて紙が歪み「ごめんなさい」と 書いてあった。 最後まで、君を憎ませてはくれないらしい。 今日、俺は故郷を捨てて別の場所で暮らす。 思い出と辛酸の染みた世界を捨てた新しい 環境で、今度は間違えないようにしよう。 しおからくなった写真を最後にゴミ袋の 口を縛り、玄関を出た。
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