契約後

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 ゼシールも本当は理解しているのだろう。このままじゃダメだ、と。甘えていても仕方ないし、婚約者を蔑ろにすることにもなりかねない。多分、我がままを言える相手が少ないのだと思う。私がニルから聞くゼシールは、国を任せて問題ない未来の国王、らしい。  ゼシールは完璧じゃない。記憶力が少し高い、普通の人。だけど努力家。王太子の責務を理解している。だから、ニルはゼシールの側に居るのだ、と聞いている。ニルは仕事が良く出来る武官だけど、強面で堅物だ。初恋もした事が無いオクテだ、とゼシールが揶揄っていたけれど、婚約者が居ない事は確からしい。  閨事は教えられるけど、恋だの結婚だのは、教えられないなぁ。ごめんよ、ニル。がんばれ。  「ゼシール」  「……分かった」  「うん」  いい子いい子、と頭を撫でた。溜め息をつくゼシール。  「ミネルヴァ、元の姿に戻って」  ゼシールに頼まれて私は、ゼシールに会った時の私になる。……この姿も本当は娼館用なので、私ではない。  「違う。ミネルヴァの本当の姿を知りたい」  ゼシールの言葉に私は驚いた。何故、わかったの?  「なんで」  「最初はこの姿が本当だ、と思ってたよ。けれど、ハジメテだった筈なのに、やけに男慣れした雰囲気の姿だった。まるで慣れた娼婦のような。だから違うかもしれないって思っていた」  ゼシールに言われてしまえば、私は嘘を吐き続ける事も出来なくて。本当の私の姿に戻った。母が他界してからは、初めてだと思う。  「それが本当のミネルヴァなんだね」  金髪が混じった銀色の髪。決して目を引くような美人ではないけれど、魔性と呼ばれる紫が入った瞳。私の目の色は薄い紫だから、私と目を合わせても引き込まれるような気持ちにならないのは、娼館の主で理解出来ている。  それでも、魔性の瞳持ちの私の目を見て、ゼシールが私の操り人形みたいになった姿は見たくなかったから。そんな感じではないゼシールにホッとする。紫の瞳の持ち主は、相手の意志に関わらず、相手を操り人形のように引き込んでしまうらしい。私はそんなもの、要らない。ゼシールが平気で良かった。  「ミネルヴァ。本当の名前も教えて」  「それは、王太子としての命令?」  「いや。ゼシールとして」  少し考える。亡き母が言っていた。本名を知った人が意地悪をしてくるかもしれない、と。それだけ我が家名は、隣国では忌まわしいものになってしまったそうだ。だけどこの国は他国。  「ゼシールだけなら。ニルにも教えられない。それでも良い?」  「その方が良い」  「私の家名は隣国では相当忌まわしいみたいだよ。それでも?」  「それでも」  「本当は、生涯を共にしたい、と思える相手にだけ打ち明けるように、お母様は仰っていたんだけど。まぁそういう相手も居ないし。良いよ。ゼシールに私の本名を預ける」  そう言って私は、ゼシールの耳に私の本名を囁いた。  「私はリア。セシリアよ」  家名と共に教える名前。ゼシールには言わない。父の元に嫁いで来た母の母国では、愛称ではなく、本名を異性に教える事は、自分の命と一生を相手に捧げるという事を。だから母の母国では、結婚相手と言えど、名を預けるに相応しい相手じゃなければ、愛称しか教えないらしい。  私は、もう王家のモノで。王家以外に命も一生も捧げられない。だから、せめて名前くらいは、自分の意思で預けられる相手を見つけたかった。だからゼシールにも最初は教える気はなかった。  でも、今なら良い。  ゼシールになら、命も一生も捧げよう。  どうせこの身は死ぬまで王家のモノ。  だったら、名前を預けるのはゼシールが良い。  ゼシールのためなら、きっと死ぬのも怖くない。  「ありがとう、ミネルヴァ。その名前は、俺が生涯預かる」  ゼシールが嬉しそうに笑って、それからニルに退室を命じる。……何故?  躊躇ったけれど退室したニルの背中を見つめていると、ゼシールが私をソファーに押し倒した。  「もうリアに手は出さないっていうのが、リアを引き取る条件だ。それは父との約束だから破棄出来ない。でも、まだ君に、セシリアに最初に捧げられるものがあるよ」  ゼシールはそう言うと、私に口付けた。  「なっ」  驚いた私の隙を見つけてゼシールが深く口付けてくる。まるで私を絡めとるように。  「娼館では口付けはしない」  ゼシールが息継ぎをする合間に私に言う。そう。娼館では口付けというのは、恋人同士のもの。だから行為で口付けは交わさない。  「だから、リアに口付ける。リアも俺以外と口付けていないよね」  それはそうだ。というか、ゼシールのお手つきになってしまったので、ゼシール以外のお相手も務めた事は無い。そう言えば、ゼシールは嬉しそうにまた笑った。  「これから先、俺は婚約者と口付けるだろう。だけど、最初はリアに捧げたかった」  随分、自分勝手だ、と私は思う。  「リア。セシリア」  ゼシールは私に口付けながら、私を抱きしめて嬉しそうに笑って。やがて、言った。  「これから先、君を俺の部屋に入れる事も、2人だけで会う事も無いけれど。でも側に居てくれるのだろう?」  「私は王家の……いいえ、ゼシールのものだから。兵士の姿か護衛の姿かそんな感じで」  「うん。いつか……」  「何?」  「いつか、俺の役目が終わるまで待っててくれる気はある?」  「ゼシールを待つの?」  「うん」  「待ったらどうなるの?」  「旅に出よう。俺と君の2人だけで」  「旅?」  「そう。その時に言いたい事がある」  「ゼシールが役目を終える頃って、私もきっと契約を終える頃よ? だって私の魔力が尽きるまで、か、私が老いて契約を果たせなくなるまで、だもの」  「そうだね」  「契約が終わればお別れでしょう?」  「いいや。契約が終われば俺もリアも自由だ」  「自由」  「だから自由記念に旅に出ようよ」  「その時に言いたい事を教えてくれるの?」  「必ず」  「分かった。じゃあ、契約後は別れでは無いのね」  「そう。契約後は自由記念に旅だ」  私はゼシールに頷いた。それは夢。だって、私は知っているの。ゼシールには知らせていない事。……でもいい。せめて夢くらい、私だって持っていたい。  それから直ぐに、ゼシールは婚約者さんと結婚して。やがて何年か経って国王になった。  その頃、ニルから結婚しよう、と告げられた。  「ダメよ、ニル。あなた、結婚まで先代国王の意図を汲むの? あなたが本当に好きな人と結婚した方がいいわ」  「知っていたのか?」  「知っているわよ。先代が恐れているのは、私がこの国を出ること。あまりにも王家の闇を知り過ぎたわ」  「だからミネルヴァが国を出ないように」  「それで自分の結婚すら、言いなり? 幸せになりなさいよ。あなたにその権利はあるのよ?」  「じゃあお前は?」  「私?」  「お前の幸せは」  私はただ笑った。ニルが口を引き結ぶ。やれやれ。ゼシールだけじゃなくて、ニルも子どもだったか。  「良いのよ、ニル。いいえ、キーランス」  私がニルの本名を言えば、驚いている。それから痛みを堪えるような表情を見せた。  「いつから」  「先代国王陛下に会った時に聞いたの」  「そんな前から」  「だから良いのよ。あなたは幸せになって。私は先代国王陛下の最後の契約をきちんと果たしたわ」  「それはどういう」  「ゼシールが国王になるまで、ゼシールを守ること。それが本当の契約。彼、側妃の子だから、王妃の子である第二王子を王太子にしたい一派から狙われていたでしょう?」  「まさか、それで次々と第二王子派を失脚させていたのか?」  愕然とした表情のニル。国王が依頼してくる悪巧みのメンバーが、第二王子派だった事に気付いていたけれど、違う者もいたからイマイチ自信がなかったのだろう。  ちなみに王妃からの依頼は逆に王太子一派の失脚狙いだ。  「そうよ。でもゼシールが国王になったからもう私の契約は終わり。これから先代国王の元へ向かうわ」  「向かってその後は?」  「ニル。あなたがキーランスとして、私の父に罪を被せた一族の人間である事を気にしているなら、ゼシールに伝えて欲しいの」  「何を」  「もしかしたら、私はゼシールを男性として愛していたのかもしれない。って」  「ミネルヴァ」  「ニル、さようなら。あなたの事も好きだったわ」  時間だ、と笑った私は、戴冠式直前で忙しいニルに時間を取らせてごめんなさい、と謝って先代国王の元へ向かう。ニルは私を引き止めようとしたのだろうけど、私は首を振った。  「先代国王の命を受けているのよ、私」  その言葉にニルは逆らえないと知っている。そしてゼシールの幸せも願いながら先代国王の元へ。  「長きに渡りご苦労だった」  「いいえ。彼が国王になれた事が嬉しいですから」  先代国王の側近が私に杯を渡して来る。きっと私の気持ちに気付いていた先代国王。ありがとうございます、と笑って、昔叩き込まれた淑女の礼を取って、その杯を受け取った。そのまま躊躇わずに飲み干す。  「眠るように逝ける」  それが、私が死の間際に聞いた最後の声だった。そうか。眠るように逝けるなら、それは良い……
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