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あなたの○○、三億で買い取ります
「あーあ、もう売るモノないなあ」
断捨離。不要なモノを処分すること。私の趣味だ。私の断捨離はただ捨てるだけではない。
売る、とにかく売る。売って、売って、もっと欲しいものを買う!
いままで、いろんなモノを売ってきた。
有名文学賞を総なめした、ベストセラー小説の初版本。
抽選で当たった映画主演キャストのサイン入りポスター。
中学校と高校の制服、教科書、参考書。
アプローチがウザかった、彼氏未満の男たちからもらったバッグやアクセサリー。
大学の入学祝いに、両親からもらった万年筆。
結婚式で着たウエディングドレス。
売っては買って。買っては売っての繰り返し。
欲しいモノはいっぱいあるし、魅力的な商品が次から次へと売られている。もっと、もっと、お金がないと買い物できない。
私はベッドに転がりながら、スマホをスクロールさせていた。結婚してこの地方に来たけれど、中古品を買い取る店がない田舎だから、最近はもっぱらネットで宅配買取を頼んでいる。
『高価買取』で検索すると、いちばん上にネット広告が表示された。
「え、いち、じゅう、ひゃく、せん……さ、三億円買取!?」
思わず叫んで、ベッドから起き上がった。
これ、嘘の広告かな。でも三億円か……。
私はお腹を撫でた。テーブルを眺める。
二冊の母子手帳と預金通帳が置かれている。銀行口座には、五桁のお金だけ。私の所持金は少ない。そう、いくらモノを売っても、支出が多すぎるのだ。
「あいつの給料だけなら、双子なんて育てられないって! よし、何を買い取るのか確認してから決めよう!」
広告をタップして、サイトにある電話番号に電話をした。どうやら、そのモノは店頭買取しかできないらしい。私は電車を乗り継いで、店に向かった。
―――
私は店を出るや否や、興奮して夫に電話した。
「もしもし!」
「なんだよ? いま仕事中なのに……」
私はある質問をした。もし、店のスタッフの言葉が正しいなら……。
「私の名前、わかる?」
夫は言葉に詰まっている。
「……わからない」
私は早口で叫んだ。
「売ったのよ! 私、売っちゃったのよ、自分の名前を! 三億円で!」
「は? 名前? 三億円!?」
スタッフの言うとおりだ。
『……さん。この書類に拇印を押すと、あなたの名前は消滅します。名前は個人にとって、とても価値のあるモノです。ですから当店では、三億円で買い取りをさせていただきます』
私は電話を切ると、ATMに向かった。お金はすべて銀行口座に振り込んでもらった。
「ふふふ、こんな大金が口座にあるなんて初めて……」
早速、十万円をおろした。
買ったのは、高級ブランドのマタニティウェア。ベビー服もどっさり。まだ足りない、まだ足りない!
デパートの売り場とATMを行き来した。
大量の紙袋を両手に持ち、私は帰宅した。たくさん歩いたから、足がむくんで痛い。これから毎日が楽しみ!
「ただいまー」
玄関のドアが開き、聴き慣れた声が響く。ガラガラと、何かを引きずる音が聞こえる。
「おかえりなさい」
振り返ったら、キャリーケースを持った男性が部屋に入ってきた。
……あれ、この男性。見覚えがあるけれど。えっと、えっと……。
「聞いてよ! 俺も売ったよ、名前!」
「え!?」
男性は、私に一枚の書類を見せた。
『名前買取承諾書』
数時間前に私が拇印を押したのと同じ紙だ。男性の右手の親指は朱肉がついていた。
「まだ俺たちしか店に来てないらしいよ。ばかだよなあ。三億だよ、三億! とっとと売ればいいのに」
男性がキャリーケースを開けた。
なかには、ピン札がぎっしり入っている。
「とりあえず、一千万円は一括でもらってきた! あとは毎月もらう。もう俺は仕事しなくていいんだ! 名前を売る前に辞表を出しておいたよ。これで遊んで暮らせる!」
私は男性を責めることができない。なぜなら私も、同じことをしたのだから。
でも資産が二倍になったのに、ちっともうれしくなかった……。
つきあっていた頃から昨日まで呼び合っていた名前が確かにあったのに、全く思い出せない。スタッフは、こう言っていた。
『名前は個人にとって、とても価値のあるモノです』
これからこの男性を、何と呼べばいいんだろう。
「ねえ……」
私はそっと、二冊の母子手帳を見せた。
「私、子供ができたの。双子よ」
「お、また稼げるじゃん!!」
「……え?」
聞き返す私の声は震えていた。
「テキトーに名付けて出生届を出したら、名前を売っちまおう! 双子だから六億円だ! ああ、四人合わせてこれで、十二億!!」
男性はソファに座ると、うれしそうに身体を揺らす。
テレビからニュースが流れる。
「銀行に強盗が押し入りました。犯人は都内の◯◯◯◯と◯◯◯……」
この名前、どこかで聞いた。どこだっけ?
頭に浮かぶのはスタッフの言葉。
『買い取りした名前は、こちらで使わせてもらいますね』
【終】
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