不可解?自殺?事故?少女転落事件

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不可解?自殺?事故?少女転落事件

「バッドエンド、バッドエンドで終わった娘に一目会わせてください」 そんな泣き落しで無理筋を貫かれても困る。だいいち被疑者には無罪判決が下っている。彼はもう犯人ではない。 「民事の不法行為で損害賠償請求しますか?」 俺は刑事責任を問えない事を重ねて説明した。 「ええ、それは重々承知のうえです。ただ、高菜の最期が知りたい」 末山八十吉(すえやまやそきち)は涙ながらに訴えた。十七歳の誕生日を目前にして不慮の死。かわいい盛りの娘を奪われた親にかける言葉はない。巨漢がスチール机に水溜りを広げる様はこっちも辛くなる。甲子園の準決勝まで進んだと言うがまさか社会にでてガチ泣きするとは夢想だにしなっかっただろう。 「お気の毒ですが、かなり厳しい。矢島勉(やじまつとむ)さんは彼女が転落する直前まで説得を続けていた。LINEのログも展望台非常口付近の防カメ映像でもご覧になった通りです」 高菜は強風が吹き荒れる灰色の冬空に身を投げた。心斎橋タワーの最上階は大阪湾を一望できるレストランだ。無数のスマホが証人になっている。彼女はいわゆる不登校児できっかけは女子同士の性的暴行だという。それで拠り所をSNSの交際相手にもとめた。 「青少年条例でも児童保護法でも何でも構いません。あの男をふたたび法の場に引きずり出して真実を知りたい。金の問題じゃないんだあっ!」 父親は張り裂けそうな胸中をぶちまけた。 「彼は十九歳。法律上は成人です。しかし、たった半年前まで未成年だった人間をいきなり大人のレギュレーションに当てはめて裁く事には無理がある。交際していた当時は二人とも未成年だった。真剣交際はLINEの過去ログが証拠採用されて認められたでしょう」 その他にも提訴を拒む理由は山ほどあった。法の不遡及と言って後出しジャンケンで過去の合法行為を裁くことはできない。暴れ馬状態の八十吉に念仏を説くだけ無駄だ。 しばらく騒がせておこう。そのうちゼンマイが切れる。娘を突然失った父親の狂態を観察する貴重な機会とはこの事だ。八十吉はキャニスターをひっくり返し、散乱した書類を血眼で選別している。いくら仕分けても隠れた証拠など出てこないだろう。どこを切っても金太郎飴の現実。八十吉が大枚はたいて俺に集めさせた「スパシーボ!」の案内チラシだ。事故当日、リニューアルオープンを記念して割引クーポンが配られた。店主の証言では本町の印刷業者に依頼して二千部を刷った。苦労して八百八十六枚を回収し、DNAを採取した。勉と高菜の遺伝情報は発見されなかった。 そもそも勉に殺意も動機もないし完全なアリバイが成立する。八十吉と別居中の妻が互いに異性遍歴を重ねている間に彼が父親がわりをつとめた、子守り役に買い与えられたスマホ以上に。高菜はブラウザゲームを通じて大学生と知り合い、健全な交際を重ねた。そのラブラブっぷりは証拠閲覧した裁判員を落涙させるほどだった。 「僕が高菜さんを殺すなんて考えられません」 勉は法廷で潔白を表明した。その争点となったのがスパシーボ!のデートだ。検察は計画的犯行を主張した。最初から殺す目的で誘い出した。当時、勉には女性の影がいくつもあり、その一人は妊娠していた。 「矢島勉には臨月の女性がいた。他にも高菜さんと似通った年齢の相手が三人。いずれも女子学生です」 「待ってください。確かに僕は彼女たちと付き合っていました。SNS上の女友達としてです。それは高菜も知っていますし、夏美、麻衣、亜里沙、香奈たちにも紹介済みです」 「それではなぜ、高菜さんだけを特別扱いに?」 検察側の意地悪な質問に勉は苦笑した。 「参ったなあ。高菜はメンヘラだ。他の四人も僕の相談相手に過ぎない。が、彼女は特別『重たかった』んです」 「重い、とは?」 「何と表現したらいいか…彼女の病状と存在感というか」 いわゆる「重たい女」を簡潔に表すのは難しい。優しくすればつけあがり、距離を置けば寂しさのあまり自殺をほのめかす。面倒くさい存在だと勉は述べた。 「それでも貴方は身重の夏美さんより、彼女を選んだ」 「いいがかりだ!」 勉が反論した所で「誘導尋問だ」という弁護側の指摘が入り、紛糾、休廷となった。 結局、検察がどう頑張ったところで被告の殺意を立証する事は出来なかった。物証に欠け、状況証拠を積みあげる闘いは推定無罪の原則に屈服した。 「夏美の子は私の娘だったんだ!」 ガシャンとロッカーが横転した。 「わかったわかった! もうやめてください末山さん」 破壊の限りを尽くされては堪らない。俺は必要な書類だけ渡してお引き取り願う事にした。 ところが、森の小動物っぽい潤んだ瞳で懇願された。「畠山さん…お願いしますよ。どうか、どうか、娘に…」
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