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もうすぐ夜中だけど、下僕、起きてこないわね。
ロクデナシとはいえ、いくら何でも丸1日近く起きてこないのはおかしい。
体の調子でも悪いのかしら?
それとも人間の血を口にしていないから、身体が持たなくなってきている?
部屋の戸をノックするも、返事がない。
どこかへ出かけたのかしら? それとも……?
一瞬、脳裏に教団のことがよぎった。
下僕が私の傍にいる理由……。
もしかしたら、私を退治する為に傍にいるのかもしれない。あれでも戦闘部隊のエリート神父なのだから、最後の仕事だと息を潜めて機会を窺っていても不思議じゃない。
彼を下僕にした村を出立して、かれこれ2週間。教団と連絡を取り合っていたとしたら、そろそろ仕掛けてくる頃合いだわ。
だとしたら、もう既にこの建物の中に教団の人間が潜んでいるかもしれない。
いいえ。もしも教団の人間が入り込んだのだとしたら、私の可愛い子達が教えてくれるはず。それがなかったということは、危険は迫っていない。
なら、どうして下僕は起きてこないの……?
考えていてもしょうがない。部屋の中を確かめてみれば分かるわ。
「下僕、入るわよ」
声をかけて、表面がボロボロに崩れた戸を開ける。室内は隙間風が吹き込み、荒れていた。その中にポツンと一つ、病院にあるような簡素なベッドが置かれていて、その上に下僕が横たわっている。
ゼイゼイと荒い呼吸。肩や胸元が忙しなく上下する。近づいて顔を覗き込めば、その表情は何かに魘されているかのように苦悶に満ちている。
「……風邪でもひいたの?」
昨日、雨に濡れたままで寝たのかしら……?
声をかけても返事はない。
そっと額に手を当てるけれど、平熱のようだ。
深い眠りに囚われたまま、魘される下僕の様子は何かおかしい。
「下僕、いい加減起きなさいよ。もう夜中なんだからそろそろ出発しないと、またここで休むことになるわよ」
耳元で喚いてみても、やはり目は覚めない。
ふと、空気の流れが変わった。
淀んだような、べたっとまとわりつく重苦しい風が肌を撫でると同時に、背筋に悪寒が走る。次いで、室内の気温が急速に下がり、冷気が漂った。
―― これは……
シクシクと、女のすすり泣く声がどこからか聞こえて来る。
辺りに目をやって室内を確認すると、部屋の隅に、俯いた女がポツンと立っていた。
生きた人間じゃ、ないわね。
『……て。私と……にいて』
何を言ってるの?
微かな声に耳を傾けても、良く聞こえない。
女はだんだんと近づいてくる。足で歩いている感じじゃない。浮いて移動しているような、そんな動き方。
近くまで来て、ふっと消えた。
これは、下僕をここで休ませておいたらいけないのかもしれない。
「下僕、あっちの部屋に移動するわよ。お前達!!」
声を張り上げて可愛い子達を呼ぶと、ぞわりと総毛立った。
背後に何かの気配がする。背に張り付くほどに近い距離から、生者のものではない、負の念を纏った女の怨念を感じた。
本能が恐怖を訴える。
瞬時に爪を伸ばして横に薙ぎ払おうとすると、耳元で、冷たい呪詛のような言葉を流し込まれた。
『邪魔をするな。彼は、私のもの』
凍えそうな程に冷たく、重く、暗く淀んだ水底のような声。
瞬時に、爪を伸ばしたまま腕を横に振る。
攻撃は効かない。
乱れた長い髪の間から、窪んだ眼窩が見えた。
その目からは、深い怨念を感じる。
「下僕は私のものよ。貴女なんかに渡さないわ!」
その声に反応するかのように、下僕が苦しそうに呻いた。
はっとして下僕に目を向けた隙に、女はいなくなる。
可愛い子達が、キィキィと鳴きながら入って来た。
すぐにやってこなかったのは、あの女が何か小細工をしていたのか、それとも動物にも本能的な恐怖を感じさせていたのかは分からない。
「この街には確か、彼がいたわよね。行きましょ。下僕はヴァンパイア。怨霊如きに殺されはしないわ。そもそも死んでるんだもの。死にようがないから安心ね」
苦しそうに呻く下僕を残して、部屋を後にする。
夜闇に染まる街を、記憶を頼りに闊歩した。
―― 見つけた。
そこはブティック。看板には、針と糸とメジャーの絵が描かれている。
躊躇いなくドアをノックすると、中から聞き覚えのある男性の声がした。
「誰よ、こんな夜中に!!」
「久し振りね、ジミー。私よ。頼みたいことがあるのだけれど、開けてくれる?」
「凪咲!?」
驚いた声を上げると、ガチャリと重たい音を立てて鍵を外し、ドアを開けてくれた。赤い目をした男性が、私の姿を認めてきつく抱きしめてくれる。
「久し振りね、凪咲。新しいドレスの注文かしら?」
「いいえ。今日は貴方の副業の方をお願いに来たのよ。あまりやりたくはないでしょうけれど、頼めるかしら?」
少し不服そうな顔をした彼は、それでも「分かったわ」と頷いてくれた。
「凪咲の頼みなら仕方ないわ。でも、対価を払ってもらうわよ」
「えぇ、分かってるわ。じゃ、お願いね」
「準備をするから、少し時間を頂戴。明日の夜、伺うわ。どこにいるの?」
「グリントン地区4丁目の廃墟よ」
「……また、出ると有名な所に入ったのね」
「知らなかったのよ。下僕が取り憑かれてしまって、呻いてるわ」
「捨て置いたら?」
「そうもいかないのよ」
肩をすくめてみせると、彼は「直ぐに準備するわね」と言ってくれた。
翌日の夜。彼は約束通り、副業をこなす為に来てくれた。
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