3日神父に下ったものは……?

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3日神父に下ったものは……?

 いつものように変わらぬロクデナシ生活をしていると、教団から一通の手紙が届いた。  ()はく、『最近、神父として通常の仕事をしている姿が見られないが、体調でも(すぐ)れないのだろうか? 神の使徒(しと)として、(しゅ)と迷える子羊たる信徒(しんと)(つな)ぐ役割を、微力ながら()たさせて頂くのが我らの役目。粛々(しゅくしゅく)と誠心誠意お仕えし、その職務(しょくむ)(まっと)うされよ』  まるで、俺の行動を見張っているかのような内容だ。  そして、サボっているのを暗に(とが)めているかのような有難(ありがた)いお言葉である。  やはり、見張られているのか。  戦闘集団に所属する者は、俺のように信仰心のない(やから)が多いため、教団に見張りを付けられている。だが、それが誰なのかは分からないのだ。  仕方ない。  しばらく真面目に仕事をするか。  そして真面目に働きだして、3日目。  慣れない神父の仕事をしたせいか、速くも疲労感に満たされる。そろそろロクデナシ生活に戻りたいと、身体は真実を求め始めていた。  聖書の朗読(ろうどく)が、いつも以上に棒読みになる。  そうだ!  ここで風邪でも(よそお)って、(せき)の一つでもしてやれば明日は(なま)けられるのではないだろうか?  いや、それでは少し休んだら、真面目に仕事をしなければならない。  いっそのこと心臓病っぽく胸を(おさ)えて倒れこんでみれば……?  それとも、頭を抱えて奇声を発してみるのはどうだろうか?  いや、腹を押さえて、所構(ところかま)わず吐いてみるのも悪くない。  俺の頭の中を、神父として決して()められることのない、(よこしま)な考えが(よぎ)っていく。  仮病(けびょう)を使ってでも仕事をさぼりたい。そんな煩悩(ぼんのう)にまみれたことばかり考えながら、棒読みと化した聖書の言葉に救いはないだろう。  神に届いていたとしたら、それこそ冒涜(ぼうとく)だと、天罰が(くだ)されるに違いない。  聞いている信者の多くは、ありがたい祈りの言葉だと思って、真剣に聞いている。  まさか読み上げている神父の俺が、聖職者としての(まっと)うで崇高(すうこう)な仕事を、さぼることばかり考えているなんて(つゆ)とも知らずに!  こんないい加減な祈りが届いたところで、真剣に祈る信者に、幸せは降り(そそ)ぐのだろうか?  そんな確かめようもないことを考えていると、いつの間にか今日の分は読み終えていた。  本日の祈りの業務も終了である。  信者を見送って教会の扉を施錠(せじょう)すると、俺は椅子にだらりと腰かけた。  真面目に仕事をするのは疲れる。  そのまま目を閉じると、俺の意識は夢の中へと旅立っていった。
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