燃ゆる王国

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燃ゆる王国

 二十六回分、私は彼に恋をした。  積もり積もった恋慕がやがて、逃れられぬ連縛の鎖となるまで。 「幼い頃、俺は君に何度も求婚した。それに、君はいつも笑って頷いてくれていた。だけど決して、約束を交わしてくれたことは無かった。まるで、いつか王妃となるのを知っていたかのように」 「っ……」  ギルバートが私の背に覆い被さり、繋がったまま耳元で囁く。  声音は酷く甘いのに、凄みを帯びた言葉が、私の心を混乱させ、怯えさせた。  確かに記憶の中にある彼も、どことなく私の行動について気付いている素振りを見せたことがある。  けれど、それを面と向かって言われた事は、これまで無かった。  今の私にとっては、これは二十六回目の転生だ。  しかし何もかもが、これまでとは違っている。  この場所に連れてこられる前、初めて耳にした彼の声のように。 「君が王妃となると言ったあの日、俺も騎士となると誓った。せめて君の傍にいられるようにと、君を守れるようにと。けれどそれも全て無駄だった。叶わぬ想いならば、国と共に君を守れたらと思っていたのに……この国自身が、君と俺を裏切った!」 「ん、あっ……、あっ、だめっ」  語りながらゆっくりと入り口まで引き出された昂ぶりを、再び濡れそぼった場所にずぶずぶと埋め込まれた。  蕩けた内壁を、長大な質量が擦り激しい出入りを繰り返し始める。 「君は家族の為に、俺の為に、あの男の妻になったというのに……っ」 「ぎ、るっ」  ギルの切羽詰まった声に煩悶が滲む。  獣のように荒い息遣いが耳に吹きかけられ、鳩尾の皮膚がびくびくと震えた。  ―――私を勝手に見初めたイルギアナ王は、私が拒否出来ないように、家族や幼馴染みを人質とした。  親を、兄弟を、そしてギルバートを。  だから私は嫁ぐしかなかった。それしか道は残されていなかった。  これまでの転生の記憶では、その運命から逃れるために、私は王に出逢わないよう細心の注意を払っていた。  けれど恐らく、神々が下した無慈悲な決定の前では、何の意味も無かったのだろう。  私は必ず王に出逢い、見初められ、そして無理矢理に王妃とされていた。  その上で、ギルは必ず騎士となった。  私の傍にいるために。  この二十六回の転生で、これだけは絶対的に変えられなかった事実だ。  私達は結ばれない。  どうやっても、これまでどうあっても、結ばれる事は無かった。  あともう一つ、同じくずっと変えられなかった事実がある。  それはギルが『私の為に命を落とす』という事だった。  彼は死んでしまう。  私の前で。何度も。  私の為に、彼は死ぬ。  何度も何度も、彼は『死んだ』のだ。  私の目の前で。私を護る為に。  嫉妬に狂った王の為に。  国を、強いては私を守る戦へ赴いたが為に。  彼は私の為に二十五回、死に続けた。  そんな彼を、どうすれば愛さずにいられただろう。  私はずっとこの目で見てきたのだ。  恋した人が死ぬ様を。愛した人が消えゆく様を。  ずっとこの目で、見続けてきたのだ。  今の私が正気なのかどうか、それすらわからないほど、心は絶望の淵に追いやられた。  やり直せない運命を辿ると知っていて、まともでいられる人間がいるだろうか。  けれどその地獄の内にあったおかげで、私は一つの答えを得た。  私が生きている内に彼が死ぬのならば、私が先に死んだ時こそ、彼は生きるのではないか? という希望。  ささやかな、一抹の希望だ。  二十六回目にして、漸くたどり着いた天井から垂れた蜘蛛の糸。  そして決めた。  私は『悪妃』になろうと。  廃されるべき妃になろうと。  そうして私は王妃となって十年の内に、国政へと出しゃばり強引に政(まつりごと)の指揮を取った。  イルギアナ王が王家の血統を持つだけの、無能な男であった事は私にとって幸いだった。  いつか私が消えた後、ギルバートが笑って過ごせる国を作りたかった。  二十六回目の転生で、私はやっと彼を生かすための道へと踏み出した。  だけどそれは、本人は知らないとは言えこれまで二十五回歩んできた、ギルの運命を変えてしまうものだったらしい。 「っく、っああ、はあっ……も、う」 「ギル、ギルっ」  ギルがもう耐えられないと切なげな声を上げる。私の背にかがみ込んでいるせいか、隆起した彼の腹筋が背筋に当たった。  骨盤に食い込むほど力を込めた指先が、引き寄せた最後にばちんと肌を打ち合わせ、滴る蜜を飛び散らせる。    埋め込まれた屹立がぐんと奥を抉り上げた瞬間、腹の内がじわりと温かく濡れていくのを感じた。 「はあ、はあ、はあっ……」  ぐったりと弛緩した身体が、敷布の海に沈む。私はだらしなく四肢を投げ出したまま、火照った身体を冷ましている。  もう動けない。  元より突然のギルバートの豹変と刺激と展開についていけなかった思考が、既に限界を訴えていた。  それでも歓喜を感じているのは、やはり彼を愛しているからなのだろう。何をされても、例え傷つけられたとしても、私はギルを憎めない。  それだけ、この転生の生の中で彼を愛し、愛されたから。  初めて肌を合わせる事ができて、どれほど嬉しかった事か。 「外を、見てみるといい。オリヴィア」 「……そと?」  突っ伏している私の背と髪を撫でていたギルが、おもむろに告げた。どこか楽しげな声音は酷く冷たく聞こえて、やはり『これまでの』彼とは少し違うと感じる。  首だけを上げてギルが指差す方を見る。  見慣れない部屋の、見慣れない格子窓には、赤い空が切り取られていた。  とてつもなく赤い空だ。真っ赤といっても差し支えないだろう。  それはまるで、燃えさかる炎の様な―――― 「え……?」  見えている景色に、目を見開く。  日差しだとばかり思っていた赤い線状の光が、揺らめいたように見えたからだ。  あれは。  あれは、光などではなく――――っ 「二度。俺達は国に裏切られた。二度、俺は国のために君に捨てられた。君も、守ったはずのあの国に裏切られた。ならばもう、あんな国はいらないだろう?俺から君を攫い、奪おうとする王国など」  呆然としてギルの方を振り返れば、未だかつて目にしたことの無い、艶然たる表情があった。  端正な造りの顔に、艶やかな微笑が浮かんでいる。沈黙の騎士とまで人々に語られた筈の武勇の騎士が、鍛えられた裸身に赤い光を帯びて、国を滅びに導く炎を恍惚とした顔で眺めていた。  薄く笑み、泣きながら。  紫水晶の瞳に、燃ゆる炎と同じ情念を浮かべて。 「あれは……っギル、貴方っ……」  夕暮れだと私が思っていたのは、決して茜差す日の色などでは無く、猛然と燃えさかる巨大な焔の姿だった。  遙か遠くに見えるのは、自らも過ごした見慣れた城。  炎に包まれ曼珠沙華の花のように真っ赤に染まる、王の住まう場所だ。  国が。  王国イルギアナが―――燃えていた。
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