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その日、茜はすっかり明るくなったリビングで携帯を眺めていた。
映っている画像は、例の卒業袴の集合写真だ。四人の友人たちと仲良さそうにして笑う、袴姿の葵。あの画像データをこっそり拝借して、携帯にデータを保存しておいたのだ。
今は、これを眺めている時間が至福である。
ふと、玄関の方が騒がしいことに気が付いた。いくら気持ちが持ち直してきたからといって、訪いの予定のない来客にまでほいほいと顔は出さない。
玄関に足だけ向けて、外の様子に聞き耳をたてれば、少女たちの声が聞こえてきた。
「本当に行くの?」
「いまさらなによ。なら他にいい方法思いつく!?」
「そもそも、ユッコが写真ならいいかもしれないなんて言うから」
「う、うるさいなぁ。写るなんて思ってなかったんだよ。他にいい方法あった?」
「やっぱりお寺に持っていって、燃やしてもらおうよ」
「リっちゃんは持っていけるの? ガチで映っちゃったものを!? なんて説明するのよ!」
玄関の端にある擦りガラスから外の様子を伺えば、人影は四つ。
茜はちょっと考えてから、扉を押し開けた。扉の向こうには先ほどまで見ていた写真に写っていた四人組。少女たちは突然開いた扉に驚き、しかし茜とまっすぐ向き直るとじっと見据えてきた。
「あなたたちは葵の友達よね。以前、仏壇に手を合わせに来てくれた」
「友達なんかじゃ。あの子が勝手に付きまとって」
「ユッコ」
背の高い子が、ぽっちゃりした子の肩を叩く。茜が首を傾げると、「ちょっといいですか?」と首に包帯を巻いた女の子が前に出て来た。茜がここじゃなんだからと家の中に促せば、玄関にこそ入ってくるが、そこから先には上がってこない。四人が四人とも緊張した面持ちで、たたきの下から家の中を、まるでなにかを探すように見回している。
「ええと」
「おばさん、アオのお母さんですよね」
首に包帯を巻いた子が、また口を開く。アオ、というのは葵のことだろうか。
「実は先日、私たち卒業袴の記念撮影をしたんです。それで…」
言い淀みながら、それでもカバンから差し出したのは一枚の写真だ。それは、茜が加工した卒業袴撮影の写真である。葵も含めた五人の少女たちが笑顔で映っている。少女たちも、まさかその写真を加工したのが茜だと知るはずがない。
「あら、いい写真」
だから茜も写真を見た感想はその程度にとどめておいた。しかしそれが少女たちを刺激したらしい。背の高い少女がたたきを土足で踏みつけて激高した
「気味が悪い写真じゃないですか!」
「あら、なぜ?」
「死人ですよ、幽霊ですよ!
死んだアオが映っているんですよ!?
ちょっと一枚くらいあいつと関係ない写真も撮ろうと思っただけなのに。
死んでからも、こんな。死んだのに、こんな。まだ私たちに付きまとうって、どういうことですか!!」
ぱちくりと、茜は瞬いた。さて、目の前の少女たちはなにを言っているのだろうか。
背の高い少女を横から小柄な少女が抑えて、そして茜に一礼する。
「おばさんは、アオの母親ですよね。ならアオに言ってやって欲しいんです。
あなたは死んだんだから、早く成仏してくれって」
「……」
「あなたが死んだのはあなたの責任なんだから、ちゃんと成仏しなきゃだめだよって」
「責任って…」
茜は困ってしまった。本当に、この子たちはなにを言っているのか。なぜ、せっかく葵が写った写真を手に入れて、こうも、そう、怒っているというか、怖がっているような。
「だから!」と背の高い子がまた声を荒げる。
「ゲームですよ、度胸試しゲーム! ゲームだったんだから。
それを本気にして、そんでゲームに失敗して死んじゃったんだから。アオの責任なんだから、いつまでも私たちに付きまとうなって話ですよ。
母親でしょう、ちゃんと娘に言ってやってくださいよ!!」
もう、嫌ぁ。…と背の高い少女は顔を覆った。
「あの粘着だから、死んでも全然安心できなかった。
あいつが馬鹿みたいに袴のこと自慢してたから、卒業とお別れをかけて、全部切り捨ててやろうと思ったのに。
みんなで卒業撮影でもしてやれば、全部写真に閉じ込めて、あいつと完全に縁が切れると思っていたのに
あれで終わりにしようと思ってたのに」
少女のむせび泣きは、茜の耳を右から左へと通り抜けた。それより前。彼女はなんといったか。
度胸試しゲーム。最近そんな単語を聞いた。子供部屋のラジオだ。小学生だけでなく、中学生の間でも広がっていると言っていた。
その単語を、茜は知っている。茜が子供の頃もあったし、結構定期的に小学校の間で流行っていて、学校やその近くを走るドライバーを悩ませている。
飛び出すのだ、走行する車の前に。
より大きな車なら、なおいい。特に小学校の男児の間で人気があり、走行する車の前を駆け抜けることができたら英雄扱いだ。そして、怖がったり逃げ出した子は弱虫とそしられ、いじめにまで発展する。
それを、葵がやったと彼女たちは言うのだろうか。ゲームだとしたら、彼女たちも事故現場にいたはずだ。いないと思われていた目撃者だ。
そして彼女たちは、葵が忘れられなくて卒業袴の撮影をあんな形で行った。だがそれは、茜が想像した意味などではなくて。
「ねえ、力になれるかもしれないわ。もう少し詳しく教えてくれない?」
茜は微笑んだ。少女たちを安心させるように、いっそ菩薩にすら見えたかもしれない。
そうして握ったままだった携帯を後ろ手に、録音ボタンを操作する。
ふと、少女たちの背後を見る。
ああ、なるほど確かに。
彼女たちの後ろで、にこにこ、にこにこ。素晴らしい笑顔で、葵が浮いている。
それは加工するために茜が写真から切り取った、娘の頭だった。
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