ようこそ、ここから先が地獄です

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 次の日も別の写真館から仕事のメールが来ていた。少し遠いショッピングモール内にある店で、内容はお宮参りの撮影と卒業袴の前撮り。  お宮参りの方は、着物の前合わせを逆にして撮影してしまったというもの。写真の中ではぱっちりとした目の赤ちゃんが、着物を左前にされて映っている。これでは死人だ。このままではとても修正ができないので、写真館には適当な人形にでも正しい着付けをして、その写真を撮って送ってもらう必要がある。そして人形の頭と赤ちゃんの頭を挿げ替えてやればいい。  次は卒業袴だ。この写真館では着物のレンタルサービスも行っていて、卒業生や成人式のお客様には事前の撮影を勧めている。葵が契約した卒業袴もこの店のものである。  正直気は滅入るが、仕事だと無理やり自分を割り切らせて写真データを開いた。  その画像を見て、茜は全身が固まった。パソコンの画面いっぱいに映し出された写真には、仲良く寄り添う中学生らしき女の子たち。ちょっと派手にアップにした髪形、撮影用の薄い化粧。ピースサインで笑顔の様はありきたりだが、その中の一人だけ顔が見えない。頭に大きな紙袋を被っているからだ。  真っ白な袋は首まで覆っていて、目の部分だけ二つ穴が開いている。茜は無言で写真のデータを次々に画面に映す。撮影しているのは多分全員で五人。それぞれ赤、青、黄、桃、橙と花柄も鮮やかな派手な小袖に、袴は渋い深緑や紺色で全体の印象を落ち着かせている。その中の桃色の袴姿の少女だけが、常に紙袋を被っているのだ。写真は全部で五枚。四人の集合撮影が主で、なぜか一人ずつ抜けて撮影しているらしい。一枚だけ、紙袋の少女が映っていない写真もあった。  これが卒業袴の撮影でなければ、なにかの冗談かとも思っただろう。紙袋の少女も他の少女たちと一緒にピースしたり、ジャンプしたりと明るいポーズを決めているのに、顔が紙袋に覆われているのだからただただ異様である。  メールの内容を改めて確認してみれば、ピントのぼけた部分を修正して欲しいというだけで、紙袋の少女に関することはなにも書かれていなかった。  なにやら、むかむかした気持ちになる。少女の来ている桃色の着物が、葵がレンタルする予定のものと全く同じだったからだろう。  不謹慎だ、と思った。娘の衣装で、顔には白い紙袋。勿論写真の少女たちは赤の他人で、その気は全くないのだとしても。  娘を亡くした茜から見れば、この少女たちは娘を侮辱しているようにすら思えた。  だから携帯を握りしめ、件の写真館に電話をかけた。率直に、送られてきたデータの中の紙袋の少女について問う。  電話に出たのは写真館の店長で、茜の問いただす声に「ああ」とむしろ嬉しそうな声で応じた。  「びっくりしたでしょう。そう、あの紙袋。  あれ、実は五人いるんじゃなくて、四人だけなんですよ。なんでも半年前にお友達が一人亡くなったとかで。  それで一緒に卒業できなくなったから、せめて撮影だけでもできないかって思ったそうなんです。その亡くなられた子も、うちでレンタル契約してくれていたらしくて、袴を着るのをすごく楽しみにしてくれていたそうなんです。  だからみんなでおこずかいを出し合って、その子の分の撮影料金も集めたんだとか。  で、四人の中の一人がその亡くなられたお友達の役割を順番でこなして、撮影したんですよ。  まあ、着替えの回数が増えるし、こちらの手間もかかるから、普通はそういうの受け付けないんですけれど。今回は理由も理由だし、なによりすごく必死に頼まれちゃって。ほだされちゃったんです」  茜は電話を切ると、携帯を握りしめたまま天を仰いだ。半年前に亡くなった、写真の子たちと同じ年ごろの少女。卒業袴は葵が契約していたもの。  茜は本棚に飛びつくと、アルバムを引っ張り出す。葵はあまり家に友達を呼ぶことはなかった。小学校時代はいじめられっ子で孤立していて、だから隣近所に友達はいない。  中学に入って、別の学区の子たちと出会って、ようやく友達ができたと喜んでいたのを覚えている。そうだ、メイクと派手な髪形で気づかなかったが、写真の子たちの顔は見たことがあるかもしれない。  葵が死んだ当初、わざわざ家を訪ねて仏壇に手を合わせに来てくれた子たちがいた。一回きりだったから、はっきりとその顔が記憶に残ってはいないが。  アルバムのページをめくっていけば、去年の修学旅行の写真を見つけた。葵が友達らしき少女たちと映っている写真もある。アルバムをパソコンの傍まで持ってきて、その友達らしき少女たちと、卒業袴の写真の少女たちを見比べる。  同じ子たちだ。  改めて卒業袴の写真を見直せば、あの店長の言う通り写真ごとに別の子が紙袋の少女を演じているのだと解る。画像によっては背が高かったり、ちょっとぽっちゃりしているのだ。    ああ。  茜は机の前に崩れ落ちた。ほろほろ、はらはらと涙が零れた。  ずっと、孤独な戦いを続けてきた。葵の無念を晴らせるのは自分しかいないと、夫すら去った家で思いつめていた。ネットではなじられ、親戚にすらも距離を置かれ、誰も彼もが葵を忘れようとして、あるいは否定して。  だから茜だけは、とずっとずっと思い続けていたのだ。  けれども、いた。ちゃんと葵のことを覚えてくれていて、忘れないでいてくれて。  こうして葵のためになにかをしてくれる子たちが、ちゃんといたのだ。  そう思えば、先ほどまで憎々しかった紙袋の少女が愛しくすら思えてくる。きっとあの紙袋の下には、葵の笑顔があるのだ。    しばし泣き続けた茜は、おもむろに立ち上がると部屋のカーテンを思いっきり開いた。  夕焼けの光が家の中に入ってくる。窓の下に下校中の子供たちの姿が見えた。  茜は部屋を飛び出すと、家中のカーテンを開けていく。居間、寝室、リビング、キッチン、寝室、洗面所。まるで娘が生きていたころのような明るさが家の中に溢れた。  「葵、…葵っ!」  胸いっぱいの幸せを噛みしめて。いっそ、あの扉から、廊下の隅から、玄関の向こうから、ひょっこり葵が顔を覗かせる気がした。  そうだ、いたのだ。いるのだ。  死んだはずの娘。茜の大切な葵はまだちゃんと、この世界にまだいるのである。  そして葵を忘れないでいてくれた友人たちが、葵の為に卒業撮影までしてくれたのだ。  茜は再度子供部屋に駆け戻った。そうして本棚中のアルバムを引っ張り出すと、何冊も何冊もめくっては閉じを繰り返した。古すぎてはいけない。しかし近ければいいというものでもない。  笑顔がいい。飛び切りの笑顔の写真だ。見つけたのは一年前の葵の誕生日に撮影したもの。  その写真をアルバムからはがしてスキャナで取り込むと、画像編集ソフトで葵の顔をトリミングする。  これまで何度もやってきた作業だが、いざ自分の娘の頭を切り取るのはちょっと心が痛んだ。  卒業袴の写真の中、紙袋の少女の中でも一番茜の体格に近い子を選んで、こちらもトリミング。その画像を四人撮影の中で、唯一紙袋の少女が映っていない写真に張り付けた。あとは頭を葵のものと挿げ替えてやれば完成だ。  四人撮影の写真は五人撮影となり。友人たちの中で、来たかった卒業袴を着て笑顔を見せる娘が写った写真が完成した。  本当は、紙袋の少女の顔全部を挿げ替えたかったが、そもそも指示にない修正、加工はご法度だ。全部を入れ替えてしまえば流石に写真館にばれてしまうだろう。だがたった一枚ちょっと加工したぐらいなら気づかれない可能性が高い。  それに、やはり背の高い子やぽっちゃりした子は葵とは体格が違うので、頭を挿げ替えても違和感しかない。    茜は葵が笑顔で映った写真を眺めながら、久々に心から満足し、幸せに微笑んだ。  きっと、葵を忘れないでいてくれたこの子たちも、写真をみて喜んでくれるに違いない。
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