28人が本棚に入れています
本棚に追加
三、大江山
都で鬼熊と別れた石熊は配下の者達を先に帰し、丹波の国に点在する修験の山々を訪ねながら一月を過ぎ、やっと大江山の麓まで辿り着いていた。ここは、近江、若狭、丹波と、三つの国が境をなす山中を源流とし、丹波の国を延々と西へ流れている由良川が大きく北東へ向きを変え、ようやく行先を若狭の海へと定める辺りである。北を望むと、いくつかの峰を従え主峰となる大江山の巨大な山塊が、傾きかけている陽の光を受けどっしりと静まっている。
「いつ見てもこの山は、雄大な姿をしておる」
石熊は呟く様に独り言を漏らした。
里の者の目に付かないよう夕暮れ時まで待って由良川を渡り、この川の支流に沿った小道を遡っている。途中に魔谷へ向かう道との分岐があるこの道を一里ほど進むと、きつい登りとなる山道に変わる。山へ分け入って行くと、二瀬の深い渓谷へと続いている。月明かりを頼りに、この谷底の岩を伝い這うように上流へ辿って行くと、やがて胎内くぐりと呼んでいる洞 がある。
いつもながら、この胎内くぐりが冥界への入り口のように思える。里の者はここから先へは来られまい。石熊は、里の者の思いを心に浮かべていた。
ここを抜けてしばらく進むと、山間に少しばかり拓けた所がある。耕されている田や畑を横に見て、更に山中へ進むと、やがてぼんやりとした明りが見えて来た。この先には谷間の斜(なぞえ)を使ってこしらえた鑪があり、森閑とした夜気の中で風を送る鞴(ふいご)の音が間延びしたように響いている。そこには火床からこぼれた明りが、夜の火番に当たっている数人の男の顔をほんのりと照らし出していた。
石熊は、その中の年老いた男に向かって声を掛けた。
「星熊様、今宵はここにおられますか」
「なに、そちは石熊か」
「はい。都の鬼熊に荷を届け、ただ今、戻って参りました」
「そうか」
ここの山の民の最長老で、お館様より一目置かれている鑪師である。火の扱いに懸けては、この人の右に出る者がいないとも言われている。
「星熊様、お館様はもうお休みになられましたでしょうか」
「この二、三日はお疲れのようで、お休みは早いようじゃ。今宵はもう遅い。それに、明日には皆が集まることになっておるから、お目見えはその前にすることじゃ」
「わかりました」
ここより先には、樹木を切り倒して拓いた平地がいくつか続き、それぞれに大小の長屋が建ち集落を成している。そこの長屋の一つに、石熊は姿を隠すように潜り込んだ。
翌日の朝、目を覚ました石熊は、射し込む光を感じて跳ね起きると、既に陽が登っていた。長屋を出て裏手の山を見ると、多くの人々が働いている。掘り開けられた間歩から掘り出した鉱石を背負子で運ぶ人の列や、それを鎚で砕く人などが忙しそうに動き回っていた。鑪の火床には、朝の一番に炭や焚き木が入れられたのか、縷々として立ち昇る煙の姿に力強さを感じられる。その煙が、新しい葉を新緑に育んだ木々の茂る山腹を、横切るように棚引いていた。
長屋が散らばる集落の道を抜け、谷を隔てた向かいの山を見下ろす辺りまで山道を登ると、やがて鉄板を斑に張り付けた褐色の門が木立の間に見え隠れするようになる。威容を誇っているかのようにも見えるこの門は、人の背丈ほど周囲より高くなった斜の上にある。門より左右に続く粗々しい木肌の板塀が、一丁(約109m)四方ほどの敷地を囲んでいた。
石熊は、門の上に立つ人影に向かい石熊童子であることを告げると、直ぐに開いた門をくぐり館の中へ入った。
門からは石畳の道が続き、正面には板葺きの屋根を持った百坪ばかりの家が建てられている。道の左右には、その半分ほどの大きさで五軒の家が向かい合っている。他には、いくつかの長屋や小屋が板塀の側にあり、ここがお館様を始めとして重臣達と山の営みを支える人々の住まいである。
石畳の道を歩いていると、人々が出払っているのか左右の家には人の気配を感じられない。ただ、正面に建つ家の縁側では、何かに耽っているかのように地面の一点を見続けながら座っている人の姿があった。
「お館様、昨夜の遅くに都より戻って参りました」
「おお、石熊か。ご苦労であった」
こう言って跪いている石熊の前に立ち上がると、背丈が六尺(約1.8m)に近く、見上げるようながっしりとした体躯の持ち主である。日焼けした厳つい赤ら顔が、身に着けている白衣の白さで際立っている。白髪交じりの髪が、後ろ手の肩の辺りに荒縄で結わえ、背の中ほどまで伸びている。
この人が酒呑童子と呼ばれ、この山を統べるお館様である。数々の行で培った世を見通す心眼に長じ、これがこの山を統べる源になっている。
「それで、鬼熊の様子はいかがであった」
「たいそう意気込んでやっており、民人からも慕われておるようです」
「そうか、それで荷は役に立つようか」
「炊き出しには民人が数十人も集まるようで、これに使うと申しておりました。それに、しろがねも喜んでおりました」
「それは良かった」
お館様が縁側に腰を下ろした。
「それで鬼熊は、都のことを何と申しておった」
「今の都の悩みは凄まじい勢いのモガサで、町中には骸がゴロゴロと捨て置かれておるようです」
「それほどひどいのか」
「このまま広がれば、都の住人の半ば近くが亡くなるとも申していました」
ここまで話を聞いた時に、お館様が押し黙って何事かを考えていた。
「他に、何かを申していたか」
「もう一つ鬼熊が申しますのは、この一月ほど前から、一人、二人と貴族屋敷より姫が神隠しにあっておるようで、都の南西にあたる大枝の老い坂辺りに巣くっているごろつきの一党の仕業と見ているようです」
ここでお館様の双眸がキラッと光り、穏やかであった口調が急に厳しく変わった。
「夕刻より主だった者が、ここに集まるようになっておる。そちも加わるように」
「わかりました」
「鬼熊もここにおれば好いのだが、都での役目を与えてあるから仕方が無い。そちと鬼熊とは、若い者の先頭に立って働いてもらわないと困る」
「何かお山で変わったことが、ございましたか」
「そちが都へ出てからまもなく、国府の役人どもが山に登ってきよった。此度は、鎧武者を同道して西の峰道からじゃ」
「それで、戦になりましたか」
「いや、戦は好まないので遠巻きにしていたら、山の上から眺めただけで引き返していきおった。昨秋に、嫌な目にあっておるからじゃろう」
「それだけで済みましたか」
「いや、そうではない。このようなことが一度ならず二度もあったことは、今までに無かったことじゃ。それに先程のそちの話を考え合わせると、近い内に都からの寄せ手がやって来る兆として、益々強く考えるようになったんじゃ」
「えー」
石熊は、身を乗り出すようにお館様の顔を窺っている。
「それは、このところの飢饉や風水害に加え、それだけ都でモガサが広がるとなると、流行り始めた西の方の国々でも大変なことになっておるはずじゃ」
「それは、その通りに思います」
「ただでさえ都の財が不足しだしておるのに、追い討ちを掛けられておるようじゃ。そこで、この山の鉱脈に目を付けることになるはずじゃ」
「それが、国府の役人どもの動きにございますか」
「国府のある宮津へ交易に行かせておる者からも聞いておる。国府がこの山の様子を探っておると」
「それは只ならぬことにございます」
「我等は、鬼に見せ掛けて里の者を近づけんようにしてきた。なれど、都の者どもはモガサを鬼に託けようとするじゃろう。それに、姫の神隠しなどは、まさに良い種になる」
「なるほど、お館様のお見通しの通りに思います」
「この二、三日、我等はこの山の隅々まで見回っておる」
「それは、戦に備えたことになりますか」
「その通りじゃ。そのことで集まることになっておる」
これで石熊は、昨夜の星熊の話や館内の人気(ひとけ)の無さがわかった。
この日の夕刻、お館様の家の広間には、重臣となる茨木、星熊、熊、虎熊、金と呼ばれる童子達と、他の童子を加え十数人の者が向かい合って座っている。一人、一人の横顔が、鍛冶や鑪の火や山仕事での日照りでたくましい赤ら顔をしている。正面には煩悩を打ち砕くとされる三鈷と言う法具を右手に掲げ、右足を高く上げた蔵王権現の凄まじいまでの忿怒の形相をした御姿絵が掲げられている。修験の本尊であるこの御姿絵を背にして座っているお館様が静かに話し始めた。
「我等、験を修める者として、古より世に起こる災いを、深山での行を持って癒しめてきた。片方では、国元で生きることが叶わなかった者、国を追われた者、日々の流浪に生きていた者、それぞれに様々な由があったであろうが、この山に集まり、ここのめぐみを持って暮らしを支えて来た。そのめぐみは我等のみにあらずして、里の民、都の民にも分かち、決して我等の私利に偏ったものでは無い。なれど、貴族が制するこの国においては、かようなことが意にそぐわぬと見えて、いよいよこの山に狙いをつけているものと思えるんじゃ。昨秋よりの国府の役人どもの動きは、この下調べと考えておくべきじゃ。それに加え、石熊より聞いた都におる鬼熊の話では、今、モガサによる死者が多く、このまま広がれば半ば近くの住人が亡くなると言う。別には、都の南西にあたる大枝の老い坂に巣くっておるごろつきの仕業と見ておるようであるが、貴族の姫が神隠しにされておるそうじゃ。我等は、鬼と称して里とは一線を画してきたが、都の貴族にとってはこのようなことを鬼に託け一軍を起こすことになるはずじゃ。そこで、皆の思うところを聞きたい」
「それでは、わしの思うところを述べてみたい」
皆が押し黙っていると、お館様の直ぐ右前に座る茨木の声がして精悍な顔が皆を見回していた。
茨木童子。石熊は、この人の隠された話を折に触れてお館様より聞かされていた。
生まれ持った知力は怪傑さを漂わせ、童のころより周りの大人達を恐れさせていたようであった。十歳を過ぎたころ、納物を都に運び終えた父御が貴族の牛車に踏まれ目の当たりで亡くなった。それは路に落ちていた米粒を拾っていた己を庇ったことであったが、牛車の主がまるでごみでも踏みつけたごとく簾より覗き見しただけで通り過ぎて行った。その気苦労もあってか母御も間もなくして病で亡くした。その後、叔父の家で育てられていたようであるが、家に馴染まず生まれ育った茨木の里から急に出奔した。そこで、己の知力を試すかのごとく都やその南に連なる山中や寺で行に励んだ。その歳月の中には、蓄えた智慧と見識の高さに驚かされた人が、官職への任官を貴族に取り成そうとしてくれることもあった。だが、幼い時の苦い記憶が消えていないのか、貴族という名を聞くと直ぐに離れ去った。その内、行で知り合ったお館様と交わりを深め、大江山へ来ることになった。大江山では、お館様の片腕として山の民の暮らしを支え、この山の全ての人々から敬われている。
「今のお館様の話のように、都の貴族どもは利欲にたかる虫のようなものと思わざるを得ない。古来より民人を虐げ、生き血を吸うように実りばかりを取り上げておる。それが、とうとうこの山に目を付けることになったと思わざるを得ない」
皆が茨木の話に聞き入り、次の言葉を待っている。
「我等は天地神明に誓って、戦を望むものでは無い。然るに、この山を攻め取ろうと来たる者に対して、処するだけのことである。そこで、いつ何時軍勢が寄せて来ようとも、押し返す備えを整えておかねばならぬ。この山の住人を見ると、おおよそ四百人である。女や子供を除くと、半分の二百人ほどが戦に当たれる人数となる。ただし、この山から採れるくろがねで刀は作れても刀を扱える者は、今、ここにおる者でも覚束ず、他の者に至っては刀に触ったことも無いはずである。このことを考えると戦の術は、放てばいいだけの弓矢と、日頃から我等が扱っておる火と水と岩と道具を持って為すべきと、心得て置くことである」
「なーるほど。さすが、都で行を積まれ、兵法にも鬼才をお持ちの茨木様ならではのお言葉である。我等は好んで戦をするのでなく、ここの暮らしを守るため来る天敵を追い払うだけのことである」
茨木の向かいに座る熊の甲高い声が響いた。
「そうじゃ」
「そうじゃ」
ここに居並ぶ、皆から叫ぶような声が上がった。
お館様が、一人〱の顔を確かめるように皆を見回した。
「皆の思うところは、これでわかった。ならば、ここからは為すべき備えの策について聞きたい」
お館様の言葉に、若いころにはどこぞで猟師をしていたのか、額や頬に熊の爪痕を残す虎熊の図太い声が聞こえた。
「我等にとって戦は、不得手なことが多い。ここは、茨木様に話の続きをお聞かせ願ってはどうか」
皆が同じ考えになるのか、一様にうなずいている。やはり茨木の才に勝る者が、この中に見当たらないことを石熊は悟っていた。
そこで、茨木が語り始めた。
「ならば、話を続けるか。まずは、この山に分け入る道であるが、西と北東の方角の峰道と、南にある二本の谷筋の道である。この中で、北東の峰道は、修験の者にしかわからないはずで、万一の際の逃れる道にすれば備えは三本の道になる」
茨木の言葉の一つ一つに頷きながら、皆が噛み締めるように聞いている。
「まずは谷筋の道であるが、堰を作ることにする」
「せきとは、何になりますか」
金剛が、思わず声に出している。
「堰がわからぬか。堰とは、川の流れを止めて溜まりを作るのだ」
「川を止めるのですか」
「そうだ、木や石を用いて川の流れを止めると池が出来ることになる。敵の兵が、この谷筋の道に入ってきた時を見計らって、それを壊すとどうなる」
「そう、そうですな。水が一気に流れ下って………。あっ、わかりました」
「やっとわかったか。木や石を巻き込んだ水が、敵の兵を襲うことになる」
目を大きく見開いてうなずく金剛に合わし、皆も驚く素振りを見せていた。
「それに、次の手は岩である。水に斃れても、次に来る敵兵がおるはずで、これには急な崖を選んで岩を留めて置くことである」
「これはわかります。敵兵が下を通る時に、岩を落とすのですな」
いかにも腕っ節の強そうな金熊が、手振りを交えて話した。
「その通りだ。それで、最後の一手は鑪の火であるが、これは星熊爺に考えてもらわねばなるまい」
「へい、今直ぐにお答えする訳には参りませんが、よーく考えます」
禿げ上がった頭を手で叩きながら答えた星熊の姿に、やっと皆の顔に笑いが見えた。
皆の顔を見回した茨木が、頷きながら話を続けている。
「よーし、次は西の峰からの道であるが、ここを通られると山頂から一気にこの館を攻められることになる。そこで、山頂へ至るまでに手を打たねばならない。それは荷車に槍や刀を縛りつけ坂道を転げ落とすことにする。峠から登る一つ目の峰は、ここ数年の間で焚き木や炭の材として木々を伐り、今は草原になっておる。ここを使わない手は無い」
「敵が細い山道から草原へ出た時に、頂辺りから矢でも射掛ければ草原に広がって一斉に登って来ますな」
ここぞとばかり石熊は、末席より声高に答えた。
「そうだ石熊、その時に荷車を落とすのだ。急坂ではこれを避けるのが難しい。槍や刀、それに荷車でも敵が相当に倒れるはずだ」
石熊は己の話を皆の前で、茨木に受け入れてもらえたことがうれしかった。だが、こちらを向いていた茨木の顔が、直ぐに皆を見回して話しを続けている。
「次の手は、この峰を越して降りに掛かる所で落とし穴を掘っておくことにする」
「わしは昔、狩をして暮らしておったので、落とし穴は得意の技だ。しかも降りに穴を掘っておけば、勢いで落ちてしまうことになる」
虎熊が、自慢そうに答えている、
「そうか、それならば落とし穴は虎熊に頼むことにするか」
「どうかお任せあれ。これでわしも、お役に立つことが出来ます」
「虎熊、鹿や猪を相手にするのと訳が違うぞ。大事無いか」
年嵩となる熊が思い余って問うている。
「まあ見ておいてくれ。ただ最後は茨木様にご見分いただくことにするつもりだ」
茨木を見ながら話す虎熊に、皆が安堵の顔をしていた。そこで、軽く頷いた茨木が、再び話始めた。
「それで最後には火を使うことにするが、ここでは風向きを考えておかねばならん」
これで茨木の話が一段落し、広間に居並ぶ皆の顔に落ち着いた気分を窺えた。だが、茨木を見ると、目を閉じて腕組をしており、何か瞑想に耽っているように思えた。先程まで雄弁に語っていた姿から急変しており、石熊は深厚な様子を感じた。
暫く目を閉じていた茨木が、おもむろに口を開いた。
「ここまでにおおまかな備えの話をした。だが、もう一つ大事なことが残っている」
大事という言葉を聞いて、皆が身を乗り出すようにしている。
「それは、鬼の風聞である」
「鬼のふうぶん」
皆が、何のことかまったくわからず、お互いの顔を見合わせている。
「ただし、これはお館様にお頼みすることになる」
お館様の厳つい顔が、茨木に向いた。
「都の貴族どもは、屋敷内に烏や蛇が入っただけでも恐れおののき、吉凶を陰陽師に占わせることをしておる。まして鬼などの類になると、貴族や民人にとって人力の及ばぬものと考えられておる。そこで、この山の鬼の恐ろしさを言いふらし、集まってくる兵どもに恐怖の心を植えつけるのだ」
大きく頷いて、お館様が答えている。
「それは、戦う前に兵の意気を損じ、たとえこの山に来ても野鳥の鳴き声一つで恐れるようにすることじゃな」
「その通りにございます。そこでこのお役目は、都におる鬼熊にお命じ下さい。あやつなら、きっと上手くやることと思います」
「そうじゃ。早速、明日にでも都へ使いを出すことにする」
お館様のこの言葉で今宵の集まりが終り、翌日からは茨木の指図で、谷道、峰道の備えに取り掛かった。
長雨の季節が過ぎ、暑い陽射しが山を照らすころ、都から鬼熊が戻って来た。夜遅く石熊の長屋に潜り込み、翌日の朝になると二人が連れ立ってお館様にお目見えした。
屋敷には茨木も来ており、鬼熊が二人に都の様子を伝えることになった。
「お館様、昨夜の遅くに戻って参りました」
「鬼熊か、急に戻って来たのは、都で何事か変事が起こったか」
「前の月に、今を時めく四人の武士が内裏へ呼ばれたという話を聞きました。そこで、下っ端の役人にしろがねの粒を握らせ様子を聞いて見ました」
「ほう、四人の武士とな」
鬼熊が、四人の武士の名を上げた。
「それで、どうなったんじゃ」
「元は安倍晴明なる陰陽師が、モガサの元凶は大江山に住む鬼王の所業と朝議に申し立てたようです。それで、関白藤原道隆が鬼王を征伐するために四人を呼び集めました」
「やはり、そのようなことじゃったか」
大きく頷いたお館様が双眸を見開き、鬼熊の顔を眺めていた。
「えー、ご存知でしたか」
驚く鬼熊に、横にいる石熊は教えた。
「貴様の都の話をお館様へ伝えた時に、既にお見通しであった。それで今は、戦の備えを始めておる」
「そうでしたか。やはりお館様の心眼の鋭さにはかないません」
鬼熊が、お館様の世を見通す洞察にひれ伏していた。
「それで四人の武士は、鬼王と合戦することは人力に及ばぬことと申し、固辞したようです」
「まずは、事なきを得たということか。それで、関白はどうしたんじゃ」
「もともと病勝ちであったようで、この後は床に臥すことが度重なり話は途切れたままになっております」
「四人の名を聞くと、いずれも一軍を率いれば秀でた武将になるが、もう一人名が欠けておるようだ」
都の人々にも詳しいようで、側にいた茨木が話に加わっている。
「それは、だれのことでございますか」
鬼熊の目が茨木に向いた。
「四人の中に源頼信の名があったが、この者の兄で源頼光だ」
「あー、あのお方ですか」
「知っておるのか」
「いえ、聞いた話ですが藤原摂関家に取り入っており、今の関白が病に臥してからは権大納言藤原道長に近づいておるようです」
「道長か」
この名を聞いた茨木が、考え込んだ。
「お館様、わしは故あって国を出奔しましたが、藤原氏がその国を荘園としていましたので、ここの人々の様子を薄々知ることが出来ました。また、若いころに都の近くで行をしていた時に見聞きした道長の人となりで、この一族の中では傑物と見ています」
「そんな男が、あの貴族どもの中におるのか」
「そうです。関白道隆が病で死ぬることになれば、次はこの男が。いや、既にこの山に向かって、何か手回しをしておるかも知れません。それに源頼光ですが、この男こそが武士として摂津多田に所領を拓いた源満仲の嫡子になります」
「そうか。今の関白が死ぬることになっても、この山のめぐみをそうやすやすと見逃すことはあるまい」
「その通りかと思います」
「それならば鬼熊、これからは道長と頼光の動きを、よく見ておくんじゃ」
お館様から厳しい口調で言われ、鬼熊が平伏していた。
「鬼熊、話は変わるが鬼の風聞を、どのように言いふらしておる」
茨木が、思いついたように話を変えた。
「はい、炊き出しに集まる者や町中で出会う者に、それとなく話し掛けております」
「どのように」
「大江山の鬼は、身の丈が八尺(約2.4m)もあり、恐ろしい形相の赤ら顔をして、空をも飛びまわると」
「それではいかん。これからは、このように話せ」
茨木がこう話した後、鬼熊から目をそらせた表情に一瞬ではあるが戸惑いを見せたように、石熊は感じた。だが、直ぐに鬼熊に向かい話始めた。
「鬼は天空より人を襲い、人を丸焼きにして人肉を喰らい、その血は酒に混ぜて飲んでおると」
「そこまで言いますか」
「そうだ。魑魅魍魎(ちみもうりょう)の住まう世に生きているかのごとく信じさせることだ。それが鬼と言うものだ」
「わかりました」
「兵も民であり、民を死なすことは避けたい。戦わずに済めば、それに越したことは無い」
茨木が虚空へ語り掛けるように話した。その横顔を敬いの籠った眼差しで鬼熊が見つめていた。
最初のコメントを投稿しよう!