鬼の風聞

5/9
前へ
/9ページ
次へ
五、出陣    正暦五年(九九四年)の年の瀬に近づくと、猛威を振るった疱瘡もさすがに静まっている。だが、この年の死者の数は都の住人の半ばを越え、貴族においても五位以上で六十人を越える者が亡くなっていた。 『自去四月至七月京師死者過半 五位以上六十七人』                日本紀略 正暦五年七月二十八日(九九四年九月十一日) 源頼光は、これほどまでに多くなった死者を思うと、助かったことは己が持ち合わせている天運であったと考えざるを得なかった。この時、齢は四十の半ばを過ぎ、父満仲が拓いた摂津多田庄の所領や郎党を引き継いでいた。また、摂関家からの覚えもめでたく、他の者に先んじた官位と合わせ円熟した境地を築いている。既に多くの国の国守を歴任し、蓄えた財で摂関家への貢物も欠かしていない。これも父譲りの武士としての誇りと、先を読む機才が為せることと自負していた。ただ近ごろは任地への赴任は少なく、多くは遥任として都での務めに重きを置いている。 都での住まいは一条大路の堀川に架かり戻橋と呼ばれる橋の南東の角に、一町の敷地を占める屋敷を構えている。これも国守として蓄えた財の大きさを見せつけていた。築地塀に囲まれた屋敷の内には、寝殿を中心として東西の対屋と侍所などの館が繋がっている。寝殿と東の対屋の間には遣水を通し、前庭から南にある池へと流れ込ませていた。 頼光は寝殿の正面となる階(きざはし)に座り、この庭を眺めながらすさまじかった疱瘡の威力を顧みていた。それに、弟の源頼信が征伐を固辞した疱瘡の元凶とされている大江山の鬼王とは、いったい何者なのかと。 時が夕刻に近づくと、都の北に連なる山々から吹き降ろす時雨の中に白いものが混じり、庭先の松の葉の付根に薄っすらと積もり始めている。このような寒い日になると、病の身で臥している関白道隆が、絶え〱の日々を過ごしているはずである。その道隆亡き後には誰に権力の座が移るのか、早くも思案の中を駆け巡っていた。  年が改まって長徳元年(九九五年)の春、臥していた関白道隆が亡くなった。子息の内大臣伊周へと望んでいた関白の座は帝が許されず、右大臣藤原道兼が関白の宣下を受けることになった。ところが、先代の花山天皇の御落飾の折に策謀を揮い、冷徹な策士として知られる道兼が、この年に流行り出した疫病(麻疹=赤モガサとも呼ばれる)で、わずか数日の後に病没してしまった。(七日関白と呼ばれる)更には、前後して左大臣源重信(しげのぶ)、大納言藤原朝光(あさみつ)、同藤原済時(なりとき)、権大納言藤原道頼(みちより)、中納言源保光(やすみつ)、同源伊陟(これただ)も亡くなり、権大納言以上の公卿で残ったのは伊周と道長だけになってしまった。 『今年四五月疾疫殊盛、中納言已上薨者八人、至干七月頗散、但下人不死』               日本紀略 長徳元年四月二十九日(九九五年五月十九日) 「道長様、いよいよ時節が到来いたしましたこと、お慶び申し上げます」  この時を外さず頼光は道長の土御門殿を訪れ、この後の動きを窺い知ろうとしていた。この屋敷は、一条大路の二筋南となる土御門大路を北辺とし、都の東端となる京極大路に面して南北二町の広大な敷地になっている。頼光の屋敷からは、ほど近くにあり頃合いを見て訪れるようにしていた。 「頼光、そう逸ることではない。帝は、伊周をお気に入りのご様子であるが、余はあの若僧では、世を治めることが出来ぬと見ておる。今は、余が姉であり、帝の母后である東三条院(詮子)殿にお任せするしかない」 「左様にございますか」 「それより、そなたは大江山を知っておるか」 「あの鬼王が、住処としておる山でございますか」 「そうだが、あの山には、しろがね、あかがね、くろがねの鉱脈があるそうな。当家の家司である藤原保昌に探らしておるが、おおよそ四百人ほどの男女が暮らし、修験の者が統べて山を掘らしておるような」 「それが、鬼でございますか」 「鬼とは、鉱山の在処を知られないようにする手立てだ」 「巷からは、人肉を喰らうやら、血を飲むやら、鬼の恐ろしい噂が聞こえてまいりますが」 「それは、だれぞが言いふらしているのであろう。去年は、ここの征伐の話が持ち上がったが、ここは余の手で治めることもあって、保昌へははぐらかすように伝えておいた」 「それで、四人の者どもが固辞しましたか」 「そうだ。そこで、固辞した者に征伐を命じることは差し支えがあるので、そなたに頼むことになるであろう」 「そのようなことになれば、源氏の武門の名にかけてお役に立つことと存じます」  頼光は、このように答えざるを得なかった。だが、鬼や修験者などと訳の分からぬ輩を、戦の相手にすることには憂鬱であった。ただ、道長が権力を握ると、諸官を任命、除命する除目において大きな力添えを貰えるはずであり、その方のことを考えざるを得なかった。  月が変わると、帝が母后の願いに沿われたのか、道長には関白に準じた権限を持つ地位として内覧が宣旨された。これは、伊周への気配りもあったかも知れないが、まだ道長は関白に任じられる地位で無かったことによる。だが、この地位を得たことで、後に「望月の欠けたることもなし」と、わが世を詠むことになる男の原点になったことは言うまでもない。  早速に朝議を開いた道長は、大江山の鬼王征伐のことを取り上げた。 「去年は疱瘡のために多くの死者が出た。これは、大江山の鬼王を捨て置いたことによるものと考えざるを得ない。また、此のところは麻疹が流行っており、はやく元凶を取り除かねばなるまい」  この一件については、既に同意がなされたことでもあり、居並ぶ公卿の中から反意を示す者が無かった。それよりは、誰が征伐に向かうのかを冷ややかな目で見ている。 「此度の鬼王の征伐は、誰にお命じなされますのやら。姫の神隠しのこともありますのでな」  去年、四人の武将に固辞された父の無念を思ってか、伊周から冷めた言葉が発せられた。道長は、ここを見逃すことなく言い放った。 「余の見たところでは、これに当たれる武士はただの一人しかおらず、それは源頼光である」  声高く威圧するように話した。この話しぶりに、恐れをなしたのか異を唱える者が無く、そのままで黙認されることになった。  この月の末に内裏へ呼び出された頼光は、殿上の内覧道長より帝の勅命として告げられた。 「源頼光、国の災いをなす疫病の元凶たる大江山の鬼王を征伐すべし」  頼光は、ただ平伏し命に従う姿勢を示した。 「それに、姫が神隠しにあっておるが、こちらは検非違使の大索(おおあなくり)で、大枝の老の坂辺りに住まうごろつきの仕業とわかった。こやつらの逃げ足は早いようであるが、合わせて征伐を委ねる」 「わかりました。お引き受けいたします」 「それでは、去年に征伐を固辞しおった者ではあるが、藤原保昌を目付として同道させるので鬼王については問うべし」 「わかりました」  軍勢の目付けではなく、鉱脈の見定めにあることを思いすぐさま答えた。  頼光は屋敷に戻ると、直ぐに主だった家臣を集め、ことの次第を話した。 「殿、これは大きなお役目を頂かれました。我ら一同、この大役の成就に力を尽くしとうございます」  鬼の恐ろしさを聞き知っているはずであるが、まるでものともしないこの男が、四天王と呼ばれる家臣の筆頭になる渡辺綱である。その後ろには碓井貞光、坂田金時、卜部季武が、肩を怒らすようにして座っている。 「綱、我が領地である摂津多田庄に戻り、騎馬武者を百騎、それに村々へ命じ兵を二百人ほど集めよ。出陣は、刈入れの終わるころとする。なお、山中での戦になろうことより、兵には長刀に加え弓矢の鍛錬もさせておけ」 「あいわかりました。急ぎ、多田庄へと下向いたします」   この翌日、頼光は館の廂で大江山へ攻め込むための策を考えている。この時、たまたま訪れたと言う人が現れた。 「頼光殿、近くに住んでおきながら、顔を会わすことも少ないようでございます」 「これは晴明殿では、ござらんか」 「やれやれ吾も歳を食ってしまい立っているのが辛くなります。この階をお借りいたします」  このように言って陰陽師安倍晴明が、階の端にどっしりと腰を下ろした。 「今日は、何ようでございますかな」 「そうですな、大江山の鬼退治のお手伝いとでも申しておきましょうか」 「さすがに、お耳が早いことでございます」 「そんなことはどうでもいいのですが、そなた様がお考えの鬼退治に一番の大事とされることは、何になりますのでしょうかな」 「それは今、思案の中でございます」 「左様でございましたら吾の言うことも、お聞きとめいただければと思います」 「それは、いか様なことにございますか」 「あの山には、何故だかわかりませぬが奇策を講じる者がおりましてな」 「奇策を講じる者でございますか」 「そうです。鬼が空を飛び人を襲うなどとの噂をお聞きでしょうか」 「巷よりそのようなことを聞き及んでおります」 「恐らくは其奴が、鬼の恐怖を民の中に撒き散らしておるようでございます。そこで、そのようなうわさを聞くと民は、どのように思いますかな」 「それは、ただでさえ疫病に祟られておるのに、恐れさえもを抱くことになりますでしょうな」 「それが、其奴の狙うところになります。益して兵が聞くことになると少なからず恐怖が先に立ち、戦へ向かう意気が下がります」 「確かに、その通りだと思います。そうすると、晴明殿は我にどうせよと仰せにございますか」 「それは、民の信仰が篤い社で、神仏のご加護を授かることにございます」 「なるほど、左様にございます」 「されば、石清水八幡宮、日吉大社、住吉大社、熊野大社が、それに適う社となります」 「ご尊見を賜り、いたく身に沁みる思いでございます」 この言葉を聞くと晴明が、そそくさと屋敷を後にして、どこかへ立ち去ってしまった。 その数日後、頼光は金時、季武を供にして四社へ参詣するため馬で都を後にした。 都にも秋の空の青さと木々の葉の色付きが見られ始めるころ、実りの収穫を終えた摂津多田庄より出兵の尋ねがもたらされている。そんな折、頼光は藤原保昌を屋敷に呼び、大江山の鬼王について話を聞くことにした。 「保昌殿、大江山の鬼王とは何者でございますか」 「道長様の内々の命を伝えて丹後の国府の者、それに我が手の者にも探らしておりました。それによりますと、元は比叡山におった修験者の一派で、大江山に鉱脈を見つけ移り住んだ者と聞いております」 「そうすると、鬼とはやはり、まやかしの姿でございますか」 「その通りにございます。里の民と住み分けるために、山の民が使う方便にございます」 「その山の民は、修験者が統べておりますのか」 「酒呑童子と呼ばれる者を頭にし、主だった者達は童子と名乗っております。これらの者は修験の道を辿ったようでありますが、他の多くの者は国元から逃避、逃亡した者の寄せ集めのようです」 「酒呑童子ですか、初めて聞く名です」 「赤ら顔をしておるので、このように呼ばれておるようですが、この山の者どもからは信を集めております。それにもう一人、秀でた男がおります」 「秀でた男ですか」 「その男は、天空に行灯のような物を飛ばす技や兵法の術も心得ておるようです」 頼光は奇策を講じる者がおると晴明が言っていた男かと、内心で驚きを感じていた。 「ところで、山の様子はどのようになっておりますのか」 「いくつかの峰が連なっておりますが、その主となる峰を大江山と呼んでおります。この山の東の中腹辺りに、鉱脈や住処があるようです。ところが、ここに至るには南から二瀬と魔谷と呼ばれる二本の谷道と、西からの峰道がありますが、いずれも深山に分け入る険しい道でございます」 「左様に、ございますか」 「それにもう一つ、北東へ続く峰道がありますが、これは修験の者のみが知る道のようでございます」 「ほう、そのような道もございますか」 「ただ、ここの者どもに刀は作れても、それを扱うことの出来る者がほとんどおらず、住処に至れば征伐は容易いことと思われます」  頼光は保昌の最後の言葉が、何故か嫌味に聞こえた。この地に至るまでに何があるのか、どのような仕掛けが施されているのか、奇策を講じる男の考えとは。またもや憂鬱な時を過ごす夕刻となった。赤々と雲を染めながら西の山に落ちようとしている陽が、まるで酒呑童子と呼ばれる鬼王の顔のように思えた。  その翌日、頼光は摂津多田庄へ早馬を走らせ、渡辺綱に軍勢を都へ進めることを命じた。そして、都に入る手前となる大枝の老の坂で姫を神隠しにしているごろつきどもを、征伐することも合わせて命じていた。このごろつきどもの逃げ足は早いとのことであったが、それは都からの寄せ手に気遣ってのことである。搦め手から攻め込むことになる綱の軍勢では、一気に討ち果たせるはずだ。しかも、攻め手は綱が率い、最強と自負している源氏の騎馬武者である。  数日後、何事も無かったような顔をして綱が現れた。 「殿、ただ今、戻りました」 「ご苦労であった。それで、ごろつきどもはいかがした」 「二十人ほどおりましたが切り捨てました」 「皆殺しか」 「はっ」 「姫は、どうであった」 「二人を助け出しまして、それぞれの屋敷に送り届けました」 「それは、手の早いことである」 「それで、羅城門の南に軍勢を止めております」 「あいわかった。それで良い」  さすが、剛勇と言われるだけのことはあって綱の戦は凄まじく、頼光はほくそえんでいた。そこで、道長を始めとして主だった公卿に知らせ、三日後の吉日に軍勢を動かすことにした。 その日の朝、頼光は羅城門に向かっている。大内裏より南に通じる朱雀大路の南端にあるこの門は、都の正門として二重閣の大門であった。ところが、数年前の暴風雨で大屋根の半ばが倒壊してからは、そのままに捨て置かれ今では骸の捨て場にもなっている。そこで寂れたままの惨めな姿をさらしている門を横に見て、左右に続く羅城の崩れた一画を通って、城外へと回り込んだ。そこには、村々より集められた二百人ほどの兵が長刀や弓矢を手にして屯している。また、南へ延びる鳥羽道には、郎党となる騎馬武者百騎が整然と居並んでいた。頼光は兵の横を通り抜けようとする時に様子を窺っている。すると、人垣に取り囲まれた中で、声高に話している三、四人の兵がいた。既に鬼の噂を聞き付けたようで、此度の戦の相手について様々な憶測が飛び交っていた。 「おい、聞いたか。今朝の早くにここを通り掛かった都の住人に聞くと、大江山には鬼が住んでおるそうな」 「なんやと、わしは大江山で戦があるとしか聞いておらんで」 「わしも聞いたが、鬼は人を空から襲って喰ってしまうそうや」 「死んだら鬼に喰われるんか」 「喰われるだけでのうて、血は酒に混ぜて飲んでおるようや」 「ちょっと待ってくれ。わしは鬼なんぞと戦をしに来たんと違うで」 「そやけど、わしらは行けとゆわれて行かなんだら罰をくらって、親にも迷惑が掛かることになる」 「そんなことやったら、神さんや仏さんに頼んでおかなあかんかったわ」 「そやそや、今さらどうしようもないけど、しもうたことをしたわ」 そこで頼光は、鳥羽道に居並ぶ騎馬武者を後背において、この兵達に向かって叫んだ。 「我は、此度の戦を指揮することになった多田源氏が宗家、源頼光である。戦の相手が鬼などとの、良からぬ噂が流れておるがみなまやかしである。我には、石清水八幡、日吉、住吉、熊野と、それぞれの御社に祀られておる御神霊の御加護を頂いておる」  四社の御札を頭上高く掲げてみると、静まっていた兵達の口元より頷きの声が湧き上がり、うねりとなって耳元に届いて来た。 「道を開け。今より騎馬を引き連れ、大内裏へと向かう」 このように叫ぶと、兵達が左右に分かれ、羅城門へつながる道が開いた。   軍勢の先頭を進む馬上の頼光は、緋色威の鎧を着け、冠った兜には金色に燦然と輝き、異彩を放つ鍬形の前立を付けている。腰元には伯耆の国の大原安綱が鍛え、名刀として名を馳せている安綱を佩いている。後に続く騎馬武者には、それぞれに長刀や弓矢を持つ供の者が二、三人付き従い、総勢三百人に近い隊列で羅城門より朱雀大路を大内裏に向かって進んでいた。二十八丈(約84m)にもなる道幅を持つ朱雀大路が真っ直ぐ北へ延び、その先に見える朱塗りの朱雀門が我を迎えるかのように感じられた。 大路の脇には、頼光出陣の話を聞き付けた都の住人が町角毎に集まって見上げている。 「先頭におるのが源氏の棟梁かいな」 「そうや、摂津多田庄から出とる源氏の殿様や。モガサの元凶やとゆうて、大江山の鬼退治に行かはるみたいや」 「わいは聞いたことがあるけど、あそこの鬼は怒らすと人を殺して喰ってしまいよるようやで。そっとしとかなあかんのと違うか」 「去年は四人のお武家はんが、鬼と戦すんのは人力に及ばんゆうて断らはったみたいや。そやけど、この殿様やったら立派な形(なり)したはるし、鬼も退治出来るんと違うか」 「そないゆうても、あその鬼は空を飛ぶようやで」 「何でもこの殿様には四天王と呼ばれとる家来がおるようや。その中に弓の上手い人がいたはるみたいで、射落とさはるんと違うか」 「そやったそやった。確か、そのお武家はんやったら、ついこの前、神隠しにおうとった貴族の姫を助けとったな。それやったら、大江山の鬼もいちころかも知れへん」  大内裏の朱雀門で軍勢を待たせ馬を降りた頼光は、多くの官舎より覗き見する官人達の視線を身に受けながら建礼門より内裏へ入っている。正面に建つ紫宸殿の前には、先に藤原保昌が控えていた。その横に座して、待っていると殿上の御簾の向こうの高御座(たかみくら)に帝がお出ましになられた。そこで、殿上に居並ぶ公卿の中心にいる道長より、帝のお言葉が伝えられた。 「国の平安を脅かす因を絶つべし」 「はっ」  頼光は、一礼をすると保昌と共に内裏を退出し、朱雀門で待たせていた騎馬武者を引き連れ羅城門へ戻った。ここで全軍に向けて鼓舞するように叫んだ。 「我らは帝の軍勢ぞ。今、ここより大江山に向かって出陣いたす。鬼王の征伐が成った暁には、恩賞を思いのままに遣わす」
/9ページ

最初のコメントを投稿しよう!

28人が本棚に入れています
本棚に追加