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六、血戦前夜
血戦七日前
阿古也は、源頼光が征討使となり大江山に軍勢が向かうであろうことを、夏の初めのころにお館様へ知らせていた。頼光出陣を聞き付けたこの日は、朝から旅支度を整えている。
「五月、わしは源頼光の軍勢を見定めれば、大江山に戻らねばならない」
「なぜだ」
「それは、山の仲間を見捨てることが出来ないからだ」
「今行けば死ぬことになる」
「わしは死ぬとは思わない」
「皆がゆうておったが、武家に勝てる訳が無い」
「そのようなことは無い。わしらは験を修めた者として、風と火と水をあやつることが出来る」
「それなら、うちも連れて行け」
阿古也は、五月の心の内をわかるようになっていた。だが女子(おなご)の足であの山まで、しかも戦場(いくさば)になるかも知れぬ所へなど連れて行けるはずもない。
「しろがねは残しておく。わしが戻るまで、婆様と仲良く暮らせ」
阿古也は、駆け出しながら叫んで船岡山の住処を後にした。
朱雀大路を南へ下り、羅城門で山陰道へ向かう源頼光の軍勢を見定めると、すぐさま朱雀大路を取って返している。蓮台野と船岡山の間に続く道を鷹ケ峰に向かって歩いていると、五月はどうしておるのかと、色付き始めた木々の葉が覆う船岡山を眺めていた。
鷹ケ峰の峠まで辿り着くと振り返り、まさに錦に彩られた山々の間に見える都を眺めながら、暫しの時を過ごしていた。
蒼天の空の下で、左手には比叡の峰より連なる東山の峰々が、濃紺に染まり静まっている。その下の盆地には都の中心となる大内裏の内に数々の甍が集まり、そこからは南に広がる正確に仕切られた枡目の町並みがある。その向こうには、陽の光に輝く巨椋池の辺りが、霞むように見えていた。再び、この地に戻れるのか、また五月にも会うことが出来るのか、阿古也はこの景色に一抹の心残りを感じていた。
峠を下ると杉坂の村になる。その村のはずれに祀られている道祖神の祠の前で座り込んでいる女を見掛けた。そこに近づいて行くと、旅嚢(りょのう)を足元に置き、小袖を括り袴で着込み、被った菅笠で顔を隠すようにしていた女が顔を上げた。
「おー、五月ではないか。こんな所で何をしておる」
「阿古也様を待っておった」
「なぜだ」
「婆様に話したが、ついて行けとゆわれた。どうしても、うちを連れて行かないのなら、ここで舌を噛み切る」
「少し待て。源頼光の軍勢は、日に五里(約20km)は進む。これに先んじて戦に間に合わすには、十里(約40km)は歩かねばならぬ」
「うちは、大丈夫だ」
「困ったやつだ。好きにしろ」
このようなことがあって、阿古也は五月を連れて丹波の山道を大江山へ向かうことになった。
羅城門を後にした頼光は、都の西を流れる桂川を無事に渡河し、大枝の辺りで軍勢を止めた。幔幕を張った中で夕餉を済ますと、藤原保昌と家臣達を集め軍議を開いている。
「皆に申しておくが、保昌殿の話では大江山の鬼とは修験者が統べる山の民の一党であり、鬼などとの噂はまやかしである」
「殿、ご心配には及びません。武士にとって戦場に立てば、鬼などは恐れるに足りません」
やはり、渡辺綱が恐れを知らぬ言葉遣いをしている。
「いや、そなたにとってはそうかも知れぬが、兵にとって見ればまだ鬼の恐怖を拭い去れないであろう。そこで、もし恐れることがあれば、四社の御神霊の御加護を話せ」
「あいわかりました」
「それで、保昌殿。道長様のお心内では、修験者どもは皆殺しであろうな」
「その通りにございます」
「それでは、この地より先は、我が多田庄の騎馬武者を引き連れて先行いたす」
「それは、どのようなお考えですか」
「都で鬼の恐ろしい噂を撒き散らす者がおると、道長様や安倍晴明殿より聞いております」
「確かに、そのような者がおるのかと思われます」
「その者は恐らく大江山の一党の端くれでありましょう。それで、我らの出陣を大江山へ知らされる前に修験者どもの逃げ道をふさぐことにあります。保昌殿も同道を願いたい」
「わかり申した」
そのころ酒呑童子は、大江山で鬼熊からの知らせを待っていた。
「茨木、もうそろそろ何か知らせがあっても、よさそうな頃合いじゃが」
「はい、お館様。もし都で兵を集めておるのなら、実りの取り入れを終えた今時であろうと思います」
「そうじゃろうな。ところで、備えの手筈は整ったじゃろうか」
「はい、最後まで考えておった星熊爺も、一世一代の火柱を上げると息巻いております」
「そうか、それは楽しみなことじゃ」
「そこで、わしは鬼ガ城の備えもしておこうと思っています」
「そうじゃったな。あそこにも攻め寄せて来るかも知れぬ」
「そんなに日数(ひかず)は掛りませぬので、しばらくここを留守にします」
血戦五日前
阿古也は、あせっていた。頼光の行く山陰道より道筋は短いが、山道の多くなるこの道では、やはり女子の足にきついのかよく立ち止まる五月を励ましている。
「五月、足は痛くないのか」
「少し休めば、直に楽になる」
「指先より血が出ておるようだが」
「大事無い」
「そうか」
「まだ大江山は、遠いのか」
「前の川が由良川だ。ここでは西に流れているが、この流れが北東へ向きを変える辺りになる」
「何日掛かる」
「ここからは二日で行きたい」
「わかった」
さすがに源氏の騎馬武者の進みは速く、供の者を従えていても大枝より駆け出して二日で丹後道に入っていた。そこで、頼光は明日に着くことになる大江山での布陣を、絵図を広げながら、この地に詳しい保昌と話している。
「保昌殿、気に掛かっておったが、修験者のみが知る北東へ続く峰道があると言われておりましたな」
「左様にございます」
「この道をわかる術は、ありますかな」
「それなら探りで使っておる者の中に丹後の修験者がおりますので、案内(あない)させます」
「そちらへは碓井貞光に二十騎を与えて行かせます。西の峰道の始まる峠を越え、丹後の国に入ればわかるように手配りをお願いしたい」
「わかり申した」
「西の峰道が始まる峠には卜部季武が二十騎を、残りは我が率いて二本の谷筋の道が始まる辺りに布陣いたす」
「それで、攻め入りの頃合いは、いかがいたしますか」
「渡辺綱と坂田金時が率いて、後から追って来る兵の着き次第に始めることにいたします」
血戦四日前
鬼ガ城に入った翌日、茨木は何か裾野の方が騒がしくなっているのに気が付いた。そこで、配下の者を物見に行かしている。
「茨木様、大変なことになっております。川縁の道には多くの騎馬武者が行き来しており、裾野の村々では大騒ぎになっております」
「とうとう、やって来たか。して旗指物の色は」
わかっておりながら、聞かざるを得なかった。
「白です」
「やはり源氏か。源頼光の一軍だ」
その日の夜、茨木は数人を連れて大江山に向かっている。ところが、大江山に続く道や川縁の道の要所〱には、焚き火を焚いて待ち受ける武者達が群がっていた。頼光の命が出されているのか、村人と偽っても山へと続く道に向かおうとする者にはきつい取り調べがあった。そこでは、既に戦が始まっているかのごとき形相で、たちまちの内に追い返されてしまった。
血戦三日前
舘の門から続く石畳の道を駆けて来た石熊は、叫ぶような声で呼び掛けた。
「お館様、大変なことになっております」
「どうしたんじゃ」
「見張りの者の知らせでは、昨晩は里の道のあちこちで、焚き火が焚かれているのが見えていたようです。それで、今朝の早くには、西の峰道の峠に多くの白旗が立っております。それと、北東へ続く峰道にも」
「なんじゃと。山が囲まれたということか」
「そのようなことかと」
「直ぐに、皆を集めるんじゃ」
「はい」
一刻後、お館様の家の前から続く石畳の道には、多くの者どもが集まっていた。前の方には、白衣を着て童子と呼ばれている者がおり、その後ろには気色ばみ目をぎらつかせた多くの鉱夫らが並んでいる。そこには、お館様が話す言葉を聞き漏らすまいと沈黙の時が流れている。そこで縁側に立ったお館様が、その沈黙を打ち破るように話し出した。
「とうとう都より、源頼光が率いる軍勢が押し寄せて来たようじゃ。我等は先祖代々、二百年の歳月をここで暮らしておる。今更、都の輩にこの山を明け渡す訳にはいかぬ。ご先祖の魂が我等を支えており、寄せる輩を追い払うのみじゃ」
「そうだ」、「そうじゃ」、「その通り」と様々な声が駆け巡り、それが静まった時に、再びお館様が話し出した。
「ここまで整えて来た備えの手筈通り、熊と金剛は二瀬の谷道を、星熊爺と金熊は魔谷を、それぞれ五十人を連れて守れ。そして、西の峰道は、虎熊と石熊が七十人を引き連れて行け。残りの者は、この館の守りであり女、子供は館に入れろ」
右や左の手で握りしめた拳を突き上げ、「おー」と言う地響きに似た凄まじい声が山に響き渡った。
未だ丹波の山中にいる阿古也は、歩けなくなった五月を前にしていた。
「阿古也様、すまないもう歩けぬ」
「昨日に、無理をしてしまったようだ。ここからは背負って行く」
「それでは、間に合わなくなってしまうではないか」
「こんな山の中に、お前を残しておく訳にはいかない。ともかく、出来るだけのことをするんだ」
五月を背負うと、その身体の温もりが背中に伝わり、何かもうろうとさせる気を起こさせるが、阿古也は前を向いて歩いていた。
決戦二日前
大江山を囲む騎馬武者の布陣を終えた日より二日目の昼ごろに、兵が次々とこの地に着いている。
「殿、遅れましたが、やっとのことで着陣いたしました」
綱と金時が、頼光の前に平伏している。
「やっと着いたか。だいぶ急がせたように見えるが」
「はっ、早く殿に追い着かねばと思いましたので」
「そうか、すると直ぐには使えないので、明日の一日は休息にいたせ」
「有難きことにございます」
「そこで、攻め口のことである」
頼光は絵図を広げて、二人に話し始めようとしている。絵図には、大江山を中心として鉱山の位置や、ここに至る道筋が描かれている。大江山から西へは、おおよそ一里(約4km)で、一つの峰を越して丹後の国へ通じる峠になる。北東へは、一里の間にいくつかの峰が続き、遠くには天橋立の海がある。東の中腹には鉱山があり、ここと山頂の間に館が描かれていた。ここに至る南の谷筋には二瀬と魔谷があり、この二つの谷川は合流して由良川へと流れ込んでいる。
「そちらの攻め口は、この地より分かれる二つの谷道といたす。今宵はそれぞれの谷に踏み込んだ辺りに布陣せよ」
頼光は、絵図で二瀬と魔谷の入り口を示した。
「ここへは、地の者に案内させるので、二瀬は金時が、魔谷は綱とする」
「承知いたしました」
「二つの谷筋を詰めた辺りが鬼の住処であり、ここが目指す所ぞ」
「わかりました」
「それぞれに兵は五十人、騎馬武者は二十騎を与える」
「はっ」
「我は残りの兵と騎馬武者を率い、この地より離れ先に待たせておる季武と西の峰道から攻め入る」
「わかりました」
「念を押しておくが、修験者どもは全て殺せ。他の者にあっては刃向う者は殺せ」
「そのようにいたします」
「ただ奇策を講じる男が、どのような備えをしておるかわかりかねておる」
「殿、たとえそのような男がおっても、たかが修験者ごときに恐れをなすことはございません」
恐れを知らぬがごとく、綱が答えた。
「綱、そうかも知れんが、晴明殿や保昌殿が気を掛けておられる男である」
「左様にございますか」
「ともかく心して参れ」
「わかりました」
「攻め入りの刻限は、明後日の明け方とする」
「委細、承知いたしました」
「それでは、行け」
見張りよりの知らせで、都から兵が着いたことを知ったお館様が夕刻に主だった者を館に集めた。
「兵も今日、里へ着いたようである。布陣を明日とすれば、攻め上がって来るのは明後日のことになるんじゃろう。今宵は館にある酒を、皆に分け与えることにする。そちらも存分に飲んでおくことじゃ」
「これは剛毅なお心配りで、ありがたく頂戴いたします」
熊の言葉で、気がほぐれたのか皆も酒を飲み出している。
暫くして酒がまわり出すと、虎熊の陽気な囃子言葉が飛び出していた。
「やーやー、都の者にこの山は、幾度来れども登れまい。幾度来れども登れまい」
皆の顔が虎熊に向かうと、「石熊も謡え、舞え。お主の舞いは、素晴らしい」と盛り立てている。
すると皆も、「やんや」、「やんや」と囃し立てた。
「それでは」
立ち上がった石熊は、身振り手振りもおかしく舞いながら謡い始めた。
「都より、いかなる輩が来はしても、酒の肴に焼こまいか、あーおもしろや、おもしろや」
「これは上出来、上出来、星熊爺の火炙りの術が楽しみぞ」
虎熊がこのように話すと、星熊も調子を合わすように禿げた頭を叩きながら答えた。
「一世一代の火柱で、目に物を見せてくれようぞ」
「わははっ」、「わははっ」と皆の笑い声が、館の中で渦巻いていた。
そのころ阿古也は、やっと鬼ガ城の峠への登り道に差し掛かっていた。
「五月、ここを越えると大江山の麓に着くことになる」
「やっと、ここまで来たのか」
「源頼光の軍勢は既に着いておろう。何とか抜け道を探さねばなるまい」
やっとのことで峠へ登り着くと、そこで茨木に会った。
「あっ、茨木様。ここにおられましたか」
「鬼熊、やっと戻って来たか」
「申し訳ありません。間に合うことが出来ませんでした」
「いいや、いくら早足でも騎馬武者には勝てんだろう」
「えー、騎馬武者が先に来ましたか」
「そうだ、お陰でわしも麓の道を止められて、大江山に戻れなくなってしまった」
「そうでしたか」
「頼光の戦は、さすがと言わざるを得ない。それに、今日は兵が続々と着いており、こうなると明日は攻め口に移動し、明後日には攻め込むのであろう」
「大江山への道はありませぬか」
「無理だ。裾野のあちこちに、源氏の武者や兵どもが屯しておる。ところで、そこの娘は」
「はい、五月と言って、都でわしの手伝いをしてくれております」
智慧の塊と聞いていた茨木童子が、五月の眼の前に立っている。
「そうか、世話になっておる。配下の者が、源氏の軍勢の様子を窺っておるので、今日か明日の夜にはいいものを見せてやる」
茨木に声を掛けられた五月が、おののくように座り込んでいた。
血戦前夜
大江山への攻め入りが明日に迫った夜、二瀬の谷の入り口にある高台では、焚き火の側に数人の兵が集まり、何やらぶつぶつと呪文のような言葉を唱えている。見回りをしていた坂田金時は兵達に近づくと、その言葉が「なむあみだぶつ」と聞こえた。
「おい、そこの者、その言葉は何なのだ」
「あっ、坂田様。これは空也上人様の教えで、南無阿弥陀仏と唱えると死んでも極楽に行けることになります」
「死んでも良いのか」
「死ぬのは怖い。それに、この山の鬼はもっと怖い。鬼は化け物と同じで、何をするのかわからない」
「そうじゃ。そうじゃ。都で聞いたが、死んでしまうと鬼に喰われてしまうそうじゃ」
横に座っていた兵が、身震いをしながら答えている。
「この山に鬼はいない。都での噂はまやかしである。我らは、石清水八幡、日吉、住吉、熊野の御神霊に、御加護されておるではないか」
「そうであったか」
不安げに兵が頷いたその時、南の山の頂辺りより、ぼやっとした明りが夜空に舞い上がった。
「あっ、あれは鬼火だ」
一人の兵が指差して叫んだ。すると、これを見た他の兵達が、震え出す者に、身を伏せて頭を抱え込む者、両の手を合わせる者など、恐怖に襲われた様々な姿を見せていた。
「騒ぐな、あれもまやかしだ」
金時は、こう叫ぶのが精一杯であった。
そのころお館様と石熊は、大江山の頂で最後になるかもしれない夜を、里の焚き火を見ながら過ごしていた。すると、石熊は鬼ガ城の辺りに舞い上がった明りを見つけている。
「お館様、鬼ガ城に天灯が上がっております。あそこに茨木様がおられるようです」
「源氏の武者どもに止められて、ここには戻って来れんのじゃろう」
「そのようです」
「そこで、あれを飛ばして、攻め寄せて来るのが明日になると教えてくれておるんじゃ」
鬼ガ城では、阿古也が興奮しながら夜空に舞い上がる天灯を見上げている。
「五月、これが石熊の言っておった天灯だ。まるで鬼が夜空を舞っているようだ」
身震いするように話している阿古也に反し、五月はただ呆然として夜空に浮かぶ灯りを眺めているだけであった。その横には万感の思いが募るのであろう茨木が、両の腕を胸元に組み、漆黒に居並ぶ大江山の峰々をじっと見据えながら立っていた。
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