鬼の風聞

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七、血戦、大江山炎上 二瀬の谷道 寅の刻(午前四時)から辰の刻(午前八時)  坂田金時は、眠りが悪かった夜から解き放たれ夜明け前に目覚めていた。焚き木はほとんどが灰になり、芯の中にわずかな温かみを残している。辺りを見回すと、当番の兵が沸かせた湯に糒(ほしいい)を入れて粥を作る姿が見え、明るく燃え盛る焚き火が辺りを照らしている。その匂いに誘われたのか、他の兵も目を覚ましごそごそと動き出していた。ただ、濃い霧の立ち込めた中で霞んでうごめく兵達の姿が、まるで幻影を見ているようであった。粥が鉢に注がれると身を起こし、それを啜りながら地の者に問い掛けている。 「この霧は、いつ時に消えるのか」 「巳の刻(午前十時)のころであり、この霧が消えると晴れた空が広がります」 「そうか」  次に、多田庄の武者には、このように話した。 「鬼火と言って騒いだ昨夜の兵達のことを考えると、何かが起これば逃げ去ることもありえる。わしが引き連れて先手をいたすので、そなたらは後詰を願いたい」 「わかりました。坂田殿のお指図通りにいたします」  霧が立ち込める谷間の空に陽の光が射し込み白々と明るくなり始めたころ、金時は軍勢を動かした。五十人の兵の先頭を歩き、その後には馬を置いた多田庄の二十人の武者達が供の者と続いている。総勢で、おおよそ百人となる軍勢が隊列を組んで歩んでいた。  霧に隠されるようして進んだ川沿いの道が、急な山道の登りに変わる辺りに来ると、金時は木々の影より誰かに見張られているような気配を感じていた。やがて、道が深い渓谷へ入る所に至ると軍勢を止めた。そこで、数人の兵達を先に進め、渓谷の様子を見させに行かせている。 「坂田様、この先は渓谷の底を辿るように続いておりますが、人のおる様子はまったく感じられません」 「そうか」  金時は、暫しの間、人が感じられないという兵達の言葉に考えさせられていた。先に感じた気配は何だったのか。人でなかったのか………。たかが修験者ごとき者に、何が出来るものか………。意を決して立ち上がると、命じた。 「行くぞ」  軍勢が木々に覆われ陰森とした深い渓谷へ進み、兵達が谷底を辿り始めた。すると、ギィー、ギィー、ギィーと野鳥に似た鋭い声が谷に響き渡り、金時は不審に思い立ち止まった。暫くすると、薄く流れていた霧の流れが少しばかり早くなったことに気が付いた。 「何だ、この霧の流れは」  呟くように話したその時、谷の上流より瀬音とは明らかに違うざわめきのような音が聞こえて来た。 「まさか」 悪寒のごとき寒さが背筋を走った。その瞬間、金時は叫んだ。 「川より離れろ。崖を登れ。水が来るぞ」  何のことかわからない兵達が、右往左往しながら両岸の崖を登り出した。 そこには岸辺や川底の岩にぶつかり谷間に轟音を響かせながら、怒り狂った巨大な魔物が迫り来ている。それが岩や木々を巻き込んだ奔流とわかった時、兵達が恐怖のるつぼに巻き込まれていた。  流れ来る岩や木々が凄まじい音を響かせ、凶暴とも思える凶器になり兵達の体を傷つけている。逃げ遅れた兵が下流へ押し流され、必死になって崖に取り付いている兵の足元をすくっている。金時は為す術も無く崖にへばり付き、急流に巻き込まれた兵達の叫声を聞かざるを得なかった。 いつまで続くのかと思えた狂乱の修羅場も、流れが治まると落ち着きを取り戻していた。そこには傷ついた兵達から、川下へ流れる幾筋もの紅に染まった鮮血の帯があった。既に息絶えた者、助けを求める者、呻き声を上げる者など痛々しい兵達の惨状を、金時は呆然と眺めていた。    魔谷の谷道 卯の刻(午前六時)から辰の刻(午前八時)  二瀬の谷から尾根一つ隔てた魔谷で、渡辺綱は明け方より軍勢を率いて谷筋を遡っていた。谷川の流れに沿う石を伝い、また流れの中に足を入れながら上流へと進んでいる。谷の両岸に茂る木々の葉が紅葉の盛りであり、霧に霞む姿を見ていると何処か仙郷へと誘われているように感じている。 「こんな山奥にも人が住むのか」  誰に聞かせるのでなく呟きをもらした。 そこに「キィー、キィー」と谷にこだまするような声が聞こえた。これに殺気を感じた綱は、思わず雄叫びを上げている。 「我は源頼光が第一の家臣にて、渡辺綱である」  すると、ビューと矢音を響かせ、霧をつんざきながら飛び来たる一本の矢があった。これを瞬時に見つけ咄嗟に身をかわすと、供の者の捧げる弓矢を引っ手繰るように取り上げた。強弓を引き絞り岸の斜の上に立つ大木の陰で、おぼろげに見え隠れする人影に向かって征矢を放った。 「得たり」 綱は矢叫びを上げると、ドッと斜を下り落ちる音がした。直ぐに、これに向かって駆け出す供の者の後姿を見ている。斜を登り始め人の背丈の倍ほどの高さにまで至った時、上流に指を差して驚愕する叫び声を上げていた。 「み、み、水が来るぞ」  綱も上流を見ると、谷を蔽っている霧と二層を成すように、凄まじい勢いで駆け下る奔流がある。これはいかんと、すぐさま全軍に向け轟き渡るように叫んだ。 「川から離れろ。斜を登れ」  武者や兵達が、我先にと慌てふためきながら両岸の斜を登っている。間も無く足元の直ぐ下を、岩や木々を巻き込んだ濁水が凄まじい轟音を立てながら流れ下って行った。 「これが鬼の奇策なのか」 大事に至らなかった軍勢の様子を見ながら、綱は胸を撫で下ろした。だが、直ぐに怒りに似た思いが込み上げ、矢で射とめた者の止めを刺すように命じた。  魔谷の上流にある鑪の前で火を見ながら待っていた星熊は、谷を駆け上がって来た鉱夫の一人に聞いた。 「金熊様が討たれました」 「そうか」  暫し、目を伏せていた星熊は問うた。 「それで、水の成したることはどうであった」 「早く気付く者がおって、やり過ごされました」 「チッ」と舌打ちをすると、「次は岩を落とせ。今度はしくじるな」と険しい口調で言った。    西の峰道 卯の刻(午前六時)から巳の刻(午前十時)  源頼光は暁を迎え、峠より少し登った見晴らしの良い所に立っていた。眼下には純白の霧が谷を埋め尽くしている。そこから飛び出した山の頂が、まるで白い海に浮かぶ小島のように見えていた。一方、これから登り行く尾根に目を移すと、紅葉に彩られた峰々が朝日に照らされ悠然と居並んでいる。ここで何が起こるのか、鬼の策とはいか様なことなのかと、思いを巡らせながら眺めていた。然りながら行かねばならない征途であり、憂鬱を振り払い進軍の軍扇を振った。  これを待っていた卜部季武が「進め」の大音声を発している。この声で多田庄の武者達を先手としたおおよそ三百人の軍勢が。木立の中に列を成し峰道を登り始めた。 早朝の冷気に包まれているが、木々に覆われた急峻な山道を行くと身に着けている鎧の重さも加わり、汗が滴り落ちて来る。漸く一つ目の峰の頂き近くまで至ると草原が広がっていた。そこで、頼光は軍勢を止め休息を取らせている。 陽に温かさを感じ始めた草原の中で、兵達が思い〱に体を休めている。空を見上げると紺碧の中に白雲が浮かび、ここが戦場になるのかと不思議な思いに駆られていた。この時、こんな思いを見透かされたかのように、十数人の人影が急に頂辺りに現れた。そこからは矢が飛び始め、不意を突かれた兵達の数人が矢を受けて倒れ込んだ。 「盾を構え。射返せ」 頼光は叫んだ。 武者達が盾の狭間から矢を射返すと、頂きの人影が向こうへ逃げ去っていた。 「追え。あれが鬼ぞ」 季武の声で弾かれたように、草原に散らばっていた兵達が斜を駆け登っている。すると、頂の周辺には押し出されて来た十数台の荷車が見えた。 「落とせ」 頂きよりけたたましい怒声が聞こえた。同時に勢いを付けて降り落ちて来る荷車には、槍や刀が結わえ付けてある。 「これは何と言うことだ」  頼光は内心で叫んだが、既にこの時には兵達のけたたましい悲鳴を聞いていた。 「ギャー」、「グワァー」、「ゲェー」 荷車を避けることが出来なかった兵達から、吹き出して飛び散る血潮が腕や足を赤く染めている。この中には、槍が胴に突き刺さり荷車と共に転がり落ちる兵がいた。飛沫のように撒き散らした鮮血が、赤い帯を延ばすように草原を染めていた。 兵達の後に続いていた武者達が何とか荷車を避け、刃を翳(かざ)しながら頂へと登っている。その頂より向こうの下り坂に差し掛かると、先頭を進んでいた数人の姿が急に見えなくなった。 「止まれ、止まれ、止まれ」  頂に立っていた季武の大声がした。そこで、立ち止まった武者が、数人の姿の消えた辺りを恐る〱覗き込んでいる。そこには穴の中に差し込まれていた槍で、体中を突き抜かれ絶命している武者と供の者の姿があった。吹き出すように流れ出る血潮が、その者達の鎧や衣を紅に染め、なおも体より滴り落ちていた。  頂に着いた頼光は、この武者の報を聞いた時、これが鬼の奇策なのかと底知れない不気味な思いに駆られていた。    二瀬の谷道 辰の刻(午前八時)から午の刻(午前十二時)  二瀬の谷では、奔流となって流れ来た水の勢いで二十人ほどの兵が死傷していた。これらの兵達の収容のため、更に兵を残すとほぼ半数になってしまった兵と武者達を率い、金時は谷を辿ることにした。ここからは先手となって歩く武者達が、谷間の木陰に見る少しの動きにも敏感になっている。時折、木々の間を飛ぶ野鳥にも矢を向ける武者がいた。谷川の間近に沿って続く道が、先程の流れに乗せられた岩や木々の残骸で、行く手を阻むかのように散乱している。このような道で苦労を重ねながら進むと、やっとのことで谷底の道を終えていた。   一息入れ、ここから山への登り道に進もうとした時、頭上のわずかな音に向かって武者が矢を射掛けた。すると、ドー、ドー、ドーと転げ落ちてくる人影がある。 「射たか」 金時は叫び声を上げた。 すると、地鳴りのような凄まじい音が聞こえ始めた。間もなく武者達の頭上を覆うように岩や木が崩落して来ている。視界を奪い去り、土煙を上げながら転げ落ちて来る岩や木は、凶暴な意思を持つかのごとく、たちどころに谷を埋めつくした。そこには前を歩いていたはずの、武者達の姿が見えなくなっていた。  谷に静けさが戻り、舞い上がっていた土埃が薄れると金時はその惨状を眺め慄然とした。鬼の仕業とはいえなんと惨いことをするのかと、今更ながら恐れを感じるようになっていた。    魔谷の谷道 辰の刻(午前八時)から未の刻(午後二時)  濁流が流れ去った後の魔谷では、綱の率いる軍勢が動き出していた。岩や木々が散乱し、 失われてしまった谷筋の道を探しながら上流を目指している。暫く進むと少し拓けた所があり、川の流れを止めていたのであろう木枠を組んだ跡や岩積みの跡が見られた。数軒の小屋も建てられ、武者達に小屋やその周りを探らしていた。すると、川上の小高い所に数人の者が現れ、矢を放ち始めた。武者達が射返すと、その者どもは山中へ逃げ去っている。数人の武者達が、その後を追おうとしたが、綱は差止めた。 「止まれ、止まれ。何が仕掛けられておるかわからぬぞ」 ここから向かう谷筋を見上げると、益々、奥深くなる山へと続く道の脇には、川が細くなり滝のように流れている。急峻な谷間には、まさに鬼が嘲笑い垣間見られているような心持にさせられていた。 「こんな山道を登るのか」  誰に聞かせるとも無く独り言を呟きながら、何か魔の手が待ち受けている気配を感じずにはいられなかった。  数人の兵達を先に行かせ、間を空けて軍勢を進めている。それにしても谷の静けさが反って気に掛かっていた。幾度かの谷の曲がり角を過ぎると、川の流れがだいぶ下になっている。次の曲り角に差し掛かろうとした所で、先を行っていた兵の断末魔の声が聞こえた。 「グワー」 同じ時、この声を崖の上で聞いていた星熊は、ニタッと口元を緩ませ鉱夫らに命じた。 「落とせ」  鉱夫らが結わえていた縄を切った。  崖の上に立つ大木の間に、おおよそ五間(約9m)を満たすように積み上げていた人の頭ほどの岩が、轟音を上げて転げ落ちて行った。 「身を伏せろ」  轟音を聞いたその時、綱は大声で叫んだ。 凶暴な塊となり、凄まじい勢いで岩が降り落ちて来た。土埃を巻き上げ、唸りを生じながら、轟々と武者や兵達に襲い掛かっている。肩骨を砕かれ蹲(うずくま)る供の者、兜を割られ顔を朱に染める武者、弾き飛ばされ崖下へ転落する兵など、直ぐ側で起きている惨状に、綱は歯ぎしりをして怒りを堪えていた。 やがて立ち込めていた土埃が薄まり、崖にへばり付かせていた体を起こした。辺りを見回すと山道には岩が転がり、岩の下で息絶えた者、流れ出る血を押さえる者、呻き声を上げる者など生々しい姿があった。後続の者からの無事を確かめる声が聞こえた。綱は手を挙げて答え、鮮血が滲み出し痛みも感じている自らの足に力を入れると、雄叫びのような声を上げた。 「奴らを逃がすな」  死傷した者にそれを助ける者を残し、ほぼ三分を減らした軍勢が、更に谷筋を登って行くと、やがて少しばかりの平地に木々や炭が燃えているような臭気の漂う辺りになった。その奥には斜にこんもりと盛り土がされ、板葺きの屋根に覆われた所が見える。そこには小石の山があり、火が焚かれているのか煙が立ち登っている。その板葺きの屋根の周囲では、物陰に隠れた数十人の者が、こちらに向かって矢を射掛けている。 「射返せ」  綱はこのように叫ぶと、自らも強弓を引き絞り矢を放ち始めた。  星熊は、鑪の上に続く斜で焦っていた。矢が風を切る鋭い音を立てて周りに突き刺さっている。直ぐ近くで矢を射ている鉱夫らの中には、その矢に当たり倒れ込む者や苦しむ者が次々と出始めていた。  樽に汲んでおいた水を、鑪の上部となる鉱石の入れ口より注いでいる。なかなか火元に滲入しないのか湯気ばかりが立ち上がり、吹き出すような蒸気を感じ取れない。そこへ敵の兵達が近づき、その一人の放った矢で首筋を裂かれてしまった。 「グー」と声にならない音を出し、星熊は鑪の上に倒れ込んだ。そこには鮮血がほとばしり鉱石の隙間へと滲み込んで行く。すると、直ぐに鑪より噴き出し始める蒸気が見られた。その蒸気が急激な噴き出しに変わると、けたたましい轟音を響かせ壮絶な爆発が起こった。 爆風が周辺の木々や鉱夫らを吹き倒し、飛び散る石片がここへ向かっていた兵達を襲っている。その源には赤々と滾るような塊が見え、まるで巨大な野獣が口元より閃光を発しながら、轟くような吠え声を上げている姿を、綱は目の当たりにしているように思えた。その爆発の凄まじさを物語るかのように、白煙を高々と天空へと立ち登らせていた。    二瀬の谷道 午の刻(午前十二時)から未の刻(午後二時)  二瀬の谷で金時は、怪力を揮い岩や木を取り除いていた。鎧や弓、長刀が拉げ、その下からは、うめき声とも鳴き声とも区別がつかない声が聞こえている。 「今少しの辛抱ぞ」  金時は武者らを励ましながら、何とか息のある者の助け出しを終えていた。 「坂田様、まだ先へと進まれますか」 思い余った兵の一人が、金時に問い掛けた。 「恐ろしいか」 「はい」 「我らは帝の命を受け、民人を苦しめるモガサの元凶を討ちに来ておる。しかも、四社の御神霊の御加護までを頂いておるではないか」 「そうでございました」 ここで救護の兵を残すと、ほぼ半数にまで減ってしまった軍勢で谷から山へと続く斜を 登って行った。 やがて、その道の向こうには、山が暗闇の大きな口を開けているように思える洞穴が見 えて来た。金時は立ち止まり、洞穴の様子を訝しげに眺めている。 「こんな所に洞穴があるが、何か仕掛けをしておるかも知れん。わしが先手となって物見をいたす」  ここまでに多くの兵や武者が亡くなり、恐れを抱き出した兵達を慮り一人で洞穴へと進んだ。 「何か冥界へと誘われるようで心持ちが悪い」  金時は雫が滴り落ちる洞穴を歩きながら、嫌な思いに駆られていた。 何とか通り抜けると辺りを窺い、待たせていた軍勢に呼びかけた。 「ここは何も無い。進んで参れ」 気味悪げな洞穴を恐る〱抜けた軍勢を引き連れ、暫く行くと田や畑がある少し拓けた所に着いた。 「ここで一休みとする」  冥界に足を踏み込んだ気分にさせられていた金時は、己を落ち着かせることもあって軍勢を止めた。 「それにしても鬼というのは、どんな輩なんだ」  先に武者の射た人影が石や木々に埋まり、まだはっきりと姿を見ていない鬼に焦りも募っていた。 すると、周りの山や畑の中に人影が現れ、矢を射掛けて来た。 「おー、あそこに人がおるぞ。あれこそが鬼だ。射掛けろ」 金時の号令で楯に隠れて射返していると、人影が山へ逃げ去ってしまった。 その様子を見て、ここぞとばかり叫んだ。 「あの者どもを追えー」  山に向かって人影を追って行くと、斜を使ってこんもりと盛り土をした所があった。そこからは、もうもうと白い煙が立ち昇っている。この周りの物陰や木立の陰には、数十人の者が踏み止まって矢を射掛けて来ている。恐らくは、ここで食い止めようとしていると思い、金時は兵や武者達を励ました。 「ここが勝負所ぞ。射掛けろ」   斜の上では熊と金剛が樽に溜めて置いた水を、次々と鑪の上から注ぎ入れている。立ち昇る湯気で視界も失いそうであった。 「星熊爺が言っていたのは、この湯気のことであろう」  熊が話した時、尾根の向こうから爆音がこだまして来た。 「おー、あれは魔谷の鑪の爆発よ」  熊は、こう言うと大声で叫んだ。 「ここも、爆発するぞ。館に向かって走れ」 逃げ出す人影に向かって矢を射掛けながら、もうもうと湯気が立ち登る土盛りの横を、金時は軍勢と共に駆け抜けている。 「何だ、この湯気は。それにしても、先ほど聞こえた音は凄まじかったことよ」  走り去った人影を追い、やっとゆとりが出て来たのか金時は、立ち昇る湯気を眺めながら先を急いだ。    西の峰道 巳の刻(午前十時)から未の刻(午後二時) 頂にいる頼光は、峰道の鞍部から立ち登って来る火と煙に悩んでいた。逃げ去って行った者どもが放った火であろうが、風にあおられた煙が、周りの景色を隠すかのごとく勢いで吹き上げて来る。その源からは、パチパチと木々が燃える音が聞こえ、赤く燃える炎まで見えている。この中を強行に降ると、再び落とし穴の餌食になる恐れもあり、一旦、軍勢を下がらせようかとも考えていた。されど源氏の棟梁たる威厳を保たねばならぬと思い直し、ここを持ちこたえる策に考えを巡らせていた。そこで、懐より取り出した四社の御札を頭上高く掲げ叫ぶようにして祈った。 「四社の御神霊にお頼み申す。この風を止ませたまえ」  虎熊と石熊は、荷車と落とし穴で敵に与えた痛手に満足していた。そこで、この火攻めで持って撤退させることを期している。  「これが最後の仕上げぞ」 虎熊が、ここぞとばかり叫んでいる。 「オー」 鉱夫らが一斉に声を上げ、火に勢いを付けるため枯れ草や枯れ木を、次々と火元へ投げ入れていた。 このころ北東の峰道で道に迷っていた碓井貞光の軍勢は、二つの峰を越した向こうの辺りより立ち昇る煙を見て、ようやく行く宛てを定めていた。そこで、獣道のように細い道で藪を掻き分け、煙だけを頼りに進んでいる。やがて、虎熊と石熊が引き連れている鉱夫らの背後にまで迫っていた。  峰道の鞍部では、枯れ木を抱えて運ぶ者、それを次々と燃え立つ火の中へ投げ入れる者など、多くの者達が動き回っているのが眺められた。一方、峰の頂辺りを見上げると、立ち昇る火と煙に包まれ源氏の白旗が揺れていた。 「殿の軍勢が窮地におられる。射掛けよ」  貞光は武者達に命じた。   突如、背後から現れた軍勢に矢を射掛けられ、矢を受けた鉱夫らがばたばたと倒れ始めている。虎熊も足を矢で射抜かれ、苦痛のうめき声を上げていた。  このころより、山頂に向かって吹いていた東風が西風に変り始めた。今し方まで敵方を苦しめていたであろう猛煙が、今や鉱夫らを咽返らしている。火の勢いも弱まり、このような有様を見て虎熊が叫んだ。 「石熊、ここは館に向かって峰道を降りろ」 「虎熊様を置いてはいけませぬ」 「皆のことを考えろ。わしは少しでも奴等を止めておく」  歩ける者が半数近くにまで減ってしまった鉱夫らをせかし、石熊は館へと峰道より降って行く。暫くすると、その後に現れた貞光の有無を言わせない一振りの刃で虎熊が斬り倒されている。切り裂かれた肩口から噴き出した鮮血が、血飛沫となり飛び散る辺りを赤く染めていた。さらに、矢を受けていた鉱夫らで手向かう者が、次々と武者達に止めを刺されていた。  頂辺りで頼光は、祈願が通じたのか風向きが逆に変わり始め、火勢も衰え出したことを感じ取っている。 「これぞ僥倖(ぎょうこう)の証なり。四社の御神霊が我にお力を下されたぞ」 大音声で叫ぶと、軍扇を振りかざし進軍を命じた。 「殿の御指図が出たぞ。進め、進め」 季武の勢いある声が響いている。 長刀を杖とし地を探りながら恐る〱降って行くと、大きく間口を開けた落とし穴が数個見られた。これを避けながら進み、貞光の軍勢とは二つ目の峰となる大江山への登りで合流した。 「貞光か、良く来てくれた」  頼光は鉱夫らの死体を横に見て、貞光をねぎらった。 「この山を越して東へ降れば、鬼の住処となる。直ちに出立して、一気に囲むことにする」 「わかりました」 季武と貞光が答えた。 その時、谷間より響き渡るけたたましい音が聞こえ、立ち昇る白雲が眺められた。 「あれは、魔谷の辺りだとすれば、綱の一軍に何かことが起こったか」  頼光は、次々と繰り出される鬼の奇策に悩まされながら、綱の安否までを気遣っていた。 館 未の刻(午後二時)  酒呑童子は館の門の上に立ち、腕を組みながら戦の行方を推し測っていた。朝方より谷筋や峰道から、幾度かの叫声や地を揺るがすような音が響いて来るのを聞いている。それらの戦場で奮闘しているのであろう童子達や鉱夫らの姿を思い浮かべていた。ただ、多くの命が失われているはずであり、心の痛みが増している。 戦で身を立てている武士と、ここまでの争いを為すべきだったのか。煎じ詰めれば山を立ち去ることも思い浮かんだのかも知れない。だが、先祖のこと、ここまで多くなった人の数を思えば、おいそれと他所に相応しい地があるとは考えられなかった。  煩悶を打ち消すように館の中に目を向けると、いよいよ人の動きが激しくなっている。弓矢や飛礫を運ぶ者に飯の支度をする者など、駆けずり回る人々が右往左往している姿が目に映った。 その時、峰々にこだまする爆音が轟き、魔谷の辺りより立昇る白煙が見えた。 「おー、あれは星熊爺がやったか」 思わず大声を出して叫んだ。 取り巻きの者からも驚愕の声が上がり、「あれが星熊様の火炙りか」、「凄まじい火の技よ」などと、星熊を誉めそやしている。だが酒呑の脳裏には、なぜか星熊爺の最後の姿を思い描いていた。     魔谷の谷道 未の刻(午後二時) 魔谷の爆発の跡では、漂っていた煙と粉塵がようやく薄まっていた。かつて身に覚えがないほどの衝撃を受け、綱は呆然として辺りを見回している。そこには爆風と飛び散った石片で、敵や味方の多くの者が死傷している。その者達の有様や聞こえて来るうめき声で、爆発の物凄さを感じていた。 「戦える者は、いかほどおるか」  後方にいた武者に訊ねると、元の軍勢のおおよそ半数との答えが聞こえた。だが、怖気付き恐れを抱き出したのか、兵が立ち上がろうとしないでいる。  そこで綱は、いきり立つような大音声で声を掛けた。 「殿が申されていたとおり、我らは帝の軍勢ぞ。しかも、四社の御加護まで頂いておる。ここからはあと一息ぞ」  救助の兵を残すと、ほぼ三分にまで減ってしまった軍勢を率い、重い足を引きずりながら谷を登り始めた。    館 未申の刻(午後三時)  館の中で酒呑童子は、無事に戻りついた熊、金剛、石熊と顔をつき合わせていた。 「二瀬の谷に来た都の輩は、おおよそ半数をやっつけましたが、最後の手筈であった鑪の爆発を、水の加減を誤ったのかやり損ねてしまいました」  熊が、申し訳無さそうに話した。 「そうすると二瀬の谷からは、直ぐに敵が来ることになるんじゃな。西の峰道はどうであったんじゃ」 酒呑は、次に石熊の顔を見た。 「はい、西の峰道の鞍部で火を点けましたが、途中で風向きが変わってしまったのと、北東の峰道からも敵が現れて、多くの人を失いました」  石熊が悲壮な顔になって、涙ながらに答えた。 「そこで虎熊も死んだか」 「足に矢を受けていましたので、おそらくそうかと思います」  敵を食い止めると言って、峰道で別れた虎熊の最後の姿を思い出したのか、石熊が泣き崩れていた。 「泣くな」  いつになく厳しい口調になり、更に続けて話した。 「魔谷では凄まじい爆発が起きており、星熊爺と金熊が戻らないのは、敵にも相当に死傷者が出ているものと思えるんじゃ。なれど、それぞれの道から敵が押し寄せて来るのは、まもなくのことになるじゃろう」  ここで、一息をついて考えていた酒呑は、この様に言った。 「まだこの館に帰り着く者がおるかも知れん。門を開け放ち、館にある焚き木を全て篝火に燃やすんじゃ」    館の前 申の刻(午後四時)  夕陽の残照が大江山の頂辺りにだけ残るころ、館の前には頼光の率いる軍勢が西の峰道より降り着いた。また、二瀬と魔谷の谷道からも登りついた武者や兵達が、次々と館の周りを取り囲み焚き火を燃やしている。開けられた門の正面にある広場では、綱、金時、季武、貞光を左右に置いて、頼光が床几に座り門の内を睨んでいる。その前には、一際大きな焚き火が燃やされていた。その明りに照らされ明暗の映える端整な顔立ちが、源氏の棟梁としての凄みをかもし出していた。   そこで頼光はすっと立ち上がり、透き通った大音声で館に向かって叫んだ。 「館内の者に物申す。我は帝の勅命を頂き、都より参った源頼光と申す。酒呑童子はおるや」  暫くすると、館内の篝火に照らし出され数人の者が門の内より現れ、坂を降って来た。その中心に立っている男が、数歩前へ歩み出ている。 「酒呑童子とは我のことじゃ」  このように答えた男の姿が、他の者より頭一つ上背があり、低いが響き渡るような声であった。 「そちが酒呑童子か。見ての通り館の周りは、我が兵で取り囲んでおる。このまま戦を続けるのか、それとも潔く我が軍門に降るのか、返答はいかに」  二人が対峙する十間ほど(約18m)の間には、重く沈着した気が占めている。その森閑とした気配の中で、燃え盛る焚き火の弾ける音だけが聞こえていた。 「そちらの条件はいかなることじゃ」  酒呑の声が聞こえた。 「そちと並びに童子と呼ばれている者の、首級は頂く。代わりに他の者は、生かすことにいたす」 「我のみの首でいかんのか」 「それは許せん。即刻に答えが出来なければ、一刻の猶予を与える」    館 申の刻(午後四時)から酉の刻(午後六時)  館内に戻った酒呑は、童子と呼ばれる者で残った七人を前にしていた。 「お館様、我らの命は、遠の昔からお預けしております。ここは思う存分にお使い下さい」  熊が、むしろ明るい顔をして語っている。 「俺も同じです」  石熊もこのように答えると、他の童子達もうなずいていた。 「そうか。ここまで攻め上がられてしまえば、ここで戦ってもやたら無駄な命を失うばかりじゃと思う。それに、頼光が言っておった鉱夫らの命は助けるとの言葉に偽りは無いじゃろう。然りながら、今までと違って酷い扱いをされることになるんじゃろう。ただ、生きてさえいれば、何かが起こることも考えられるんじゃ」 「その通りです。我らの命は、その引き換えにいたしましょう。それが、我らの生きて来た証になります」  熊が、後背に掲げられている蔵王権現の御姿絵に語り掛けるように話した。 「そのようじゃな」  後ろを振り向いた酒呑は、御姿絵を見ながら呟いた。ただ、ここに茨木がおれば、何を言うのだろうかと心の中で考えていた。    館前 酉の刻(午後六時)から戌の刻(午後八時) 一刻が過ぎると、酒呑と七人の童子達が真新しい白衣を着て館の門の前に現れた。 「源頼光殿、我らの首を渡しに参った」  館を囲んでいた武者や兵達が一斉に、この声の主に引き付けられている。家臣達より戦の様子を聞いていた頼光は、面と向かって床几に座り直して答えた。 「縄を打て」  後ろ手に縛られた酒呑と七人の童子達が、頼光の前に引き連れられ座らされた。 「酒呑童子、まずは凄まじい戦ぶりを褒めて遣わす。このような策を考えた者は、ここにおるのか」 「ここにおれば、戦は違ったことになっておったかも知れん」 「それは、残念なことであった。一度、其奴の顔を見たいものである」 「いつかきっと、都に現れることになるじゃろう」 「それは楽しみなことだ。ところでそち達は皆、赤ら顔をしておるが、これでは疱瘡の元凶とされても致し方がない」 「疱瘡の元凶とは、馬鹿げた訳をつけたものだ。都の輩は何を考えておるんじゃ」 「都人というのは、鬼を冥土からの使いと考えておる」 「我らが鬼と言っておるのは、里の民と住処を画すためじゃ」 「されど、このような疫病が流行った時に、都人はそうは思わない。穢れ悪しき疫鬼の仕業と考えるものだ。しかも、帝の地を我が物とし、人を集めて山を掘り、財を蓄えるとは許されざることである」 「我らは決して私利に偏ったものでなく、そのめぐみは里の民にも都の民にも分かちあっておるんじゃ」 「この国において、それは帝のなされることであって、下賤の者が行うことではない」 「帝とは何じゃ。民を苦しめ、清貧に暮らしておる民をないがしろにしておるだけじゃ」 「国を統べる者と統べられる者がおるのは国の条理であって、苦しみを伴うことがあるのも、また条理である」  酒呑の顔が、焚き火の明りをまともに受けていることもあるのか、益々、赤みを帯びている。 「このような深い山奥まで、なぜにその触手を伸ばすんじゃ。我らは、ここに二百年もの歳月を暮らしておるんじゃ」 「何を馬鹿げたことを言うのか。この国は、遠く陸奥にまでも支配が及んでおり、この地のように都の近くでは、たとえ深い山であっても当たり前のことではないか。それは時流を弁えない者が言う戯言にしか聞こえぬ」  酒呑の顔が苦衷にゆがんでいるように見えた。そこで頼光は、止めをさすように言葉を続けた。 「最後に言っておくことはないのか」 暫く考えていた酒呑が、思いを込めるようにして叫んだ。 「鬼に横道はなし」 頼光は、一瞬、強張った。だが、直ぐに鋭い言葉で命を下した。 「切れ」  頼光より手渡されていた名刀安綱の刃を綱が上段に構えた。介添えの兵が酒呑の背を押え、首を前に押し出した。綱が刃を振り下ろした。その刃が首に届く間際に酒呑が首を強くもたげたのか、斬りおとされたはずの酒呑の首が中天に舞い上がった。かっと見開いた双眸の眦(まなじり)が吊り上り、口が裂けるほどに開いている。その口からむき出した歯で、襲うかのごとく頼光へ向かった。そこで頼光は、振り払うように軍扇を頭上で一振りすると、力を失い足元に落ちて転がった。この時、飛び散った鮮血が頬に付き、頼光は拭い取った手に赤く残った血を眺めていた。  これを見ていた他の武者達が、童子達の首を次々に斬り落としている。首元より溢れ出た鮮血が広場に赤い流れを作り、それの行き着く所には池のような溜りが出来ていた。この後には、遺骸をこの場で荼毘にふしており、赤々と燃え上がる火炎が漆黒の大江山を照らし出すかのごとく夜空を焦がしていた。    鬼ガ城 戌の刻(午後八時)  この日の朝より茨木、阿古也、五月の三人は、鬼ガ城で一言も語ることなく大江山を見つめ続けていた。夜になり館のある辺りで大きな火の手が上がると、茨木は「これで終わったか」と独り言のように語った。 「鬼熊、これからどうする」 「わしは、せめてお館様の首だけは取り戻す」  思い詰めていた鬼熊が、大江山に燃える火を見つめながら答えた。 「そうか、もうお前の好きなようにしても良いが、無茶はするな。わしは、この地を離れることにする」    その数日後  戦の後始末と鉱脈の調べをするのであろう藤原保昌を大江山に残し、頼光の軍勢が綱を先頭にして都へ凱旋の行軍を始めていた。直ぐ後には兵達が続き、それぞれが担いでいる長刀の先には白い布袋が掲げられている。それらには斬りおとした首が包まれているのか、赤黒く血糊が滲み出していた。軍勢が由良川の川縁の道に差し掛かると、僧の形(なり)をした一人の男が草むらから飛び出し平伏している。 「お武家様にお願い申します。それらの首をお渡し下され」 「何だ、お前は」 「はい、この地の者で、仏門に携わっております」 「どこの者とわからん坊主に、この首は渡せん」 「いや、ぜひともお渡し願います」  平伏していた男が立ち上がり馬の手綱を取ろうとした時、綱は一喝した。 「無礼者、我を誰と心得ておる」  馬がいなないて前足を蹴り上げると、男が蹴飛ばされた。仰向けに倒れると、急な土手を転げ落ち由良川の流れの中へ身を沈めて行った。 「あー、阿古也様」  草叢に身を隠していた五月の悲鳴にも似た声が響いた。  だが、何事も無かったかのように軍勢が都への道を進んで行った。
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