鬼の風聞

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八、羅城門  この日茨木は、源頼光の軍勢を二丁ほど(約218m)離れた由良川の対岸より眺めていた。先頭を進む騎馬武者の後には、白い袋を長刀の先に掲げた兵が数人続いているのが見えている。あれは間違いなく、お館様や童子達の首と思える。ここでは何も為すことが出来ないでいるが、その首に向かい手を合わせ深々と頭を下げていた。この戦で何も出来なかった己の身の振り方と、この地に攻め込んだ頼光に対する忌まわしさ。更には、「お館様の首を取り戻す」と言った鬼熊の言葉など、様々な思いが頭の中を駆け巡っていた。 その時、馬のいななきが聞こえると、土手を転がり川の中へ落ちる人影が見えた。 「あっ、あれは鬼熊ではないか」  配下の者にこう言うと、川縁の道を下流へ駆け出していた。  川が大きく蛇行する辺りで川原に下り、流れの中から鬼熊を岸へと引き上げている。 「おー、まだ息があるぞ」  身を横たえるとゴボゴボと水を吐き出す鬼熊の背を摩りながら、頭の横に出来た傷跡より滲み出る血を眺めている。 「この傷は、後に残らなければいいが」 それにしても無茶なことをしたと思いつつ、茨木はこれから己がやろうとしていることを考えると自嘲の笑みを浮かべていた。 「この川原では人目につく。この下手より山へ入ると我らが行をする寺があるので、そこまで運んで行く」  配下の者へ、このように声を掛けると、水滴が滴り落ちる鬼熊の衣を気にも掛けず背に負って川原を後にした。   一刻ほどすると、五月は阿古也を探しながら川岸を伝い、この川原の対岸に来ていた。袴を腰の辺りまで濡らしており、川水の冷たさで体が冷え唇も震えているのがわかる。転落した所の川の流れの激しさからすると、阿古也が流されて来るのは流れが緩やかになるこの川原の辺りかと思えた。川面には川底の魚を捕えたのか水鳥が浮かび上り首筋を振るわせている。あの水鳥が阿古也の体を引き上げることを叶えてくれるならばと、五月は哀願し手を合わせていた。  夕方の冷気が川面に流れるころ、朦朧(もうろう)として臥していた五月に川縁の道から呼び掛ける商人風の男がいた。 「おーい、そこの娘さん。大事おませんか」  答えが戻って来ないことを心配して、川岸の五月の側まで下って来ている。そこで、五月の顔色を見るなり、土手の上の男に向かって叫んだ。 「この先に、今日の泊りをお願いしているお寺があるさかい、直ぐに行って人を呼んで来ておくれ。この娘子の命が危ない」  翌日の朝、寺の一室に寝かされていた五月は、目を覚ますと商人風の男と向かい合っていた。 「どこぞのお方か知りまへんが、大変お世話になりました」 「お気がつかはりましたか。わては、都で商いをしております庄弥(しょうや)と言うもんどす」 「うちは、五月と呼ばれております。都の北にある船岡山の麓で住まいをしております」 「それで五月はんは、何で都から、こないなとこまで来たはりますんか」  まさか、大江山の鬼に縁(ゆかり)がある者とも言えず、押し黙っている五月の様子を見て庄弥が言葉を続けた。 「何か、深い訳があるようどすな。それにしても由良川の川岸で倒れているとは、よほどのことがおありどしたか」 「はい、都へ帰る旅の途中で、連れの者が川に落ちてしまい探しておりました」 「そうどしたか。して、そのお方は見つかりましたのか」 「いえ、川の深みに沈んでしまわはったのか、もっと川下に流されてしまわはったのか、ようわかりまへん」  ここまで話すと五月はうつむいて涙を流していた。そこで、暫く間を置いてから庄弥が問い掛けた。 「それは大変どしたな。ここからはどないしやはりますんや」 「うちは、都へ帰ろうと思ってます」 「この辺はえらい戦があったとこで物騒や。よかったら都までご一緒しやはりまへんか」 「そうさせて頂ければ、助かります」 「なんてことはおまへん。わても、この先の宮津から都への帰りやさかい」  このようにして都に戻った五月は、庄弥の縁(えん)を受けて金貸しを営むようになった。  その翌日、寺に鬼熊を預けた茨木は、二人の配下の者を連れて大江山へ向かっていた。通い慣れた道ではあるが、これまでと違うのは二瀬の谷には流木や岩が散乱している。ここで戦があったことを窺い知るように、弓矢や血が付いた衣の切れ端などが、所々に残っていた。己が意図した策ではあるが、多くの兵の命を奪ったであろうことに、茨木は手を合わせ自責の念に駆られていた。 胎内くぐりの洞穴を抜け、しばらく進むと畑の横に続く道で一人の鉱夫に出会った。 「あっ、茨木様」 「おー、どうした松三ではないか。無事であったか」 「どさくさに紛れ、逃げ出してきやした」 「それで、山はどのようになった」 松三が木々の陰に三人を誘い、振り向いて山上へ続く道を見ている。 「追手が来るのか」  茨木は身構えながら問うた。 「はい、この上には国府の兵がおりやしたので」 暫く息を殺すようにして様子を窺っていた松三が、振り返って茨木に話した。 「何とか見つからずに抜け出せやしたようです」 「国府から兵が来ておるのか」 「戦の翌日でしたが、国府の役人に引き連れられ山に登って来よりやした。こやつらは惨いことに、わしら一人〱を笞(しもと)で打ち据え、山のめぐみの在処を聞きだして根こそぎ運び出しておりやす」 「やはりそうか」  そこで、松三が怒りをぶつける様に話始めた。 それは松三が見聞きした戦の様子であり、お館様と戦に生き残った童子達の最後の姿であった。それに、茨木の側に座っている配下の者の親や兄弟も戦で死んだことを伝えた。 大きく頷いた茨木は、嗚咽の声を側に聞きながら松三に問うている。 「そちは、ここからどこへ向かうのか」 「国に戻っても暮らせやせんので、都にでも行こうかと思っておりやす」 「そうか、わしも山の様子を見れば都に向かう。また、どこぞで会うかも知れん。元気に暮らせ」 「茨木様もお達者で。それに、この上におる国府の兵に、お気を付けとくれやす」 松三と別れ山道を登って行くと、鑪のある辺りで焚き火を燃やし屯する兵の姿が見えた。 「松三が言っていた通り、国府の兵が来ておるか。今、騒ぎを起こすとまずいので、ここから脇道に入り北東の峰道に向かう」 配下の者を誘い茨木は、獣道のように細い山道の藪を掻き分けながら登っている。峰道まで辿り着くと、一つの頂き近くにある岩屋に潜り込み一夜を過ごした。 次の日の朝、鬼の岩屋と呼んでいるここの岩の上に立つと、眼前には大江山の峰々が静寂に居並んでいる。その山肌を覆う赤や黄に彩られた木々の葉は、何事も無かったかのように陽に照らされ明るく輝いていた。幾度も見た景色であるが、今は苦衷の思いで眺めている。 「この山を襲った頼光には物を申さねばならぬ。それに、鬼熊が果たせなかったお館様や童子達の首は、必ず取り戻すことにする」 配下の者に、それと己にも言い聞かせるように茨木は語った。そこで大江山に向かって端座し、手を合わせると頭を深々と下げていた。 岩を降りて二人の配下の者が頷く様子を見定めると、おもむろに話している。 「そうじゃ、お前らには名が無かったのう」 「はい、わしらは鉱夫の倅(せがれ)なんで、まともな名はありません。わしは猿のように動き回るので、ましらと呼ばれております。こいつは夜目が利くので、ふくろうと呼んでおります」 配下の一人の若者が答えた。 「そうじゃのう、ましらとふくろうでは都で話をするのにまずかろう」  一頻り考えていた茨木は、木の枝で土に字を書きながら言った。 「今日からは、このように名乗れ。ましらは敏熊。これは、すばやいことを意味する。ふくろうは、清熊とする。お前の目の清らかさより名付けている」 「これは童子の皆様方と同じ名を頂き、有り難くお受けいたします。これで死んでも悔いはありません。何せ、わしらの名が残りますから」  敏熊と名を貰った若者が、嬉しげに答えた。 「おいおい、そう簡単に死んでもらっては困る」 「わかりました」 「はっはっはっ」と、久方ぶりに茨木は笑い声を上げていた。だが、直ぐに改まって二人に話した。 「大江山に行くと、また国府の兵と出会すことも考えられる。ここより都へ向かうことにする」  頼光の軍勢を追うようにして丹後道より山陰道へ、茨木は新たに名を付けた敏熊、清熊を連れて歩いている。街道の駅や村々では、疱瘡の元凶となる鬼王を征伐したと、頼光が持て囃やされていた。 なぜ、このようなことになるのか不思議でならなかった。それは、大江山での我らの暮らしが、この国の支配の外にあっただけのことで、なぜ悪霊のように扱われているのか。やはり、兵に恐れを抱かせるためとは申せ、後世にまで伝えられそうな鬼の恐怖を風聞として撒き散らしたのがいけなかったのか………。いや、そうではないだろう。国の中に異端の存在を赦さず、その財を取り上げることにあったと思わざるを得ない。そのためのこじつけとして、我らが使っていた鬼と言う山の民の呼び名を逆手にとり、民にまで衆怨(しゅうえん)を抱かすように仕向けられたことになる。まさに、お館様が言っていた通りであった。 茨木は歩きながら己と話をしていた。そこでぽつりと、独り言のような呟きを漏らした。 「我らは鬼でない。貴族どもの我欲のために暮らしが立ち行かなくなった民人を、大江山で救っておったのみである」    山陰道が丹波より山城の国に入り、都へ至る最後の峠が老の坂である。桂川の上流となる保津川の渓谷を、迂回するように西山の山中を進むことになる。その道でようやく峠を越えた辺りが大枝である。道すがら軍勢の様子を聞いていると、山城の国に入る手前で長刀に掲げていた布袋を見掛けていないとのことであった。それで頼光が、この地に軍勢を止め山に分け入ったという話を、地の者より聞いた茨木はさもあらんと思った。それは、疱瘡の元凶とした者を、たとえ首であっても都に入れるのは、忌むべきことと考えるのも道理である。そこで茨木は地の者に教えてもらった山へ入り、埋めたかも知れない首を探すことにした。  山道を辿って行くと山中の隠れ里を思わすような所に、崩されてはいるが数軒の小屋が並んでいた。その前の空き地には無造作に盛られた幾つかの盛り土があった。茨木は、真ん中の盛り土を指差して命じた。 「それを確かめようぞ」  敏熊が板切れを使い土を取り除いで行くと、まもなくして首が現れた。茨木は童子達の顔を思い浮かべながら、土に汚れた首をまじまじと見ている。 「さて」 誰であるともわからず考え込んでいると、いつか鬼熊の話としてお館様が言っていた貴族の娘を神隠しにしたごろつきどものことを思い出した。 「そうか、ここがごろつきどもの巣窟であったかも知れん。それならば、なぜ頼光がここに来たのか」  茨木は、思わず声に出していた。 頼光の為したことは、ただの見分なのか。それとも、お館様の首の在処を隠すためなのかを考えあぐねていた。  大枝より一里ほどの所に桂川が流れている。ここで軍勢に追いついた茨木は、川岸より対岸の様子を窺っていた。夕刻になると河原では、首級が入れられているのであろう筒箱が並べられ、狩衣姿に烏帽子を冠った者どもが見下ろしていた。恐らくは、頼光が大内裏の役人と思われる者と首検め(くびあらため)を行っているようである。やがて、この者どもが立ち去ると、一夜をここで過ごすのであろうか、あちこちで焚き火が燃え盛り武者や兵達の見張りも厳重に見えた。 「ここにまで首を持ち運んだか。それで、いよいよ明日は都への入城であろう。それにしても大層なことだ」  茨木は、吐き捨てるように呟いていた。 暁に東山の峰々の稜線が浮かび上がるころ、被っていた蓑を撥ね退け茨木は河原の草叢で身を起こした。久方ぶりの都に気の高ぶりを抑えながら、彼方の空を眺めている。たなびく雲が姿を見せる前の陽に照らされ、凹凸のある下腹に陰影を持たせ赤銅色に輝いている。その中に、お館様の顔によく似た雲形を見つけると思わず呟きを漏らした。 「お館様、きっと首を取り戻して大江山にお連れしますぞ」  暫くして川面の辺りが薄明るくなると、対岸の河原に目を向けた。 「おっ、筒箱が無くなっておるぞ」  茨木は唖然とした。 夜のうちにいずこかへ持ち去ったのか、それともこの川に流してしまったのか。焚き火に囲まれていた筒箱が見えなくなっていた。 この日、都大路では盛大に軍勢の行軍が行われたが、この中に首を持ち込んだ様子が見られなかった。  都に入った茨木は、右京の八条大路辺りにあったあばら家を住処にした。敏熊と清熊を使い半月ほどの間、頼光の屋敷や都の様子などを調べている。だが、お館様と童子達の首の在処は、杳としてわからず手掛りさえも掴めなかった。そこで頼光に物申すべく手筈の段取りをし、いよいよ動き出せるようになっていた。 冬の訪れを肌身に感じるようになったこの日、茨木は辺りが闇に包まれると住処としているあばら家を出た。向かう所は、都の北東にある一条戻橋である。敏熊と清熊が影のように続き、この二人にしても親兄弟の仇となる頼光への復讐に勇んでいた。賑わいのある左京を避け、寂れて人の住まいもまばらな右京の小路を北へ進み、三条大路で東に向かっている。堀川に至り、川沿いの道を再び北に進むと一条戻橋へ行き着いた。時刻も亥の刻(午後十時)になると、路に人影が全く見られない。闇は深く、星明りに照らされ川に架かっているものが、何とか橋であるとわかるほどである。この橋より少し下った辺りの川縁に茨木は座り、頼光の屋敷を指差して敏熊と清熊に命じた。 「ここに藁で作った人形がある。わしは数日前より、これにお館様を始めとして山の仲間の怨念を封じ込めて来た。あの屋敷の中に潜り込み、これを頼光の寝所の床下に置いて参れ」  都に凱旋して半月を過ぎると、恩賞や任官で華やいだ頼光の屋敷に平穏が戻っていた。物音一つ聞こえて来ない屋敷内の様子を窺い、敏熊は築地塀の上にまで枝を伸ばした松の木に向けて鉤縄を投げている。ガサッと鈍い音がして鉤が枝に掛かると、縄を張りスルスルと猿のごとく登って築地塀の上に立った。続いて清熊を引き上げると、二人は松の木を伝い屋敷内へ降りている。南に向かい両翼を広げるように建てられた館の正面には池を配した庭園がある。その正面に建つ大きな御殿が、屋敷の主が住まう寝殿である。脇の対屋の側を二人の影は音もなく進み、寝殿の隅へと回り込んだ。 「清熊、この大きな御殿が寝殿であろう。この床下に潜り込むが先が見えるか」 「大事無い。これだけ星明りがあれば、床下でも見当が付く」  寝殿の正面にある階の下に隙間を見つけた清熊が、先に床下へと入り柱の一つ一つを手探りしながら奥へと進んでいる。 「敏熊、寝所はこの辺りで間違いないだろう」 「よし」と小声で答えた敏熊は、懐より人形を取出して柱の礎石の上に置いた。  二人は潜り込んで来た道筋を辿って屋敷の外に出ると、直ぐ前の川縁に座っている茨木の前で跪き片手を突いている。 「無事に気付かれず、寝所の床下に人形を置いて参りました」 「よくやった」  茨木が短く答えると、直ぐに目を閉じて瞑想を始めた。  菅笠を被り蓑を羽織った茨木を、底冷えのする夜露が深々と包み込んでいる。やがて、無我の境地に入り込むと、寒さを感じることも無いのか、体の奥底より生ずる熱が湯気を立ち登らせていた。  そこで右腕を眼前に掲げると、中指と人差指を立て他の指を握った刀印を結んでいた。その刀印に気が満たされると、臨、兵、闘、者、皆、陣、裂、在、前とくぐもった声を発し、横、縦、横、縦、…と、夜陰を切り裂くがごとく九字を切っている。次に、印相が両手の全ての指先を内へ組み入れた内縛に変わると、茨木の口元からは低くこもるような調べで不動金縛りの真言が漏れ出していた。 「ナウマクサンマンダ バザラダンセン ダマカラシャダソワタヤ ウンタラタカンマン、ナウマクサンマンダ バザラダンセン ダマカラシャダソワタヤ ウンタラタカンマン、ナウマクサンマンダ バザラダンセン ダマカラシャダソワタヤ ウンタラタカンマン、…、…、…」  真言の調べが闇に溶け込み、まるで水辺より水面に広がり行く波形のごとく頼光の屋敷の内へ流れ込んでいる。その唱える調べが徐々に熱を佩びて来ると、茨木の思いに唆(そそのか)されるのか床下の人形が僅かに震え出していた。   そのころ深い眠りの中にいた頼光は、熱病を患ったように汗をかきながらうなされていた。夢の中では金縛りにあった己の姿を見ている。赤ら顔をした多くの男どもに取り囲まれ、刀を抜こうにも腕が動かず、走り出そうにも体が前に進まないでいる。その内に男どもが近づいて来て、暗黒の煙に覆い被されたところで目を覚ました。 夜具がぐっしょりと濡れていたが、身を起こした頼光は寒気に包まれブルッと上体を震わせている。 〈嫌な夢を見たものだ〉  我としたことが、なぜにこのような夢を見るのかと思いながら、再び眠りの中に入っていた。  この翌日の夜、頼光は眠りに入ると、またもや悪夢に晒(さら)されていた。今宵は首の無い男どもが居並ぶ前に佇んでいる。この男どもの列の後ろは暗闇に包まれ、その中から光に照らし出されるようにして一人の男が歩み出て来た。その男が持つ錫杖の金輪が、突かれる度に鋭い金属音を鳴り響かせている。それが頼光の耳朶より脳裏に浸み込み、思惟を掻き乱すように騒いでいた。 列の前に出ると、精悍な面構えをしたこの男が唸るような声で話し始めた。 「我らの営みを崩した者に物申す。己が強欲のために我らを誅したか」  声を出そうにも唇が動かず、ただ、もがき苦しんでいる己の姿を頼光は眺めている。 「我らに疫鬼の烙印を押し、傍若無人な振る舞いを為したるは許されざることなり」 「その邪(よこしま)なる行いは、糾さねばなるまい」  「我らは疫鬼にあらず、疫病の祟りも為さず」 「かの山において、暮らしが立ち行かなくなった民人を救っておったのみである」 「我らの霊魂は、かの山に籠もっている」 「この者どもの首を、いずこへ隠したか」 頼光は、男の声に唆され首の在処を思い浮かべていた。  だが、続け様に発せられた声が途絶えると、呪縛に緩みが生じたのか「お前は何者だ」と短く叫んでいた。  頼光は、朝になると出仕して来た綱を呼び寄せ、二夜続いた夢の話をした。 「綱、この夢は大江山でのことが蘇っておるものと考えるが、二夜も続くとなると尋常とは思えん。殊に、昨夜は首の在処を話してしまいそうなところであった」 「左様にございますか。その夢に出て来た男が、やけに気に掛かります」 「酒呑童子が言っておった男かも知れん」 「大江山で、我らの軍勢を苦しめ奇策を講じた男」 「いよいよ都に、いや我が屋敷に来ておるものと思える」  頼光は、夢の中にも現れる其奴の技に鳥肌が立つような恐ろしさを覚えた。 「そうだ、このような時には晴明殿にお頼みするしか無い」  独り言のように呟いたその時、安倍晴明が訪ねて来たと家人の声が聞こえた。驚いた頼光は直ぐに承知を伝えると、しわがれた顔に穏やかな笑みを浮かべた晴明が家人に連れられ現れた。 「頼光殿、此度は大変なお手柄で、お慶び申し上げます」 「いやいや、晴明殿のお助けが、あったればこそと考えております。そんなことよりも、今し方、晴明殿にお会いしたいと思っていたばかりにございます」 「やはり、そうでしたか」 「えー、おわかりにございましたか」 「吾が屋敷の式神どもが、一昨日の夜からこちらの屋敷に向かって、何やら騒いでおりましてな」 「左様にございましたか。実を申しますと、大江山では一人の鬼を討ち漏らしておりました。其奴が以前に晴明殿より教え受けていた奇策を講じる男かと思われます」  晴明の目がキラッと輝いた。 「其奴は、生き残っておりましたか」 「大江山を囲んで皆殺しを考えておりましたが、其奴はそこにはおらなかったようです」 「なるほど、やはりそうでしたか。吾の手の者の調べでは、其奴は茨木童子と思われます。知力や念力に秀でており、陰陽寮の博士顔負けの力を備えておるようです」 「茨木童子にございますか。其奴は、それほどまでの力を持っておりますのか」 「そうです。生まれは摂津の茨木辺りで、都の南東に続く山中の寺で修験の行をし、高野山や熊野にも出向いておったようです。持って生まれた知力で渡来の書物を読みあさり、一度見聞きしたことは忘れることが無かったようです」 語り続ける晴明の顔から笑みが失せ、このことが茨木童子と名乗る男の力を、頼光は更に大きく感じていた。 「それで、この修験の行をしておる時に酒呑童子と知り合い、大江山に向かったようです。そこでは生まれ育った地の名より、茨木童子と名乗りました」 「なぜに、摂津を出奔しましたのか」 「恐らくは藤原氏のような貴族の荘園支配に反発し、己の才覚が発揮出来る大江山での暮らしを望んだようです」  頼光は、この話に考え込んでいた。この類まれな才覚を持った男が目指した大江山の暮らしとは、どのようなものであったのか。そんなことを見届けるまでも無く、この山を統べていたほとんどの者を殺してしまった己の仕打ちに、少しばかりの心残りを感じていた。 「それで、こちらではどのようなことが起こっておりますのかな」  頼光は二夜続いた夢の話を語っている。すると、晴明が目を閉じて考え始めていた。暫くすると、眉間の辺りをブルッと震わし、目を開くと床の一点を凝視した。 「頼光殿、寝所の床下に、何やら怨霊の影が見えます」 「怨霊の影と申しますと」 「それは人形のような物かと思います」 「はい、早速に探させます」  頼光は綱に目を向けると、直ぐに綱が駆け出していた。  まもなくして綱が戻って来ると、一体の藁人形を頼光に差し出した。 「殿、このような物が、床下に据え置かれておりました」 「これが怨霊の印か」  この様子を横で見ていた晴明が、大きく頷いている。 「頼光殿、それは怨念を封じ込めた人形と思います」 「まさに恐ろしき技にございますな」 「これを取り除けば、もう夢の中に現れることはございません。その人形は、吾が処することにいたしましょう」 「それは有難きことで、晴明殿には何かとお世話になります」 晴明が頼光より受け取った人形を、大事そうに白紙で包みながら語り掛けている。 「いえいえ、それよりも茨木童子が、次に何をしでかすかでございます。大江山で討ち漏らした鬼が巷を騒がす前に、けりを付けることが大事と思います。それが、帝への忠節かと」 「その通りにございます。そのため、鬼の首の在処をわからぬようにし、おびき寄せる手筈にしておりました」 「そうですか、さすがに頼光殿は知恵者にございます」 この日の夜、堀川端にやって来た茨木は、様子が変わっているのに気が付いた。昨晩までは、真言を唱えると伝わっていた思いが伝わらず、ただ、夜空に虚しく飛び去って行くばかりである。 「人形を気付かれたか」  呟きを漏らすと、側に座っている敏熊が答えた。 「茨木様、さればもう一度置いて参りましょうか」 「いや、これに気付かれれば、もう使える技ではない。次の手筈に移ることにする」  茨木は、都で行をしていた時に、噂を聞いていた宮仕えの陰陽師である安倍晴明のことを思い浮かべた。かの人の屋敷は頼光の屋敷近くにあり、こちらに来ておれば気付かれたのかも知れんと。 冷気に包まれて都大路を南に向かって歩く三人の人影は、いつしか漆黒の闇の中へと消え去っていた。  数日が過ぎた日の朝、あばら家の中では天灯作りが始まった。 「茨木様、いよいよこれを飛ばされますか」  細く切った竹を、行灯の形に組みながら清熊が話している。 「そうだ、これを見ると都の住人が騒ぎ出すであろう。そうすると、その騒ぎを鎮めることもあって、頼光がやって来るはずである」  茨木は、紙に鬼の顔を描きながら答えている。 「なるほど」 「その時に、きっぱりと物申し、首の在処を問い質さねばならない」 「わかりました」  今は朽ちるがままにされているが、羅城門は東西九間(約16m)となる重層の壮大な大門である。大屋根の半ばを失っている階上の間には、どこからとなく持ち込まれた骸が置き去りにされ、白骨となったものも多く見られる。人々はいつ崩壊するか知れない門をくぐらず、左右に続く羅城の崩された所を通っている。その人通りも夕方になるとすっかり途絶え、門の周りに広がる空き地は寒々とした景色になっていた。動くものとなると、風に吹かれて転がる枯れ草の固まりや、時折走り抜ける野犬のみで、他には門の空を飛ぶ烏をたまに見るぐらいである。  この日、夜の闇に包まれたころ、人の背丈ほどの大きさになる行灯のようなものと枯れ木を担いで歩く三人の男がいた。男達が羅城門の前に着くと辺りを窺い、人がいないのを見定めると枯れ木に火を点けている。それが勢いよく燃え出すと幾つかを選び、行灯のようなものの下に取り付けた細い鉄線の籠に移していた。男の一人が門の基壇の端に座り、冥想を始めている。その胸元には、両手の小指と親指を合わせ立て、中三本の指を交え、あたかも孔雀の様を思わす印相が組まれていた。男の口元から漏れ聞こえている呪文は、まぎれも無く毒蛇をも喰らう孔雀を神とした孔雀明王の真言であり、かの役行者が飛翔の行をする時に唱えたと伝えられている。 「オン マユラ ギランテイ ソワカ、 オン マユラ ギランテイ ソワカ、 オン マユラ ギランテイ ソワカ、 …、…、…」 暫くすると、行灯のようなものに熱い空気が満たされたのか、空中へ浮かび上がった。張り付けた紙に描かれている憤怒の形相をした鬼の顔が明りに照らし出され、まるで人を襲う鬼の姿を彷彿させている。それが門の大屋根に届く高さにまで舞い上がると、折からの南西の風に押され町中へと飛び去って行った。   この翌日の朝、大勢の人で賑わう七条大路の東市の一角では、鬼を見たと語る人が現れている。 「恐ろしや、昨日の晩に、羅城門の辺りから飛んで来た鬼を見たんや」 「なんやてー、誰ぞが言っておったが、鬼が空を飛ぶんは本当やったんか」 「そうや、わいも見た。怒り狂った鬼が、その内、火の玉になって落ちてしまいよった」  この話を町角で聞いていた五月は、もしや茨木様が都に来ているのではないかと思いを募らせていた。 「大江山の鬼が、仕返しに来てるんやないか」 「そやけど、あの山の鬼は、源頼光はんがみんな退治しやはったはずや」 「そやなー」 「いや、一匹ぐらいは、生きておったかも知れへん」 「へー、そないすると、何をしよるんやろ。おーこわー」  そして、この日も都の夜空には鬼が舞っていた。  次の日の朝、出仕をして来た綱が血相を変えて頼光に話している。 「殿、町中では大江山の鬼が仕返しに来たと、大騒ぎになっております」 「いよいよ、茨木童子が動き出したか」 「はい、羅城門の辺りより、鬼が夜空を飛んで来るそうです」 「保昌殿や金時が申しておった行灯のようなものであろう。直ぐに騒ぎを収めなければ、道長殿の覚えが悪くなる」 「今宵、我が行って討ち果たして参ります」 「綱一人で、大事無いか」 「残る鬼は茨木童子一人であり、大勢で押し寄せると、逃げ去ることも考えられます」 「あの奇策を講じた男であり、武芸の技も心得ておるであろう。決して油断をするな」 「あいわかりました」 「我の代わりとして、これを渡しておく」  頼光は、振り向いて刀架より手にした太刀を綱の眼前に掲げた。 「髭切」  綱が生唾を飲み込みながら答えた。 「そうだ。父御の満仲より譲り受けた当家の名刀だ」 「心して扱いまする」  夜の闇に包まれた羅城門が森閑とした気配に包まれるころ、西側の空き地では今宵も焚き火が焚かれている。火の粉を上げて燃える火の明りが、基壇よりそそり立つ巨大な門柱を照らし出していた。 これだけ都の住人が騒げば、今宵当りに何かが起こるかも知れん。焚き火の側で、茨木は考えていた。 鎧をまとった綱は馬に乗り、二人の供の者を連れて朱雀大路を南へと下っている。今宵は、一段と厳しく冷え込んでおり、路に人影が全く見られず、暗黒の空からは何やら白い物も降り出している。大江山で大勢の兵を失った腹立たしさと、その策を考えた茨木童子には何か怒りのようなものを感じながら馬を進めていた。やがて、遠くの羅城門と思える辺りに、ボヤッとした焚き火の明りが見え出す所まで来ると、馬上でブルッと身震いをしている。暫くして、羅城門を見上げる空き地に着くと、東の方角から焚き火が燃えている基壇の西に向かって歩く女の姿を見つけた。 「おー、茨木童子とは女であったか、それとも化身をしているのか」  こんな夜に、この辺りを歩くのは、鬼以外に人がいるはずも無く、目で女の行く手を追っている。すると、その女がこちらに気付いたのか、崩れ落ちた門の陰に姿を隠してしまった。 「茨木様、ついに来たようです。騎馬武者に供の者が二人付いております」  夜目の利く清熊が言うと、見え出して来た人影を見つめて茨木は答えた。 「あれは頼光では無さそうだ」  綱は、門の基壇の西端に現れた三人の人影を見つけた。 「おや、今度は男か。しかも、三人もおるではないか。それに側には鬼の行灯も置かれておる」  こう呟くと、三人の男に向かって馬を近づけている。 「その方らが鬼か。いや、茨木童子の一味か」  しばれるほどの夜気を、切り裂くような声で綱は叫んだ。 「なぜ、わしの呼び名を知っておる」  前に立っている男の、低いが響くような声が聞こえた。 「その方が茨木童子か。我らは、安倍晴明殿より教えを受けておる」 「あの宮仕えの陰陽師か。それで、そなたは何者だ」 「我は渡辺綱と申す。源頼光が第一の家臣である」 「左様か。そうであるなら大江山で、打ち落としたお館様や童子達の首の在処を知っておろう」 「やはり、首に誘われてやって来たか」 「何を申す」 「首の在処をわからなくしたのは、その方を誘き寄せるためだ」 「何だと」 「大江山で討ち漏らした奇策を講じる鬼を、始末しないと都の平穏が保たれないからだ」  綱は源氏の名刀である髭切を抜き放った。二尺七寸(約81cm)のギラリと輝く刃を、肩に担いでいる。それに対し、茨木が微動だにせず答えた。 「それを、一人でやりに来たか」 「そうだ」  暫しの間、綱と睨み合っていた茨木は短く言葉を発した。 「散れ」 敏熊と清熊が燃える焚き木を持ち、綱の左右へと移動している。この動きに合わし綱が乗る馬の側にいた供の者が、二人に向けて長刀を構えた。茨木は内縛の印相を組み、綱を見据えて不動金縛りの真言を唱え始めた。  茨木の唸るような声が、辺りに充満するかのごとく響いている。すると、動こうとする全ての力を奪い去る霊気に支配されたように、刃を肩に担いだ綱が馬上で凝り固まり動けなくなっていた。そこで茨木は内縛の印相を解き、馬の目元に向けて右手の刀印を突きだした。綱の意思に関わり無く、馬がゆったりと茨木に向かって歩み寄っている。そこへ敏熊と清熊が手にしていた焚き木を馬の顔に向けて投げつけた。驚いた馬が前足を蹴って立ち上がり、はっと気付いた綱が押さえようとして馬首に体を寄せている。その刹那、茨木は基壇より飛び出した。馬の前足が地に着いた時、背後に乗り移っていた茨木は綱の首を両腕で締め付けた。 喉元より「ぐぅー」と鳴る音を綱は聞いた。そこには茨木の二の腕が猛烈な力で食い込んでいる。これはいかんと綱は、馬を走らせ空き地の中ほどまで来ると、その勢いで茨木もろとも落馬した。地面に転がった時、一瞬緩んだ茨木の腕を力任せに振り解くと、刀を構え茨木と対峙している。頭髪が乱れ、歯をむき出しにし、恐ろしいまでの形相をした茨木が腰をかがめて、今にも襲い掛かって来ようとしている。これが奇策を講じた男の正体かと、綱は刀を構えながら荒い息を吐き、後ずさりをしている己の不甲斐無さを感じていた。 この時、二人の戦いを暗闇の中から見ていた男が、杖を担いで走り出して来た。 「茨木様、わしも一打を、ギャー」と、後は言葉にもならない叫声を上げ、後ろから綱に殴り掛かった。 「あっ、松三止めろ」  茨木は声を上げたが、振り下ろされた杖に体をよじって避けた綱が刃を一閃した。茨木の前には、肩口から切り裂かれ血飛沫を上げながら松三が倒れ込んだ。 「松三、大丈夫か」  思わず駆け寄って松三の体を起こそうとした茨木は、刃の音を聞き飛び退こうとした。だが、「ガシッ」と鈍い音を聞くと、右腕が斬り離され地に落ちた。  瞬く間のように覚えた戦いを、門の陰から五月は見詰めていた。右腕の切り口から血が吹き出るように流れ出し、そこを左手で押さえながら後ろに下がる茨木の痛々しさに、声を出すことも出来ずにいる。それで、二人の男に支えられ去っていく後姿を見送らざるを得なかった。 綱は、去り行く茨木を見ながら「フー」と、長いため息を吐き、転がっている腕と流れ落ちた血潮の跡を眺めていた。 「あそこまで我を追い詰めた茨木童子とは、まさに恐ろしい男であった。なれど、これだけ血が流れ出れば、助かることが難しいかも知れん。これで、もう都に現れることはあるまい」  己に言い聞かせるように語りながら、焚き火の側にどっかと腰を下ろした。 「さてっ」  供の者に聞こえる声を出し、続けて命じた。 「屋敷に戻り、高札と墨を取って参れ」  翌朝、羅城門の前には片腕と遺骸が置かれ、その横には高札が立っていた。 「源頼光が家臣、渡辺綱が討ち取りし鬼の腕と亡骸也」
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