2、東京タワーとひそかな恋

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2、東京タワーとひそかな恋

 佐伯さんは軽く手をあげて彼らに挨拶した後で「ちょっとイベント出演が入りそうでね」と言う。 「あ、ほんとですか。いつです?」  スマホのスケジュールアプリを呼び出す。リーグ戦は毎週土曜日。他にもちらほらと予定は入っているのを確認していると「5月5日の祝日。……確かあいてるよね?」と聞かれた。 「はい、3日がリーグ戦で、4日が振り返り配信。5日は特にはないです」 「その日、水戸の工場で冷食イベントがあるそうなんだ。そこにゲストで呼んでいた人が都合つかなくなったとかで、急遽依頼があった」    チームの母体企業であるステファンフーズ株式会社は、本社は丸の内にあるけれど、冷凍食品やレトルト食品の全ては茨城県水戸市の工場で作っている。ものすごく広い敷地で、そこでは年に何回かファン感謝祭みたいな大きなイベントを開いているんだよね。    わたしも何度か行ったことがあるけれど、工場見学だけじゃなくて、ちょっとしたステージイベントがあったり、出店があったり。近くに住んでる人だけじゃなくて、ちょっと遠方からも足を伸ばしてくれる人がいて、かなり盛り上がってる印象がある。 「彼らのスケジュール的には平気ですけど、何させるんです? トークショーとか試遊会とかですか?」  ちらりと配信中の彼らを見やる。  無口なコオリ君はともかく、ノイ君とおいちゃんは、お題さえあれば話すことはできるだろう。でも、当日のお客様なんて『フェンリルの咆哮』を知らない家族連ればっかりだろうし。  そんな中で彼らがトークショーを開いたところで、足を止めてくれる人も少なそう……。  わたしの心配なんてお見通しみたい。  佐伯さんは「残念だが、彼らは一般的には知名度がないからね。トークショーじゃなくて、試遊の方向でいこうかと思ってる」と言った。 「本当は『フェンリルの咆哮』の体験会をしたいんだが、当日の客層を考えるにもっと子供向けのゲームがいいだろう。──そのあたりは向こうとちょっと打ち合わせしてから決めるよ」  その後、佐伯さんは配信終了までスタジオにいた。彼の口からイベント出演の知らせを受けた三人の反応はさまざまだ。 「イベント出演かぁ! 名前売ってかないとねぇ」と嬉しそうなノイ君。 「水戸……。納豆以外に名産品ありましたっけ」とお土産のことをまず考えるおいちゃん。 「俺、裏方にまわりたいんですけど」と眉間にしわを寄せるコオリ君。 「いやいや、何言ってるの、コオリ君も絶対に表舞台! 決定事項!」  わたしが思わず口をはさむと、コオリ君は目を細めて重苦しいため息をついた。佐伯さんの前だと言うのに、あからさまに嫌そうにするなんて蛮行すぎる! わたしがなおも口を開こうとしたところで、佐伯さんは「これもプロとしての活動の一環だから」と有無を言わさぬ声音でその場を制した。  佐伯さんは笑顔ですごめるタイプで、怒っている様子はないけれど、無言の迫力がある。コオリ君もちらりと佐伯さんを見てから、口をつぐんだ。 「ひ、ひとまず今日もお疲れ様! 配信いいかんじだったよ!」  このまま沈黙に場が支配されたらやばいとの一心で、今度こそわたしも声をあげた。3人にひとまず撤収を促して、佐伯さんも肩の力を抜いた様子で「じゃあ俺もいくよ。あとはよろしく」ときびすを返した。    佐伯さんは先にスタジオを出て行って、控え室で彼らは着替え。──と言ってもブルゾンを脱ぐだけだから、大した時間はかからない。  わたしがいつものスタッフさんたちに挨拶していると、一番にノイ君が出てきた。太いボーダーのカットソーに細身のデニムがよく似合っている。彼はわたしを見るなり「ふくちゃん! 今日はタワー日和だよ」と言い出した。 「何それ?」 「今日は満月らしいから、東京タワーがめっちゃ映えそうじゃない?」  だから行こうよ、と屈託なくノイ君が微笑む。  なるほど、そういうことか。  迷ったのは一瞬で、わたしは「いいよ」と答えた。  彼はあの真っ赤な塔が大好きなんだそうだ。曰く、きれいだし、まっすぐだから。  だから、配信スタジオが浜松町にあって、しかも東京タワーに歩いて10分ほどで行ける立地であることを、彼が一番喜んでいた。  最初の頃は他の2人も一緒に行こうと誘っていたのだけれど、おいちゃんは「同棲中の彼女が待ってるから」、コオリ君は「次の日一限からだから」と断られてしまって。わたしは月曜は基本的に休みをもらってるし、ノイ君も自由に動ける身。暇な者同士(?)でなんとなくそれが習慣になりつつある。  浜松町駅に向かう2人を見送ってから、ノイ君は空を見上げて月が空の高い位置にあるのを確認すると「なんかぼやっとしてるなぁ」とつぶやいた。同じように空を見上げると、ぼんやりとした輪郭の月が見える。 「おぼろ月だね。きれい」 「俺はくっきりはっきりが見たかったなー」    ノイ君は残念そうに肩をすくめたけれど「ま、いっか。いこ」とわたしを促した。どこかわくわくした様子のノイ君は足取り軽く東京タワーへ向かい始める。彼はスニーカーだからいいとして、わたしはパンプスだからそんなに速く歩けない。 「待ってノイ君」  もうちょっとゆっくり歩こうよと声をかけると、ノイ君は振り向いて「ああ、ごめんごめん」とペースをゆるめてくれた。 「ふくちゃんさー、今度からスニーカーで来なよ。そういう靴だと疲れない?」 「そりゃ疲れるけど、スニーカーは無理だよ。外部の人に会うこともあるし……」 「ふーん、別にスタジオのみんな、ふくちゃんの足元なんて気にしないと思うけどなぁ」  そこはそうかもしれないけど、それ以外の外出だってあるわけで、そう自由にもできない。……という事情なんて、多分ノイ君だってわかってる。彼はただわたしをからかいだけなんだろう。  でもなんだかんだ言いつつ、ちゃんとわたしに歩調を合わせてくれる。  口はへらないけれど、優しいのがノイ君だった。  それからあれこれと雑談しているうちに、東京タワーの真下に着いた。夜の11時半を過ぎて、かなり遅い時間だけれどちらほらと人がいる。というかカップルばかり、5組くらいかな。みんなきっと、わたしたちと同じ目的だ。  わたしは息を整えてから、東京タワーを見上げた。  真下から見る東京タワーは、いかにも『天に向かってそびえ立っている』感じがする。てっぺんが見えないからかもしれないし、大きく広がった真っ赤な鉄骨の迫力がそう見せるのかも。かすみがかった月がそれに寄り添うように空に浮かび、いつもよりどこか幻想的だ。    ノイ君は展望台にのぼって景色を見ることには興味はなくて、こういうふうに真下から見上げるのが好きなんだそうだ。あとは……。  そっと隣に立つノイ君を見つめてみる。  ノイ君はさっきまでの賑やかさが嘘みたいに静かになって、東京タワーを見上げている。その横顔からいつもの笑顔は消えて、凛々しさばかりが際立っていた。こういう時のノイ君は口数がぐっと減る。それがわかってるから、普段よりもテンポに気をつけながら、ぽつぽつと言葉を交わした。  しばらくして、どこかで秒針が動く音が聞こえたような気がした。12時ぴったり、日付の変わる時間。  ふっと東京タワーの明かりが消える。  この瞬間が、多分ノイ君が東京タワーで一番好きなところ。前にぽつりと「こういう大きな存在でも、スイッチが消える時があるって……なんか良くない?」なんて言っていた。あの時のノイ君の声の静かな響きは、今でも心に残っている。  ノイ君は口を結んだまま東京タワーを見上げていたけれど、やがてわたしに向き直った。 「今日もお互いお疲れ様!」  きれいな笑顔にこっちの方が照れてしまう。いつも思うけど、ノイ君は天使スマイルを安売りしすぎだ。別にわたし相手にはいらないのに。  むしろ困る。  こんなふうにふたりきりでそんな笑顔を向けられたら、誤解したくなる。ノイ君はわたしのことを……なんて、バカな妄想を始めてしまう。  いつからか、とか、どうして、とか。そんなの知らないし、覚えていない。  彼の笑顔やプレイング中の真剣な表情が頭から離れなくて、接している時に感じる楽しさと充実感に気づいてしまって……恋に落ちていた。  選手とマネージャーなんて、一番間違いが起きちゃいけない関係なのに。 「……はー」  雑念退散。  そればっかり心の中で唱えて、わたしはまわりを見回した。この場所って、広場というほどでもないけど、ある程度スペースがあるから、わたしたちみたいに東京タワーの電源オフの瞬間を見ようっていう人たちがちらほらいる。そのほぼ全員が手をつないでいたり、腕をからめていたりと恋人同士っぽい感じ。  そんな中でのわたしたちって、かなり浮いている。  前に聞いた時、ノイ君は「ここに俺ひとりでいたら、完全に怪しまれると思わない?」って笑ってたけど、だからってわたしが隣にいるのも微妙なんじゃないかな。  ノイ君みたいなかっこいい人は、十把一絡げな外見なわたしの100倍くらいかわいい子と付き合うのがセオリーだもん。  ノイ君はわたしにとっては『雲の上の人』。  期待なんかしちゃいけない。  ていうかそもそも仕事上の仲間なんだから、公私混同もダメだ。  だから、わたしはわたしで……もういいかげん、彼のことをあきらめないといけない。 「ふくちゃん? なんか顔険しくない?」  光を失った東京タワーを見つめる目に、多分いろんな感情がのってたんだと思う。ばっと振り向くと、ノイ君は不思議そうな目をしている。 「若いうちから眉間にしわ寄せるのくせにしちゃうと、30過ぎてからがやばいって聞くよー?」    ノイ君は自分で言いながら想像したらしく、にやにやと意地の悪い笑みを浮かべている。まったくもう! と思いながら「そういうの大きなお世話て言うんだけど」と返すと、ノイ君はますます楽しそうに口元をゆるめた。 「いやー、普段からふくちゃんにはお世話になってるからさ。たまには俺も実のあるアドバイスしてあげよっかなって」 「ほーう、それはお気遣いどうも!」 「うんうん、だっていつまでもかわいいマネージャーでいてほしいからね」 「!!」  なにその殺し文句っ。  かわいいとか。かわいいとか!?  突然言うのは反則だ。  ノイ君のせいで、言い返そうと思ってた言葉が飛んでしまった。頬が熱くなって、口がぱくぱくと妙な動きになってしまう。こんな反応したらノイ君の思うツボだってわかるのに! 事実、ノイ君は大きな目をらんらんと輝かせてわたしの次の言葉を待っている。 「もう駅行こ! 終電心配だからっ」  今度はわたしの方が先に歩き始める。もちろん精一杯の早足で。ノイ君は「はいはーい」と軽く言って追いかけて来たのだった。
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